令和6年(2024年)11月3日(祝日)、三重県松阪市の『氏郷まつり』の武者行列を鑑賞に行ってきました。松阪城跡・本丸で出陣式を行い、武者行列は午前11:00、松阪城跡を出陣しました。総勢は約200名でした。
▼武者行列スタート
▼蒲生氏郷
▼蒲生冬姫
令和6年(2024年)11月3日(祝日)、三重県松阪市の『氏郷まつり』の武者行列を鑑賞に行ってきました。松阪城跡・本丸で出陣式を行い、武者行列は午前11:00、松阪城跡を出陣しました。総勢は約200名でした。
▼武者行列スタート
▼蒲生氏郷
▼蒲生冬姫
10月22日(火)、京都の『時代祭』の行列を見物するために京都市へ行ってきました。
時代祭は、明治28年(1895年),平安遷都1100年を記念して平安神宮が創建され、記念の奉祝行事として行われた時代風俗行列が時代祭の始まりです。明治維新から始まり、江戸、安土桃山、室町、吉野、鎌倉、藤原、延暦と8つの時代の行列です。
行列は、京都御所を12:00スタートして平安神宮まで牛や馬を含む総勢約2000名で構成され、長さ約2㎞にもなる行列です。『生きた時代絵巻」です。
1.明治時代
2.江戸時代
3.安土桃山時代
4.室町時代
5.吉野時代
6.鎌倉時代
7.藤原時代
8.延暦時代
2023年10月15日(日)、兵庫県丹波市柏原(かいばら)に、丹波柏原藩の『織田まつり2023』を見学に行って来ました。メイン会場付近は、大勢の見物客でにぎわっていました。
武者行列は、柏原藩陣屋跡を12:20出陣し、下図の点線---➡---➡--の順路を行列しました。
▼武者行列順路マップ
▼先頭は、旗印を備える者
▼次は,小馬印(こうまじるし)を備える者
▼小馬印を備える者
▼小馬印を備える者 ➡殿様や武将などの所在を示す馬印を備える者
▼太鼓の後は、武者です ▼子供鎧(よろい)武者
▼子供鎧武者
▼子供鎧武者 ▼織田信長【新木宏典氏】
新木宏典氏は丹波市出身の俳優・歌手です。
▼織田信長【織田信孝氏】 ▼浅井三姉妹【茶々・初・江】
織田信孝氏は織田信長公末裔18代当主です。
▼侍大将 ▼侍大将の後は裃(かみしも)武者
▼裃武者
▼裃武者
▼裃武者 ▼鎧武者
▼鎧武者
▼鉄砲を備える者
▼槍を備える者 ▼旗印を備える者
2021年12月5日(日)、三重県三重郡菰野町の『御在所岳・山頂』ハイキングに行ってきました。
<ハイキングコース>【ロープウエイ湯の山温泉駅]=======【ロープウエイ山上公園】・・朝陽台広場・・【観光リフトロープウエイ駅】---------[観光リフト頂上駅】・・御在所岳頂上・・・・・長者池・・・・・御嶽大権現・・・・・御在書岳頂上・・・【観光リフト頂上駅]----------[観光リフトロープウエイ駅】・・[ロープウエイ山上公園駅】========[ロープウエイ湯の山温泉駅】
*『ロープウエイ湯の山温泉駅』へは『近鉄湯の山温泉駅』からバスで約10分。
▼ロープウエイ湯の山温泉駅 ▼ロープウエイ車内からの眺め
▼ロープウエイ山上公園駅 ▼朝陽台広場へ向かう
雪が積もっていました。
▼朝陽台広場までの通路 ▼樹氷
▼朝陽台広場
▼朝陽台からの眺め ▼観光リフトで御在所岳頂上へ向かう
▼一等三角点(御在所岳頂上)
▼長者池
▼長者池
▼御嶽大権現
▼樹氷
▼御在所岳頂上
▼観光リフトでロープウエイ山上公園駅へ ▼ロープウエイ車内からの眺め
▼ロープウエイ湯の山温泉駅から御在所岳を望む
御在所岳山頂では、積雪があり、樹氷が見られました。山麓では紅葉がきれいでした。
2021年11月27日(土)、三重県の松阪市へ『豪商の城下町松阪』の歴史散策に行ってきました。
<ハイキングコース>JR・近鉄・松阪駅・・・御厨神社・・・旧小津清左衛門家・・・三井家発祥地・・・旧長谷川治郎兵衛家・・・本居宣長旧宅跡・・・松山城内・・・本居宣長記念館・・・御城番屋敷・・・松阪神社・・・原田二郎旧宅・・・・・岡寺山継松寺・・・・・JR・近鉄・松阪駅
▼御厨神社
▼参宮道 ▼旧小津清左衛門家(三重県指定有形文化財)
豪商小津清左衛門は江戸で一番の紙問屋。
▼三井家発祥地(松阪市指定史跡) ▼旧長谷川治郎兵衛家(国指定重要文化財)
▼本居宣長旧宅跡 ▼松阪城(国指定史跡)へ
▼松阪城内
現在は公園として整備され、桜、椛、銀杏など四季を通じて自然を楽しめる。
▼松阪城内
▼本居宣長記念館
▼御城番屋敷(国指定重要文化財)
江戸末期に城の警護をまかされた紀州藩士とその家族が住んでいた。
▼松阪神社
▼原田二郎旧宅(松阪市指定文化財)
江戸時代末期の武家屋敷。
▼岡寺山 継松寺(高野山真言宗)
『岡寺さん』と呼ばれ親しまれている厄除け零場。
▼JR・近鉄・松阪駅
松阪城跡では、椛、銀杏が紅葉していました。
2020/7/16 三重県鳥羽市の『鳥羽の歴史散策』に行ってきました。
【ハイキングコース】JR・近鉄鳥羽駅・・・取手山砦・・・日和山展望台(日和山頂上)・・・賀多神社・・・常安寺・・・御木本幸吉誕生地・・・西念寺・・・鳥羽城・・・JR・近鉄鳥羽駅
▼日和山遊歩道へ
▼日和山遊歩道・・・ 山道を登っていく。
▼取手山砦(鳥羽主水の砦)の概要
▼取手山砦
▼取手山砦の本丸へ ▼取手山砦の本丸
▼日和山山頂へ・・・階段を上っていく
▼日和山山頂(日和山展望台)
▼日和山展望台
日和山は、標高62.5m。鳥羽湾一望できる。避難場所にもなっている。
▼賀多神社へ
山道を下る ▼賀多神社
▼常安寺の概要
▼常安寺(曹洞宗)
水軍大名として有名な九鬼家の菩提寺。
▼御木本幸吉のプロヒール 真珠の養殖で有名
▼御木本幸吉の生誕地
▼西念寺の概要
▼西念寺(浄土宗)
江戸時代 鳥羽城主・内藤家の菩提寺となり鳥羽城内から現在地に移築。
▼鳥羽城の概略図
▼鳥羽城の本丸
▼鳥羽城の本丸石垣の概要
▼鳥羽城の石垣・・・・・野面積みの石垣
2019/06/02(日)、三重県多気郡明和町の『斎王群行』の<斎王まつり>を見学に行って来ました。
斎王とは、天皇の代わりに伊勢神宮の天照大神にお仕えしていた女性のことで、天皇の娘や姉妹などの中から未婚女性から選ばれ都から遠く離れた斎宮で暮らしていました。最初の斎王は、672年の壬申の乱の後、天皇となった天武天皇が、勝利のお礼に伊勢へ仕わせた自分の娘・大来皇女(おおくのひめみこ)が最初の斎王と言われています。
<アクセス>近鉄山田線・斎宮駅下車すぐ
▼出発式
▼『斎王群行』スタート
▼女別当の輿
▼斎王の輿
▼子供斎王の輿
2018年11月23日 (祝日)、『第30回たかとり城まつり』に行って来ました。
【所在地】奈良県高市郡高取町上土佐
<アクセス>近鉄・吉野線「壺阪山」駅下車
▼高取城
岡山の備中松山城、岐阜の美濃岩村城に並ぶ日本三大山城の一つ。城は標高583.6mある高取山の頂に築かれ、城内周囲は約3kmに及ぶ。現在は、石垣を留めるのみの姿ながら、本丸・二の丸跡の立派な石垣からは往時の栄華が感じられます。昭和28年(1953年)には国の史跡、平成18年(2006年)には日本100名城に認定されました。
【時代行列】👉13:00~土佐街道で行われました。
▼たかとり城まつり時代行列
▼旗行列・・・高取国際高校 ▼西郷どん・・・南都銀行
▼手作り甲冑真田隊・・・紀州・九度山から参加の九度山真田隊です
▼鉄砲隊・・・大阪城鉄砲隊です ▼関西甲冑愛好家
▼高取甲冑隊・・・橿原市・明日香村・高取町▼姫と家老・・・高取町自治会
▼甲援隊
▼大名駕篭・・・橿原青年会議所
▼奴行列・・・土佐時代行列保存会
▼玉すだれ・・・日本南京玉すだれ協会
[火縄銃の実演]👉10:00~と15:30~の2回実演されました。
きつねうどん、焼きそば、缶ビール、こんにゃく等をいただいて帰りました。
2018/09/15 岐阜県関ケ原町に『関ケ原合戦の史跡めぐり(3)』に行って来ました。
<ハイキングコース>JR東海道線・関ケ原駅下車・・・松尾山城登山口駐車場・・・松尾山山頂(松尾山城址)・・・松尾山城登山口駐車場・・・脇坂安治陣跡・・・西首塚・・・JR関ケ原駅
*JR関ケ原駅~松尾山城登山口駐車場まで徒歩で約30分。
松尾山城登山口駐車場~松尾山山頂(松尾山城址)まで徒歩で約40分。
▼関ケ原合戦陣形図 慶長5年(1600年)9月15日午前8時頃
▼『小早川秀秋陣跡』の看板 ▼松尾山城登山口駐車場
▼右側に進む
▼登山道の分岐点(右側に進む)
▼松尾山山頂(松尾山城址) ▼小早川秀秋陣跡
小早川秀秋の軍勢は15000騎ですから本陣の山頂付近には入れきれず、山の麓付近にも布陣していた。
▼松尾山城縄張り図
▼主郭(20m×40m)
▼主郭
曲輪、土塁、堀切、井戸などが存在した。
▼脇坂安治の陣跡
▼西首塚
当地の領主・竹中重門が、徳川家康の命令により、兵士たちを埋葬した。
6月3日(日)、『あづち信長まつり』の武者行列を見学に滋賀県安土町に行って来ました。 この祭りは、天正10年(1588年)6月2日、本能寺の変で倒れた織田信長公の偉業をたたえ、その徳を偲んで毎年命日近くの日曜日に、武者行列を中心に数々のイベントが開催されています。今回は第34回目にあたりました。
◆武者行列◆
JR安土駅北口近くの安土小学校で、10時からの開会セレモニーを終え、10時30分に武者行列が出発しました。先陣は、佐々木六角承貞軍団、二陣は、徳川家康軍団、三陣は、羽柴秀吉軍団、殿(しんがり)は、織田信長軍団です。
▼先頭 ▼佐々木六角承貞軍団
▼佐々木六角の家臣団
▼佐々木六角承貞公(騎馬)
観音寺城の城主で、祖先は平安期の59代宇多天皇の子孫にあたり近江源氏を称し、源平合戦に功績をあげこの地(近江)の守護職を拝命した佐々木一族の最後の武将です。
▼徳川家康軍団
▼徳川家康の家臣団
▼徳川家康の家臣団 ▼徳川家康公(騎馬)
▼羽柴秀吉軍団 ▼羽柴秀吉の家臣団
▼羽柴秀吉の家臣団 ▼羽柴秀吉公(騎馬)
▼織田信長軍団 ▼織田信長の家臣団
▼お市と三姉妹(茶々・お初・お江) ▼森蘭丸
森蘭丸は織田信長の小姓頭。坊丸、力丸は弟で三兄弟です。本能寺の変時、本能寺で戦死。
▼侍女隊 ▼織田信忠公
織田信忠は、織田信長の長男で、安土築城後は尾張・美濃を譲られて岐阜城城主。本能寺の変時に織田信長に倣って自刃。
▼濃姫 ▼織田信長公(騎馬)
5月15日、京都の3大祭りのひとつ、葵祭の一番の見どころ平安貴族の姿をした大人たちの総勢約500名以上が、京都御所を午前10時30分に出発し、下鴨神社を経由して上賀茂神社へ向かう古典的な行列を見学するために、スタート地点の京都御苑に行って来ました。
▼葵祭の行列
2017/01/28(土)、古都奈良の伝統行事、『若草山焼き』の見学に行ってきました。
若草山焼きの由来については、春日大社、興福寺、東大寺により、若草山に火をつけて山全体を燃やす行事で、山頂にある前方後円墳霊魂を鎮める祭礼です。
①花火打ち上げ 午後6時15分~
②一斉点火 午後6時30分~
2016/09/24 岐阜県の関ヶ原町に『関ヶ原合戦の史跡めぐり(2)』に行ってきました。
<ハイキングコース>JR東海道線・関ヶ原駅下車・・・・・・・徳川家康最初陣跡地・・・六部地蔵●中山道松並木・・・山内一豊陣跡・・・・・・・本田忠勝陣跡・・・藤堂高虎・京極高知陣跡・・・福島正則陣跡・・・西首塚・・・松平忠吉・井伊直政陣跡●東首塚・首洗いの井戸・・・田中吉政陣跡・・・床几場・・・徳川家康最後の陣跡・・・細川忠興陣跡・・・・・JR関ヶ原駅
▼関ヶ原合戦の概要
▼関ヶ原の概略図
▼JR関ヶ原駅 ▼桃配山
▼桃配山の概説
▼徳川家康の最初の陣地跡
▼徳川家康の最初の陣地跡
徳川家康は、2万余騎の大軍を桃配山に置いて指揮をとったが、一進一退の戦況に苛立ち、11時頃、陣を前進させた。
▼六部地蔵
▼中山道松並木
▼山内一豊の陣跡
山内一豊は、南宮山の敵(毛利勢)に備えて陣を置いた。
▼本田忠勝の陣跡
本田忠勝は、徳川家康の軍艦として参戦した。
▼藤堂高虎・京極高知の陣跡
藤堂高虎・京極高知は、福島隊に続いて東軍左翼縦隊の第2陣として進軍。開戦後は平塚為広隊と交戦した。
▼福島正則の陣跡
福島正則は、開戦すぐ西軍最強の宇喜多隊に攻撃をかける。
▼西首塚
当地の領主・竹中重門が、徳川家康の命令により兵士たちを埋葬した地。
▼西首塚
▼松平忠吉・井伊直政の陣跡の概説
▼松平忠吉・井伊直政の陣跡
松平忠吉・井伊直政は、東軍先鋒と決まっていた福島隊の制止を振り切り、宇喜多隊へ発砲した。その後、島津隊を追撃して大きな戦果をあげるが、2人とも負傷してしまう。
▼東首塚
朱色の門を抜けると、奥にスダジイの大木がそびえ立つ。合戦後、戦死した兵士たちを東首塚と西首塚、2ケ所に埋葬した。
▼東首塚
▼首洗いの古井戸
▼田中吉政の陣跡
田中吉政は、石田三成隊の先手と激突。最後に、敗走した石田三成を捕える。
▼床几場の概説
▼床几場
▼徳川家康の最後の陣地
桃配山から動いた徳川家康が、最後に陣を置いた場所。ここから松尾山の小早川秀秋に向けて発砲を命じた。
▼細川忠興の陣跡
細川忠興は黒田長政らと共に石田三成本隊と激闘を演じた。
2016年08月27日 大阪市内の『大坂冬の陣・夏の陣の戦陣跡』の散策に行ってきました。
<ハイキングコース>JR大阪城公園駅・・・大坂城(豊臣秀頼・淀君終焉の地)・・・・・心眼寺(真田丸跡)・・・三光神社(真田丸跡)・・・・・安居神社(真田幸村終焉の地)・・・一心寺(本田忠朝の墓)・・・茶臼山・・・JR天王寺駅
▼ JR大阪城公園駅
▼豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地の概要
▼豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地の碑
▼豊臣期の大坂城の概要
▼心眼寺(真田丸跡)
▼真田丸跡(大坂城の出丸城跡)碑
▼三光神社(真田丸跡) ▼真田幸村象
▼史跡・真田の抜穴跡の碑 ▼真田の抜穴
▼安居神社(真田幸村終焉の地)
▼安居神社 ▼真田幸村象
▼一心寺
▼本田忠朝の墓(大坂夏の陣で戦没)
本田忠朝は、徳川家康の重臣・本田忠勝の次男
▼酒封じ祈願の概要
▼茶臼山古戦場跡の概要
▼茶臼山の碑 茶臼山は標高26m
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼元禄時代の古地図(大坂城と城下町)
▼元禄時代の古地図(大坂城付近)
中央のやや左が大坂城です。
▼元禄時代の古地図(真田丸跡付近)
中央の小高い小山(真田丸跡)の端に心眼寺があります。
▼元禄時代の古地図(茶臼山と四天王寺)
左下が茶臼山です。その隣に一心寺と安居神社があります
2016/05/14(土) 名古屋市中川 区の『荒子円空市と前田利家ゆかりの地』の散策に行ってきました。
<ハイキングコース> 近鉄名古屋線・八田駅・・・・・前田利家公初陣の像・・・荒子観音寺(荒子円空市)・・・冨士権現天満宮(荒子城址)・・・・・賓珠院・・・・・龍譚寺・・・・・前田速念寺(前田城址)・・・近鉄名古屋線・伏屋駅
▼近鉄・八田駅
▼前田利家公初陣之像(名古屋臨海高速鉄道あおなみ線・荒子駅前)
▼前田利家公の略歴
▼おまつの方略歴
▼荒子観音寺
荒子観音寺は、天平元年(729年)の創建で、尾張四観音の一つで、天台宗の寺院。また、1200余体の円空仏でも有名で、前田利家が天平4年(1576年)に修造しました。多宝塔は天文5年(1536年)に再建され、名古屋市内最古の木造建造物で国の重要文化財である。
▼荒子円空市(荒子観音寺) ▼荒子城の概要
円空市は毎月第2土曜日に開催されます。
▼前田利家と荒子城の概要
▼冨士権現天満宮(荒子城址) ▼前田利家誕生の碑
前田利家が居住した荒子城址に建立。荒子城は前田利家の父前田利昌によって天文年間に築城され、堀に囲まれた東西68m,南北50mの小規模な館のような城で、前田利家も永禄12年(1569年)荒子城主となり、城の鎮守神として冨士権現を勧請したという。
▼賓珠院・・・名古屋三弘法の一つ。毎月21日の御命日には多くの参拝客で賑わいます。
▼龍譚寺の概要
▼龍譚寺・・・庭一面に約10種類の苔類が生えており『名古屋の苔寺』として有名。
▼前田速念寺(前田城址)
前田氏発祥の地。ここには、前田城主前田興十郎の墓や前田家の歴代の墳墓、前田村記念碑がある。前田利家の出生については、この前田城で生まれ7歳の時に荒子城に移ったという説と、荒子城で生まれ育ったという説がある。
▼前田城跡に建つ前田速念寺の山門 ▼前田城址碑
▼前田速念寺の由来
前田利家の叔父・前田利則は、出家して意休と号し、浄土真宗・前田速念寺初代となり、前田速念寺は前田氏の鎮魂の寺となった。
▼前田速念寺の本堂・・・兜のように見える本堂