2016/09/24 岐阜県の関ヶ原町に『関ヶ原合戦の史跡めぐり(2)』に行ってきました。
<ハイキングコース>JR東海道線・関ヶ原駅下車・・・・・・・徳川家康最初陣跡地・・・六部地蔵●中山道松並木・・・山内一豊陣跡・・・・・・・本田忠勝陣跡・・・藤堂高虎・京極高知陣跡・・・福島正則陣跡・・・西首塚・・・松平忠吉・井伊直政陣跡●東首塚・首洗いの井戸・・・田中吉政陣跡・・・床几場・・・徳川家康最後の陣跡・・・細川忠興陣跡・・・・・JR関ヶ原駅
▼関ヶ原合戦の概要
▼関ヶ原の概略図
▼JR関ヶ原駅 ▼桃配山
▼桃配山の概説
▼徳川家康の最初の陣地跡
▼徳川家康の最初の陣地跡
徳川家康は、2万余騎の大軍を桃配山に置いて指揮をとったが、一進一退の戦況に苛立ち、11時頃、陣を前進させた。
▼六部地蔵
▼中山道松並木
▼山内一豊の陣跡
山内一豊は、南宮山の敵(毛利勢)に備えて陣を置いた。
▼本田忠勝の陣跡
本田忠勝は、徳川家康の軍艦として参戦した。
▼藤堂高虎・京極高知の陣跡
藤堂高虎・京極高知は、福島隊に続いて東軍左翼縦隊の第2陣として進軍。開戦後は平塚為広隊と交戦した。
▼福島正則の陣跡
福島正則は、開戦すぐ西軍最強の宇喜多隊に攻撃をかける。
▼西首塚
当地の領主・竹中重門が、徳川家康の命令により兵士たちを埋葬した地。
▼西首塚
▼松平忠吉・井伊直政の陣跡の概説
▼松平忠吉・井伊直政の陣跡
松平忠吉・井伊直政は、東軍先鋒と決まっていた福島隊の制止を振り切り、宇喜多隊へ発砲した。その後、島津隊を追撃して大きな戦果をあげるが、2人とも負傷してしまう。
▼東首塚
朱色の門を抜けると、奥にスダジイの大木がそびえ立つ。合戦後、戦死した兵士たちを東首塚と西首塚、2ケ所に埋葬した。
▼東首塚
▼首洗いの古井戸
▼田中吉政の陣跡
田中吉政は、石田三成隊の先手と激突。最後に、敗走した石田三成を捕える。
▼床几場の概説
▼床几場
▼徳川家康の最後の陣地
桃配山から動いた徳川家康が、最後に陣を置いた場所。ここから松尾山の小早川秀秋に向けて発砲を命じた。
▼細川忠興の陣跡
細川忠興は黒田長政らと共に石田三成本隊と激闘を演じた。