nakazumi's blog

文化・歴史・城郭をメインに、時々『気になる事』を記す婆娑羅ブログ!

積水ハウス株式会社の株主総会

2019年04月26日 | 株主総会

 平成31年(2019年)4月25日(木曜日)午前10時からの積水ハウス株式会社の第68回定時株主総会に梅田のウエスティンホテル大阪 2階のローズルームに行ってきました。

 会社説明によると、当期は、売上高21603億円(前期比0.04%増)、営業利益1892億円(前期比3.2%減)、経常利益1951億円(前期比4.2%減)、純利益1285億円(前期比3.5%減)でした。中間配当金は1株につき39円支払い済で、期末配当は1株につき40円とする。したがって、当期の配当金は1株につき79円になる

 来期は、増収増益予定で、配当金は2円増配で、中間配当は1株につき40円、期末配当は1株につき41円で来期の配当金は1株につき81円を予定しているとのことでした。(積水ハウスの配当性向目標は,40%以上です。) 

最大の成果は、当社の物件は、レオパレス、大和ハウスのような不正建築はなし。

  大丈夫だという回答。

株価:4/25終値1785円     PBR=1.03    株式平均買値=784円

投資利回り=81円/784円=10.33%+株主優待(米5kg) 

積水ハウス http://www.sekisuihouse.co.jp

 


郡上八幡城

2019年04月20日 | 岐阜県の城郭・環濠

  天文10年(1541年)、篠脇城主東常慶(とうつねよし)が吉田川の南側に赤谷山城を築き、嫡男東常堯(とうつねたか)を城主とした。そして永禄2年(1559年)、東氏の一族の遠藤盛数が、赤谷山城攻めの拠点として対岸の八幡山に築いた砦が、郡上八幡城の前身です。

 東氏を滅ぼした遠藤盛数は砦跡に城を築き、嫡男遠藤慶隆が継いだ。永禄9年(1556年)、郡上を統一した遠藤慶隆は、郡上八幡城や城下町の建設を行う傍ら、織田信長の配下として、各地を転戦し戦功をあげた。本能寺の変後の天正12年(1584年)小牧・長久手の戦の際、遠藤慶隆が織田信雄に通じていた疑いで豊臣秀吉によって賀茂郡小原(岐阜県加茂郡白川町)に転封となり、代わって稲葉一鉄の子稲葉貞通が4万石で入城し、高い石垣の整備や天守の設置など本格的な山城として大改修を行った。

 慶長5年(1600年)、郡上八幡城の戦の後、遠藤慶隆は関ケ原の戦で徳川家康の東軍に参加し、再度郡上八幡城主として2万7千石に封じられた。稲葉貞通は豊後国(大分県)臼杵へ5万石で転封となった。

 江戸時代には遠藤氏5代、井上氏2代、金森氏2代を経て、青山氏が7代治めた。明治4年(1871年)の廃城令で城は石垣を残して全て取り壊されたが、昭和8年(1933年)、郡上八幡城天守台跡に木造模擬の天守閣、隅櫓、高塀が再建された。そして昭和30年(1955年)8月に岐阜県史跡に指定された。

[所在地:岐阜県郡上市八幡町柳町一の平659]

アクセス>長良川鉄道郡上八幡駅からバス、城下町プラザ下車徒歩約15分

郡上八幡城遠望

郡上八幡城の略図

郡上八幡城の概要

山内一豊と妻千代の像   ▼城下より望む天守閣

 千代は郡上八幡城主遠藤盛数の娘である。

首洗い井戸

天守閣(左)と隅櫓(右)    ▼大手門

模擬天守閣

 大垣城天守閣を模して昭和8年(1933年)に木造で築造された。

模擬天守閣

天守閣からの眺め            

2019/04/13訪城


苗木城

2019年04月18日 | 岐阜県の城郭・環濠

    鎌倉時代に加藤景廉が美濃国恵那郡に地頭職を与えられて美濃遠山荘に土着して遠山氏を名乗った。以来、東美濃で発展し、俗に『遠山七家』と呼ばれるようになる。苗木の遠山氏は、『遠山七家』の一つであり、大永6年(1526年)、木曽川の流れに突き出した高さ約426mの天然の要害の高森山に苗木城を築きました。その後、織田信長と武田信玄が対立する時代、遠山氏は双方と縁戚関係を結びます。

 しかし、天正10年(1582年)、本能寺の変によって、遠山氏の立場は不安定なものになってしまう。遠山氏は豊臣秀吉の家臣森長可に苗木城を攻め落とされ、徳川家康を頼って落ち延びます。慶長5年(1600年)9月、関ケ原の戦の前に徳川家康の指示で苗木城を奪還し、苗木領1万521石の大名となります。

 それから明治維新まで、遠山氏は苗木城主として初代遠山友政から12代遠山友禄にわたりこの地を治めました。だが、小藩ゆえに常に財政は困窮していて、苗木城の壁は赤土がむき出しになっていたので、『赤壁城』の異名を持つが、これは白漆喰を塗る費用がなかったためである。昭和56年(1981年)、戦国時代の面影をとどめている近世城郭であり、貴重であるとして苗木城が国の史跡に指定されました。

【所在地:岐阜県中津川市苗木】

アクセス>JR中央本線・中津川市駅徒歩約3.5Km(約1時間)

中腹より本丸方向を望む

苗木城のイラスト図

大矢倉          ▼二の丸

 

本丸の石垣        ▼本丸の石垣

苗木城天守の概要

天守台          ▼帯郭

天守台からの眺め            

2019/04/13 訪城


【関西生コン⑦】 関西生コン支部幹部再逮捕 販売会社に恐喝疑い

2019年04月11日 | 関西生コン(反日・極左・売国団体)

 滋賀県警は、4月11日、滋賀県内の生コンクリート販売会社から現金1000万円を脅し取ったとして、恐喝の疑いで、全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部の執行委員長の男(77)=大阪府池田市=らを再逮捕した。いずれも黙秘している。

 逮捕容疑は、2015年5月、生コン販売会社に対して、嫌がらせをやめる見返りに現金1000万円を要求し、大阪市内のホテルで現金を受け取った疑い。販売会社は、滋賀県内の10を超える工事現場で、関西生コン支部の組合員らから嫌がらせ行為を受けていた。(ソース:サンスポ)

[コメント]

名前出せ❣再逮捕されたのは全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部の執行委員長の武健一(77) と副執行委員長の湯川祐司(46)

こんな大事件、パヨクとマスゴミ野党はダンマリ❣

国会で集中審議案件だ

反社会的団体

 


西武信金、 組関連企業に融資か 週明け金融庁検査へ

2019年04月07日 | 反日・売国団体・企業

 信金大手西武信用金庫(東京都中野区)が、指定暴力団の関連企業に融資していた疑いがあることが関係者への取材で明らかになった。ペーパーカンパニーを含む複数の企業に数年間にわたって融資を繰り返していたとみられ、暴力団の活動資金として使われた可能性がある。金融庁もこうした事実を把握している模様で、週明けにも集中的な立ち入り検査に着手する。内部管理態勢の不備などが明らかになり次第、信用金庫法に基づく行政処分を検討する。

 西武信金を巡っては、投資用アパート・マンション向け融資で、物件の価値を過大に見積もって過剰融資を行っていた疑いもあり、金融庁が昨年11月以降立ち入り検査を行っている。関係者によると、同信金の落合寛司理事長は反社会的勢力との関係を含めた一連の問題の責任を取って辞任する意向を金融庁に伝えているといい、トップの進退に波及する可能性がある。

 関係者によると、西武信金が融資を行っていたのは、都内に拠点を持つ指定暴力団の関係者が経営に携わっている企業で、事業に実体がないとみられるケースもあった。西武信金は、これらの企業を『反社会的勢力に該当する』として内部のデータベースなどで管理しており、不適切な融資と認識していたという。融資金の一部は暴力団に回り、活動資金に使われた可能性が高い。

 金融庁は昨年11月以降の立ち入り検査の過程で、反社会的勢力との関係についても把握した模様だ。詳細を集中的に調べるため、体制を組み直し、本格的な検査に入り直すことにした。

 西武信金経営企画部は、毎日新聞の取材に『金融庁の監督指針や内部の規定に基づき反社会的勢力の排除に取り組んでいるが、個別の事案については回答を差し控える』とコメントした。(ソース:毎日新聞)

西武信用金庫

 1969年に2信金が合併して発足した。東京都と埼玉県、神奈川県で計74店舗を展開し、2018年9月の預金量は、全国261信用金庫で14位の2兆643億円。18期3月期の本業のもうけを示す業務純益は144億円。西武鉄道などの西武グループとは資本関係がない。

コメント

西武信用金庫暴力団企業に融資❣=反社会的企業

 東京都内に拠点がある暴力団の関係者が経営する企業に対し、数年間にわたって融資していたことが毎日新聞が明らかにした。

●西武信用金庫の常勤の理事が主導して暴力団の構成員らに飲食の接待を繰り返していた。

 支店長などの幹部クラスが東京都心の繁華街で、指定暴力団や、在日中国人らによる準暴力団の構成員らに飲食を伴う接待を繰り返していた。支払いには信金名義のクレジットカードが使用され、西武信金は金融庁が昨年11月に立ち入り検査に着手して間もなく、カードの使用を自粛するよう内部に通達をだしたという。

西武信用金庫に預金している人は預金を全額下ろすこと

世の中で一番信用ならないのは『西武信用金庫』だ