nakazumi's blog

文化・歴史・城郭をメインに、時々『気になる事』を記す婆娑羅ブログ!

十市城

2014年01月27日 | 奈良県の城郭・環濠

   十市城(とおいちじょう)は、地元の豪族十市氏が築いた中世大和における典型的な平城で、鎌倉時代後半から江戸時代にかけて居城しました。その規模は、東西約550m・南北約430mと推定されます。十市氏の出自は興福寺大乗院の国民(十市庄荘官)で戦乱の中、十市氏は筒井氏とともに成長しつづけ、天文14年(1545年)に死去した当主、十市遠忠の時代に最盛期を迎えます。松永久秀の大和入府後、十市氏は、松永・筒井の間で揺れ動き、家臣団も分裂。松永久秀が滅亡すると筒井氏に属したが、天正13年(1585年)筒井氏は伊賀に移封された。十市一族の多くがこれに従い、残った者たちは羽柴秀長に仕えた。現在、遺構はなく、主郭部分と推定される約70m四方の微高地の畑の片隅に「十市城之跡」の石碑が建っています。

[所在地:奈良県橿原市十市町城垣内]

アクセス>近鉄橿原線新ノ口駅から徒歩約15分(1.1km)

▼「十市城之跡」の石碑                      ▼石碑の裏側

 

十市城の主郭跡部分             土地改良の石柱

 

2014/01/27 訪城

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十市遠忠(1497年~1545年)

 十市遠忠は、興福寺大乗院の国民で、武勇に優れ、歌道や書道にも通じ、文武両道の武将として十市氏の最盛期を築いた。最大の領域は、十市郡・弐上郡等領有し、多くの与力衆を持つ6万石の大名であった。室は、筒井順興の娘である。


『大仏鉄道跡』を訪ねて

2014年01月25日 | 文化・歴史散策

2014/01/25  JR奈良駅からJR加茂駅へ大仏鉄道跡遺構を訪ねるために散策に行ってきました。

[ハイキングコース] JR奈良駅・・・大仏鉄道記念公園(大仏駅跡)・・・鴻池競技場・・・梅美台公園・・・赤橋・・・観音寺橋台・・・C57展示場・・・JR加茂駅

 大仏鉄道ってなに

             (注)JR関西本線は、現在のJR大和路線です。

JR奈良駅       ▼大仏鉄道記念公園(大仏駅跡)

 

鴻池競技場       ▼梅美台公園

 

赤橋・・・御影石と煉瓦との組み合わせの橋。 現在、この上は、道路です。

 

                鹿背山アパット(橋台)

 

観音寺小橋台・・・すぐ横をJR大和路線が走っています。

 

観音寺橋台・・・手前の橋台は大仏鉄道線跡です。奥はJR大和路線が走っています。

 

蒸気機関車「C57 56」 ニックネイムは『貴婦人』

JR加茂駅南側のモニュメント蒸気機関車の動輪)

このモニュメントは、 加茂町長の難波久士氏が木津川市の誕生を記念して、私費で建立し木津川市に寄贈したものである。

 

JR加茂駅


国外財産調書制度

2014年01月15日 | 悪法

 

海外での銀行口座、資産(5000万円以上)申告制度の法律が、2014年2月の納税申告から強制されます。

平成25年12月31日において国外財産に係る国外財産調書については、平成26年3月17日(月)が提出期限となっています。

 

 平成25年度分の確定申告書B用の6㌻より>◆

マイナンバー制度の法律ができた(2013年5月24日)。これで金持ち層のお金の国内の動きは、コンピュウターでほぼ完全に捕捉され,すべて国税庁に把握されるようになった。マイナンバー制度で年金、医療、介護、税務等の利用情報を結び付けるとはっきり書かれている。

今の悪僚(税務官僚)が考えている税法、税制についての考え方は、次の3つである。

富裕層の資産を海外に逃がさないこと。富裕層は、自分の大切な資産を国外に資産避難している。それに対して、悪僚(国税庁、金融庁)ががしてたまるか, 逃がさないぞという動きに出ている。海外のお金は、日本で管理できないのだ。だから国外財産調書制度なのだ。

 

低所得者からはこれ以上取れない。だから消費税で広く薄く取る。

富裕層からは、所得の上限課税、相続税で取る。

マレーシャ、シンガポール、タイ王国などの相続税はゼロだ。カナダもゼロだ。外国から資本(資金)を呼び込み、自国の経済を成長させたい。このほかに自国の王族(イスラム諸国ならスルタン)を生き延びさせるために相続税はゼロなのだ。

日本の悪僚(税務官僚)の考え方

課税強化?平成27年(2015年)より、相続税と所得税の最高税率55%にアップ


三峰山の樹氷 2014

2014年01月11日 | 樹氷・冬山登山

2014/01/11 奈良県宇陀郡御杖村の三峰山の樹氷を見に冬山登山に行ってきました。             

    三峰山▲ 標高1235m

[登山コース] 近鉄大阪線・近鉄榛原駅南口バスロータリー⇒⇒奈良交通バス⇒⇒みつえ青少年旅行村・・・三峰山・・・八丁平・・・みつえ青少年旅行村⇒⇒奈良交通バス⇒⇒近鉄榛原駅

 ▼榛原駅                                                                                                       

  

 

 

 

 

三峰山山頂       ▼三峰山山頂からの眺め

 

八丁平

  

 

 山頂には、約30cmの積雪がありました。樹氷がとてもきれいでした。


犬山城 (別名白帝城)

2014年01月02日 | 愛知県の城郭・環濠

   犬山城(別名,白帝城)は、織田信長の祖父の織田信康が、天文6年(1537年)に木之下城を移して木曽川南岸の三光寺山に平山城を築いたのが始まりとされています。天正12年(1584年)小牧・長久手合戦の際には羽柴(豊臣)秀吉は大軍を率いてこの城に入り、小牧山に陣をしいた徳川家康と戦いました。その後、城主は何代か代わり、文禄4年(1595年)石川備前光吉が入り、慶長4年(1599年)城を改修し、天守を造りました。しかし光吉は、関ヶ原の戦いで西軍に属したため、犬山城は、東軍に攻略され、慶長5年(1600年)に小笠原和泉守吉次が入城しました。慶長12年(1607年)徳川家康の九男義直が清州に入り、その家臣の平岩新吉が犬山城主になりましたが、平岩新吉が慶長16年1611年)に死去したため、その翌年から、成瀬正成は、竹腰正信とともに尾張藩の付家老として政務に携わり、元和3年(1617年), 成瀬正成が二代将軍徳川秀忠から犬山城を拝領して以後は幕末まで代々世襲で、犬山城主と尾張藩付家老を務めました。明治維新に犬山城は廃城となり、天守閣を除いて櫓や門の大部分は取り壊され公園となりました。天主閣は、昭和10年(1935年)に国宝に指定されました。

[所在地:愛知県犬山市大字犬山字北古券8]

アクセス>名鉄犬山線犬山遊園下車徒歩約15分

犬山城の概要

犬山城脾

 

            本丸門

 

                                              天守閣

 

天守閣

石落しの間      ▼つけ櫓

 

国宝指定書      ▼天主閣からの眺め

 

天主閣からの眺め

 

 

2014/01/01 訪城

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平岩親吉(1542~1611)

 徳川家康の人質時代から側近として仕える。姉川・長篠の合戦に活躍。天正7年,家康の長男、信康の傅役をつとめていたが,信康の自刃後、その責任を感じ、謹慎。のち家康の命により、再出仕する。天正10年、甲斐郡代に任じられ、13,000石を領す。関東入国後、上野厩橋33,000石、関ヶ原合戦後、甲府63,000石を与えられ、家康の九男、義直の付家老となる。慶長12年、義直の尾張転封に従い、犬山123,000石を領す。

成瀬正成(1567~1625)

 徳川家康に小姓として仕える。小牧・長久手合戦で功があり、天正18年、下総葛飾郡に4000石を与えられる。関ヶ原合戦には、根来衆を率い、使番をつとめる。戦後、和泉堺奉行となる。家康の側近になって、本田正純、安藤直次らとともに、政務の中枢に参与。慶長12年家康の九男義直の付家老となる。元和3年、犬山城を与えられ、同6年35,000石を給される。


御在所岳からのご来光 2014

2014年01月01日 | ご来光

2014/01/01  三重県三重郡菰野町の御在所岳に行ってきました。初日の出は、AM6:58頃でしたが、雲のために見ることはできませんでした。AM8:30頃に、かすかに初日の出が見えました。

御在所岳▲ 標高1212m

  

 御在所岳の 山上には、イルミネーションがなされていました。

 

 A.M.7:00頃,明るくなってきましたが、太陽は、見えず

 

 A.M.8:30頃,かすかに太陽が見えました!!

 在所岳の散策道の樹氷を観察してから、ロープウェイで下山しました。

 

 

 

 

 

 御在所岳には、雪が約50~60cm積雪していました。