十市城(とおいちじょう)は、地元の豪族十市氏が築いた中世大和における典型的な平城で、鎌倉時代後半から江戸時代にかけて居城しました。その規模は、東西約550m・南北約430mと推定されます。十市氏の出自は興福寺大乗院の国民(十市庄荘官)で戦乱の中、十市氏は筒井氏とともに成長しつづけ、天文14年(1545年)に死去した当主、十市遠忠の時代に最盛期を迎えます。松永久秀の大和入府後、十市氏は、松永・筒井の間で揺れ動き、家臣団も分裂。松永久秀が滅亡すると筒井氏に属したが、天正13年(1585年)筒井氏は伊賀に移封された。十市一族の多くがこれに従い、残った者たちは羽柴秀長に仕えた。現在、遺構はなく、主郭部分と推定される約70m四方の微高地の畑の片隅に「十市城之跡」の石碑が建っています。
[所在地:奈良県橿原市十市町城垣内]
<アクセス>近鉄橿原線新ノ口駅から徒歩約15分(1.1km)
▼「十市城之跡」の石碑 ▼石碑の裏側
▼十市城の主郭跡部分 ▼土地改良の石柱
2014/01/27 訪城
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◆十市遠忠(1497年~1545年)
十市遠忠は、興福寺大乗院の国民で、武勇に優れ、歌道や書道にも通じ、文武両道の武将として十市氏の最盛期を築いた。最大の領域は、十市郡・弐上郡等領有し、多くの与力衆を持つ6万石の大名であった。室は、筒井順興の娘である。