金剛広場からの続きです
金剛山頂の北側に位置し
国見城跡のある金剛広場
ここが山頂だとは思えない雰囲気です
では…
今回はここから再出発です
頂上を周回してみる事にします
10:45 転法輪寺の山頂売店付近の境内の中
転法輪寺は、山岳宗教の霊地で、真言・天台両系の修験の地であり、
明治まで女人禁制だったと聞きます
どうしても、女人禁制ときくと…一応 女人の私…抵抗を感じます
解禁となっ今では関係ない事ですが…何やら天罰が落ちてきそうなので
少しだけ…避けるように…脇をとおりゃんせ…
えっ!女人禁制のせいではなく 日頃の行いからそう思う…?ですって!
あはは… 当たっているかも…σ(^^;
転法輪寺の前の坂道の鳥居をくぐると
まず分岐に出ます
まっすぐロープウェイ方面に向かう道になり
左の道が 葛木神社経由での道となります
…という事で、左の葛木神社からブナ林の経由を選択します
分岐の様子です
10:53
葛城神社方面の道は 赤い灯籠の続く参道道
信仰のお山の雰囲気が濃く出て、普段の山道とは違った雰囲気がします
何せ…ときどき車が通りますから(笑)
その参道の道のわきに
ひときわ大きな杉が二本並んで
道行く人々を見ておられます
10:55 夫婦杉
見上げてみると
長年連れ添った老夫婦が
お互いを愛しむように寄り添うように天に向かって聳えています
どこまでも一緒に…
天に召される時もなお
ともに行かん 生涯の伴侶…
暫し 見つめてしまいます
うふふ…
チチと私…(^m^)なれるかな?
チチと私…(^m^)なれるかな?
10:58 社号標:金剛山 葛木神社
旧村社:艦内奉斎神社(護衛艦こんごう) 祭神:[主祭神]葛木一言主大神
この葛木神社裏の禁足地が金剛山・山頂の葛木岳(1,125m)となります
なので、ここが神社が金剛山頂という事で納得します
昔は葛城山または高天山(たかまやま)とも呼ばれ、
『日本書紀』の神武天皇の条では
「高尾張邑に土蜘蛛がいて、その人態は、背丈が短く、手足が長かった。
侏儒と似ていた。皇軍は葛の網を作って、覆い捕えてこれを殺した。
そこでその邑を葛城とした。」
という事に由来しているそうです。(紀元前662年)。
天智天皇4年(665年)、修験道の開祖とされる役小角が16才の時、
この山に登り霊気を感得し長い修行の後、金剛山頂上に法起菩薩を御本尊とする金剛山転法輪寺を建立し、
役小角の祖神であった一言主神を祀る葛木神社を鎮守として あわせ祀ったのが始まりとされています。
以後、真言密教の霊場として信仰を集め転法輪寺の山号である「金剛山」が略称のように使われ
葛城山脈中の最高峰を指す名称になったとも言われています。
明治元年には神仏分離の憂き目に遭い廃寺となっていたのを、昭和37年に復興し現在に至ります。
『日本書紀』の神武天皇の条では
「高尾張邑に土蜘蛛がいて、その人態は、背丈が短く、手足が長かった。
侏儒と似ていた。皇軍は葛の網を作って、覆い捕えてこれを殺した。
そこでその邑を葛城とした。」
という事に由来しているそうです。(紀元前662年)。
天智天皇4年(665年)、修験道の開祖とされる役小角が16才の時、
この山に登り霊気を感得し長い修行の後、金剛山頂上に法起菩薩を御本尊とする金剛山転法輪寺を建立し、
役小角の祖神であった一言主神を祀る葛木神社を鎮守として あわせ祀ったのが始まりとされています。
以後、真言密教の霊場として信仰を集め転法輪寺の山号である「金剛山」が略称のように使われ
葛城山脈中の最高峰を指す名称になったとも言われています。
明治元年には神仏分離の憂き目に遭い廃寺となっていたのを、昭和37年に復興し現在に至ります。
葛木神社の周りには 樹齢何年なのでしょう 大きな木々が守護のように取り囲んでいます
その先を進むと ブナ林に出ます
11:00 ブナ林
大阪のお山でブナの群生を見るのは 難しくなっているといわれます
そして、和泉葛城山あたりが日本でブナが生育する南の限界と言われているようです
その中で、とりわけ金剛山はブナが多い方だと言われます
そんな大阪でのブナの事情ですが
和泉葛城山のブナの太さは全国第2位らしいです
金剛山で無いのが 少し残念ですが(笑)
ブナ林を過ぎて
二王杉を越え 緩やかな下り坂を進むと
目の前に鳥居が見えてきます
鳥居の向こうに分岐路が見えます
進行方向左側に見える道は奈良方面のダイヤモンドトレールであり、以
前高天谷を詰めたときに歩いた郵便道(高天道)と重なる分岐です
いつかは、大和葛城へ縦走する時に歩きましょうか…
11:10 一ノ鳥居(振り返って撮影)
一の鳥居を潜って 道なりにまっすぐ進みます
11:15 役行者第二十一経塚(出迎え不動明王)
葛城二十八宿修行の証としての修する奉告護摩の御本尊様として、
また、金剛山に登拝される方々を出迎えて、
道中安全を祈願するために鎮座されているそうです
入り口に看板が立てられており
そのような内容の文言が書かれてあります
そこがちょうど分岐になっており、
進行方向右側の道が ダイヤモンドトレール(楽な道)です
左側が 一等三角点経由となっており、湧出岳への道となります
お日様の光で明るく照らされた道を選択し
一等三角点の方へと進みます
11:19
しかし…
進んですぐに 唖然です…
山道にしては広い道ですが 薄暗く、余り人も通らないのでしょう
クモの巣を顔に受ける事になります
一等三角点 湧出岳
金剛山は 葛木岳、湧出岳、大日岳の三峰の総称を指すると言われます
そのひとつである湧出岳の頂は 展望もなく…としています
電波塔を囲む青いの策が 余計に風情を壊しているように思います
11:20 湧出岳 1112m
来た道を戻ろうかどうしようか考えながら
地図を確認します
草ぼうぼうの策の横に 踏み跡らしき道が…
地図上で 方向を確認すると、行先は合流するはず…
…という事で この道らしからぬ道の方へと進む事にします
11:23
踏み跡はしっかりとあり、
急な植林の間の道ではありますが
さほど問題はありません
ときどき地図を確認しますが
方向は問題ないので 通常の道に出合うはずです
11:32
分岐にある標識です
ちょうど矢印方向の逆ルートを下ってきたのですが
看板に書いている 巻き道(楽な道)に出る事が出来ようです♪
取り敢えず、ロープウェイの方に行きたいので、
逆の方向に下って行きます
静かな歩道です
整備されており 歩きやすいのですが
この道…車の跡があります…
山道というより 田舎道のように感じます
金剛山の山頂尾根を歩いているとは思えません
11:41
標識があり、右への脇道があります
ここからだと四季の谷経由でロープウェイ駅に行けると書かれており
エスケープルートにもなるようなので、脇道に入って行く事にします
11:43 金剛山展望台
展望台は下から見上げて終わりにします
その下に下る道があるので 先を急ぎます
いらぬ動力は…避ける私ですから♪
公園風に整備された階段状の四季の谷を下って行くと
前方に広場が見えてきます
脇にはトイレも設置されており
休憩するには良いところです
この眼下に ロープウェイの駅が見えます
11:59 ロープウェイ山頂駅
この辺り一帯がちはや園地であり
山頂駅周辺という事のようです
金剛山の頂上付近は標高が1,000m を超えますので、
大阪府内では唯一の亜高山帯という事になります
そのため、亜高山帯に生息する野鳥たちの繁殖地にもなっているようです。
この日もお天気に恵まれた事もあるのでしょう
小鳥のさえずりの様な声が山全体に響き渡っています
キビタキやオオルリ、クロツグミ、ゴジュウカラ、
ミソサザイなどのさえずりを楽しむことができます
今回のお山で特に耳に残ったのは
ウソの声でした
口笛で人を呼ぶような囀りに
何度もあたりを見回しますが
その姿を目にする事はできませんでした
人も鳥も好きなのは 木の実です
自然の恵み 少しだけお恵みを…♪
甘酸っぱい素朴な味を少しだけ味わわせて頂きました
ごちそうさまです♪
さて、元気が出たところで 引き返します
12:03
12:10
鳥の囀りが一層にぎやかになる中
今度は金剛山遊歩道を使って、山頂広場へと引き返します
12:24 岩屋文殊
文殊岩
御廟所より約南方300m、新道西脇にあり、
約1,050年前から奉杞された智慧の守本尊文殊菩薩は、
智将大楠公も信仰せられて知略を授かったといわれ、
この岩屋で役行者も修行されたと伝えられています
金剛山 転法輪寺HPより
約1,050年前から奉杞された智慧の守本尊文殊菩薩は、
智将大楠公も信仰せられて知略を授かったといわれ、
この岩屋で役行者も修行されたと伝えられています
金剛山 転法輪寺HPより
役行者ご修行の地
一千五十年前から奉祀 智将大楠公も信仰され智略を授る
ご利益は入学や進学 勝利への道等 凡ゆる智慧を授けられます
一千五十年前から奉祀 智将大楠公も信仰され智略を授る
ご利益は入学や進学 勝利への道等 凡ゆる智慧を授けられます
…と 表示されております
これは 無心に拝まねばなりません…
願わくば 勝利への道へと導きたまえ…
邪心見え見えですね(^^;
12:31
ここから文殊尾への分岐となっておりますが
山頂広場に戻らねばなりませんので 再び登って行きます
12:37 葛城家歴代 御廟所
本当にお疲れ様でした♪
でも、まだこれからあります…
12:43 金剛広場横からの下り
13:03 セト
黒栂谷道
13:37
「まつまさ」の水場… 帰ってまいりました
のんびりと独り登山
こんなお山も また、楽しいです♪
いつも長いブログにお付き合いくださいまして
ありがとうございます
最近は、金剛山の複数の登山道を制覇すべく通っております
同じ山ですが、その度に違う顔を見せてくれています
次はどのルートを行こうかと思案中です
よろしければ、また、お付き合いしていただけると嬉しいです
ありがとうございました
ちょっと調べたメモです
護衛艦「こんごう」
海上自衛隊の護衛艦「こんごう」はこの金剛山が艦名の由来となっていて艦内神社には葛木神社の御分霊が奉斎されており、
こんごう乗組員の参拝もありました。
「こんごう」は日本の海上自衛隊に配備された初のイージス艦で、
「こんごう」「きりしま」「みょうこう」「ちょうかい」からなる「こんごう型」のネームシップでもあるそうです。
ちなみに護衛艦「こんごう」は3代目で、初代は明治10年(1877年)に進水したコルベット艦「金剛」
巡洋戦艦として明治44年(1911年)にイギリスで建造された戦艦「金剛」は2代目
2代目の金剛には千早赤阪村の建水分神社の御分霊が祀られていたそうです。
海上自衛隊の護衛艦「こんごう」はこの金剛山が艦名の由来となっていて艦内神社には葛木神社の御分霊が奉斎されており、
こんごう乗組員の参拝もありました。
「こんごう」は日本の海上自衛隊に配備された初のイージス艦で、
「こんごう」「きりしま」「みょうこう」「ちょうかい」からなる「こんごう型」のネームシップでもあるそうです。
ちなみに護衛艦「こんごう」は3代目で、初代は明治10年(1877年)に進水したコルベット艦「金剛」
巡洋戦艦として明治44年(1911年)にイギリスで建造された戦艦「金剛」は2代目
2代目の金剛には千早赤阪村の建水分神社の御分霊が祀られていたそうです。
すぐに見つかったようですね♪
金剛山は地図にない道も無数にあるお山です
そのルートで 様々な顔を見せてくれますよ♪
1000級のお山なのにね(^^)
秋も、冬もいいですよ
地元の子供たちが耐寒登山で必ず登らせられますからね♪
都合がつくようであれば
ご案内いたしましょう…
さてさて…どのコースがいいでしょうか…
ザイルを張りながらのコースもいいですよ(笑)
のんびりと、金剛山を味わってもらえるといいですね
その日を楽しみにしております
まずは…チチの足が治ればいいのですが…
出来たら秋に行きたいなどと思ってはいるのですが・・・
冬も良さ気ですよね?
登山道もたくさんあるみたいで高いお山ではないですが、いろいろと楽しめるみたいですね!
都合良ければぜひお供お願いいたします・・・ゲバより