昨夜はだいぶ風も吹いて、雨が降りました。
今朝は、黄色いクロッカスが一輪咲いていました。暖かな春の陽気になりました。
寛子叔母の遺骨をついにお墓に納めることにしました。実家のお墓に。
叔母は後継ぎがいなかったから、あとあと人に世話にならない方法を考えていました。
「海への散骨」。それも日本各地に…などと語っていました。
ところが墓地も買ってありました。筑波山を望む素敵な場所です。私もここに叔母と一緒に入ろうと思いました。
お墓を作ってしまうと、草取りをしなければなりません。後継ぎが必要です。
樹木葬が流行ってきたので、それの方が尚いいですね。
私には娘がありますが、今は遠くで働いていて、彼女が定年退職の60歳になる時には、私は88歳のおばあちゃんです。
福島の原発事故で今も海に流れ出ています。
そんな海に、叔母を入れることはできません。
娘も、ボディボードをするので、「泳げない海には帰って来ない」と言いました。原発事故の前までは大洗はサーフィンのできる海だったのです。
そんなこんな、いろいろ難しいことがあって、「お姉ちゃん、もう少し待ってて、私が65歳で退職したら、ゆっくり考えるから…」。
ところがまわりの状況が変わって来ました。
叔母の兄弟姉妹は9人もあったのに、今では二人しか残っていません。寛子叔母の下の妹と弟。下から2人です。
私の母も、自分が天国に行く時、「寛子はどうした?と聞かれる。連れて行かないとお父ちゃんに怒られる…。」
年老いた人達は、みんなそんな風に考えるようになるのでしょう。
お母ちゃんはいつも天国の父を思っています。
叔母はどうしてもらいたいのか?私は、一生懸命考えて暮らしました。
ところが、結局は父が整備しておいてくれた、実家の墓地に納骨するのです。
弟が叔母の亡くなる1日前位に話をして、叔母がうなずいたから、弟は約束を実行したい。
みんなの思いが熱いこの時が潮時なのかな…。
今日は親戚の叔父叔母に都合のよい日を決めてもらい、お坊さんや料理屋に手配しました。
今夜は御案内状の文面を考えました。
料理屋は日取りだけを決め、真壁のひなまつりが済んでから、打ち合わせをします。
この様子では、私は叔母を納骨したら、力尽きて、しばらくは寝込みそうです。