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旅するくも

『旅が旅であることを終わらせる為の記録』

ランタン谷 トレッキング 中編

2011-03-23 04:07:31 | 
トレッキングを始めて3日目。
小高い丘を登るとその先に突然15くらいのホテルが集まってできた村、
キャンジン・ゴンパ(3840m)が見えた。



時間はまだ午前11時くらいか。
住民はこの時間に観光客がくるとは思っていなかったようで、ホテルの外に出て
声をかけてくる人はいなかった。
このトレッキングで初めて人から声をかけられることなく自分からホテルの
レストランに立ち寄った。
ベンチに座ってミルクティーを飲みながら休憩して、最終目的地である
キャンジン・リ(4550m)に向かって歩き出そうとすると、ホテルの女性が
「今夜はどこに泊まるの?」と何とか解るカタコトの英語で言った。
「キャンジン・リだけど・・・。」
「テント、寝袋は持ってるの?あそこにはホテルもなければ水もないよ。」

ツアー会社にも確認してホテルがあることを知っていた僕は女性の言葉を
信じずに、新年につくるお祝い用の揚げパンをいただいたお礼にと、
少し多めにお金を渡しキャンジン・リへ出発することにした。
「ところでキャンジン・リはこの道?」ときくと女性は山を指差す。
『あそこに登って世界を眺めたらどんなに気持ちがいいんだろうか。』
と思うのと、
『あんなところまで行くのか!なんであそこを最終目的地にしてしまったんだ!』
と興奮と後悔が同時にやってくるような高い山があった。

登り始めると、すぐに後悔の方が大きくなった。
とにかく荷物が重い。
足を滑らせたら頭が取れるまで転げ落ちそうな斜面。
ただ平地を歩くのと山を登るのとでは感じる荷物の重さが10キロは違う。
おまけに、今歩いている道は明らかに違う山に向かっていることがわかった。
でも、ちゃんと頂上は見えている。
こうなったら!と僕は完全に道を無視して一直線で山を登ることにした。
これなら間違いなく頂上に着く。最短距離で!

無理やり山を登りはじめると誰かかが通った道を辿るよりもさらに大変で、
自分の心臓が脈打つ音が耳元で聞こえるようだった。
10分登っては休憩。
なんども繰り返していると僕の中に疑問がわいてきた。
『なんで登ってるんだ?』
考えてみれば今日登りきったら明日からまた来た道を戻るだけじゃないか。
そう思いながらも、引き返すことができない自分の性格。

そんなことを頭の中で考えながらも登り続けた。
そして、山の中間を越えたくらいで休憩しようと岩の上に荷物を投げるようにおき、
「あぁ~」と、ため息をつきながら腰を下ろすと同時に僕は無意識に
「気持ちいい」と声にしていた。

無意識に出た声に、僕はなんて素直じゃないだろうかと自分で自分を笑った。

キャンジン・リの頂上は静かで風で旗が音をたてていた。
驚いたことに頂上は崖になっていて、ホテルどころか何もなかった。
寝袋もテントも持っていないので、当然下まで降りてホテルに泊まることになる。
『何の為にこんな重い荷物を背負って登ったんだ!』と怒りたくなる気もしたが、
雪山に囲まれて世界を眺めていると、そんな事はどうでもよかった。

崖に立ってさっきまで自分がいた村を眺め、あたりを見回すと、おそろしい事に気がついた。
村から見えていた頂上の背後に下から見えていなかった、さらに高い山がある!

しばらくしてフランス人の家族(もちろん荷物は持っていない)がやってきた。
「ここがキャンジン・リだよね?」
「どうかな?ちょっと待って、見てみる。」
高度計にもなるらしい腕時計をみて彼は言った。
「4200メートル」

『嘘だろ!!!!』という思いでいっぱいだった。
頂上の高度まで350メートル足りない。
『あっちが頂上だったのか・・・。』
僕は岩の隙間に荷物をかくして、再び本当の頂上へ向けて歩き出した。

頂上で何をしていたかといえば、着いてすぐに写真を数枚撮ったこと以外は、
ただ静かにしていた。
しばらくして僕は立ち上がって両腕を広げて一人で何かを抱きしめる真似をした。
ただ地球を抱きしめたかったんだ。


ランタン谷 トレッキング 前編

2011-03-21 02:03:38 | 
ネパールでただ街をふらついて時間をつぶしたくなかったので、
もう一度トレッキングに行くことにした。

ネパールで2度目のトレッキング。
道さえわかればガイドはいらないので、今回は一人。
行き先はランタン谷、最終目的地はキャンジン・リ(4550m)。

カトマンズの宿を朝5時にバス停へ出発した。
砂埃が舞い上がる悪路を7時間ほどバスで移動。
その日の宿泊地シャンブルベシーに着き、バスの後部の
トランクに入れてあったバックパックが砂埃で真っ白に
なっていて、どれが自分のものかわからなくなっていた。

トレッキング初日、シャンブルベシー(1460m)から
ラマホテル(2340m)まで上りメインの道を進み、
ようやくラマホテルに着いた。
途中で知り合ったクリス(アメリカ)とハナス(イタリア)と
宿のオヤジが100ルピーと言うホテルに一緒に泊まることになった。

僕がコーラを飲んでいるとハナスが、
「それは、いつのコーラだ?10年くらい前のじゃないのか?」
などと冗談を言い、みんなで笑った。

夕食は外にあるホテルより少し安いレストランでネパール風焼きそばを食べた。
ホテルに帰ると宿のオヤジが、
「何でここで食べないんだ!ここはカトマンズじゃない!
ランタンでは自分の泊まっている場所で食事するのがルールなんだ!」
などと言い怒っていた。

翌朝、出発する時になって宿泊代の100ルピーを払おうとすると、
300ルピーになぜか料金が変更された。
理由を聞くと、トイレもシャワーにも金がかかっていて、ここで
食事をしなければ300ルピーだという。
最初に言っていた100ルピーにトイレとシャワーの料金が含まれて
いないのだとしたら、100ルピーは何の料金なのか全く理解できなかったが、
トレッキングの2日目の朝からイライラしたくないので、さっさと払って
出発することにした。

それからずっと家の前を通るたびに「お茶はどう?」と必ず声をかけられる。
近づいてきて握手を求めて次に出る言葉は「日本人?ヨーグルトはいらんか?」
泊まったホテルを出発するときは「次の街に友達の宿があるから、そこに泊まれ。」
すれ違う人は「日本人か?昨日はどこに泊まったんだ?」どこでお金を
使ったのかが気になるらしい。
それがトレッキング中ずっと続いた。

今回、トレッキングに一人できたのには理由があった。
ガイドがいると村の人や宿の人と接する事が極端に減るということが一番大きな
理由だったが、現地の人の目には観光客が歩いていると札束に見えるようで、
現地の人と接すると不愉快なことが、とにかく多かった。

雪山があり、その雪が融けて川が流れているとてもキレイな場所に住む人たちが、
お金によって変えられてしまったようで、とても寂しく感じた。

短すぎる橋

2011-03-20 16:15:19 | 
18日に成田について世田谷の小さな集まりに参加させてもらった。
そこでやっと日本の原発に対する現状が少しわかった。

地震後もいまだに工事をやめようとしない田ノ浦の現状。
世界一危険な地元の浜岡原発に対し停止を求めているのは
牧之原市(市町村合併のためもっとも中電からお金を受け取っていない市)だけ。
そもそも砂と泥が固まっただけの地層のうえに建つ浜岡原発が、川勝県知事は海沿いに14メートルの壁を作ることで安全とでも言いたいのか。

昨日、21時頃に地元についた。
友人のヘラヘラした顔が浮かんでくる。
バスはもうなかった。
3月11日から色んなものを無くし続け、5日前ネパールで最後に見た携帯も無くしたので連絡が取れない。
運良く何件か電話できても、珍しくみんな都合が悪く迎えにきてもらえなかった。

大きな満月。
久しぶりの地元。

たまには歩いて帰るかと覚悟を決めて、月明かりに照らされた道を1時間半ほど歩くことにした。

途中、大井川にかかる800メートルほどの橋を渡りながら考えたんだ。
来た道を戻ってそのまま飛行機に乗って、全部捨ててどこかに逃げちまいたいなって。
逃げたいって。
でも、それを決心させるのに800メートルの橋では短すぎた。
満月を眺め、短すぎる橋に文句を言いながら歩いて結局家に着いてしまった。
橋が短すぎたんだ。

しばらく静かにしていることにする。

ヘヨカあらわる

2011-03-17 13:34:23 | 
昨日はなんだか一日イライラしていた気がする。

宿はいつものとおり一階では日本人が集まって酒を飲み楽しそう。
そこはもう日本だ。
僕には、わざわざ海外に日本を持ち込むように集まる日本人が
全く理解できないので、四階のテラスで一人デイジュリドウをふいていた。

なにやら階段の方で動く影が気になる。
視線をむけると、そこにはポイという鎖を振り回し白人のオカマが踊っていた。
オカマを見た時、自分の目を疑ったが明らかに女性用の下着を着ており、
かなりいい歳した白人のオカマだった。

しばらくすると僕がいるテラスにオカマがマリフアナを吸いながらやってきた。
マリフアナと女性用の香水の匂いが交じりあって奇妙な匂いだった。
最初、15分ほど英語で話しかけてきたが、まともに喋れていないので何を言っているのか
分からなかったが、表情からオカマは御機嫌であることは間違いないようだった。

やっと何を言っているのかわかり始めたころ彼はこんなことを言った。

今日の朝、目が覚めて俺はまず言ったんだ。
YES! YES! YES!ってな。

YES!とガッツポーズをしながら言う白人のオカマ。
何を言い出すのか不安に思っている僕を完全に無視し続けて言う。

だってそうだろ!
日本で今日という日をむかえられなかった人が何人いると思うんだ?
でも、俺は目をさますことができて、今日という日をむかえられたんだ。
俺はなんてラッキーでなんてハッピーなんだ!!
最高だぜ!!

いまさら何を言っても遅すぎる。
だから大事なのは次に何をするかなんだって。

そう言うとオカマはテラスを一周して雨が止んだのを確認すると、

今からカオサン(世界中から観光客が集まる場所)に行って俺はポイを使って踊ってくる。
今夜はスターなってくるぜ!!

と言い去っていった。

一日怒りで満ちていた僕はこのオカマの白人に救われた。
あの人もヘヨカだったんだな。



YES!! YES!! YES!!

シバァの祭り

2011-03-10 22:02:16 | 
この前、ネパールの首都カトマンズではシバァの祭りだった。

お寺に出かけてみるととにかく、ひと!ヒト!人!
もの凄い人の中を歩いてしばらく祭りを見学。
見学といってもマリフアナを吸っているインド人を見ているだけだったが。

その日、面白かったのは、タメルという観光客が集まる場所から少し離れたところにある
友人宅から散歩しようと出てみると、道に子供たちがたくさんいた。
何をやっているのか気になりながらも、通り過ぎようとすると電信柱にヒモの片方を縛り付け、
もう片方をニコニコした子供が手に持ちヒモでゲートを作り通してくれなかった。

わけが分からないので、しばらく観察していると、他の通行人は子供にいくらかお金を渡して
通してもらっている。
話をきくと祭りの時にだけ子供に許された小遣い稼ぎのイタズラだそうだ。

さらに観察していると、子供の隙をみて走って通過する大人がいたり、
私には冗談は通じない!といった顔で通過していく大人がいたり面白い。
こどものいたずらは車やバイクまでにもおよんだ。
冗談の通じないバイクのドライバーはスピードもゆるめずにそのまま通過し、ヒモごと
子供が引っ張られていくということもあってイタズラするにもネパールでは大変だ。

初セッション!!

2011-02-28 14:38:12 | 
トレッキングから帰ってた翌日の土曜日。
ポカラというダム湖沿いにひろがる街にいた。
ダムのそばにある公園は日本の緑の寄付金?か何かで作られたものだそうだ。
ますます募金する気がなくなるような公園だった。

そんなポカラのメインストリートを歩いているとメインストリートの真ん中の大きな木の下で、
8人ほど太鼓を演奏する人達がいた。
2分ほどの曲を何ども演奏して、何がしたいのか判らなかったが非常に楽しそうだった。

部屋からデイジュリドウを片手に戻り、演奏にまぜてもらった。
神に捧げる曲だそうだが、わけもわからず一緒に演奏した。

人生初セッション!!

1時間半ほどで演奏は終わり、お疲れさま-!と、ミルクテイが出された。
金の事ばかり話してくるネパール人から出された無料のミルクテイは美味かった!

トレッキングの相棒

2011-02-28 14:37:51 | 
アンナプルナトレッキングに行くのにネパール人のガイドをつけた。

パダムという名前で38歳、見た目はギャングだ。
温泉に入っていると、外で待つしかめっ面のパダンに顔が怖くてお前はギャングみたいだな!と、
僕が言うと何故かギャングと言われたのが気に入ったらしく、おう!俺はギャングスターだからな、と喜んでいた。

そんなギャングスターは、ときどき冗談を言うくらいで普段は無口だ。
ある時ギャングスターが顔に似合わずリップクリームを塗っているので笑っていると、
俺が38歳でハンサムなのはこれのおかげだ。と、言っていた。

ゴレパ二、タダパ二という名前の村を通るとき、パ二ってどういう意味?と質問すると水という意味だと教えて
くれた。
それからゴレパ二、タダパ二、ジャパ二!!(日本人)と冗談を言い笑った僕に気をよくしたようで、
違う宿で同じ冗談をカナダ人に言うが無視されてギャングスターは悲しそうだった。

いつも僕の先を歩くギャングスターは離れすぎて見えなくなることが多々あった。
ある日、見えなくなったギャングスターにやっと追いついたと思ったら、いつの間にか若い白人の女性と
仲良くなって一緒に歩いているではないか。
二人仲良く座って、僕を待っているギャングスター。

突然、バービー人形のダンスミュージックを聴き出し、ノリノリなギャングスター。

日本人でトレッキングに行った人の中には、なぜかガイドの親戚が同行して3人でトレッキングに
行くことになったり、若いガイドで疲れてる時にひたすら話しかけてくるなどという目に合った人も多くいる。

ギャングスターがガイドになった僕は非常にラッキーだった。
無駄なことは喋らないし、時々冗談をいい、ガイドとしてもベテラン。
もし、ネパールでトレッキングする予定のある人は是非、ギャングスターをリクエストしてほしい。

アンナプルナ トレッキング

2011-02-28 14:00:20 | 
アンナプルナのトレッキングに行ってきた。
景色はまるでアメリカの沙漠で山を見ているかのようだった。
久しぶりに人の発する音が一切しない場所に立てたことがとても嬉しかった。

トレッキング中にたくさんの村を通ったけれど、その体験の中で印象的だったのは、
どの村も女性がとにかく元気だったことだ。
映画 もののけ姫の中でアシタカが良い村は女が元気だというセリフがあるけれど、
どの村も本当にいい村だった。

ずいぶんと昔には今回僕がみたような村が日本列島にもあったんだと思う。
とても良いものが見れたトレッキングだった。

眠れない夜

2011-02-26 12:31:37 | 
バンコクからネパールまではバングラデシュ経由の飛行機だった。
GMGという安い航空会社だったからか、バンコクの空港でゲートをぬけてからバスに乗り、
飛行機まで歩き滑走路から階段を使って飛行機に乗り込んだ。

機内にはバングラデシュ人の男だらけ。
シートナンバーも気にしないで好きなところに座っている。
機内はみんな家族のように盛り上がっている。
パイロットもそんな機内の雰囲気を感じてか飛行機が動き出しカーブを曲がり終える前に加速して、行くぞお!
と言わんばかりに、そのまま飛び立った。

離陸してからも機内は盛り上がったまま。
客室乗務員も男に負けず、いいかげんで機内食を通路側の席に座った人に預けて窓側の席にまわさせる。
そして、機内で昼寝をしていた。

バングラデシュに着いてからネパール出発までの18時間を空港内で過ごすことになった。
空港といっても特にやることはないので、空港内をウロウロしているとPRAYER ROOMというものを見つけた。
飛行機のパイロットやお客さんなどが続々とやってきて祈るのをボーッと観察。

夜になってベンチで寝ようとするが、とにかく信じられないくらいの量の蚊のせいで全く眠れない。
刺されると皮膚が熱くなるんだ。

どこかに眠るのにいい場所はないかと考えてるとPRAYER ROOMを思い出した。
さすがに祈りの部屋で寝ていたら怒られるだろなと思いながらドアを開けるとすでに10人ほど眠っていた。
その中にはガードマンまでいる。
寝場所を見つけて、よし!と思い横になるが、またしても蚊に邪魔されて眠れない。
サンダルに裸足なので1枚のビニール袋を靴下がわりに履いたが
それでも隙間から蚊がやってくる。

眠れん!

ゴミ箱をあさると機内で使う枕のカバーが2枚あったのでそれを履いて靴下にした。
それでも耳元にやってくる蚊のせいで寝れないので喫煙所でタバコを吸っていると、やってきた掃除係の若者2人と仲良くなった。
僕の足元を見て可哀そうに思ったのか、少し待ってて!と言ってどこかへ行ってしまった。
しばらくして輪ゴムを2つ持ってきてこの輪ゴムでカバーを止めた方がベターだ!とプレゼントしてくれ
僕の靴下が完成したが、もう朝になっていた。

アンナプンナー

2011-02-21 15:56:54 | 
ネパールに着いてからなんだか忙しくなって、今はアンナプルナ国立公園のトレッキングに来ている。
38度の高熱を無理やり薬でおさえて5800メートルまで登って本当に死ぬかと思った。