旅するくも

『旅が旅であることを終わらせる為の記録』

今日という日は贈りもの

2011-03-30 16:57:20 | 編集長の本棚
『今日という日は贈りもの』
ナンシー・ウッド
角川文庫

旅の中で持っていた本を全て読み終えてしまったのでどこかで本を入手したかった。
ネパールのカトマンズという町を歩いていると2万冊の日本の本を扱った店があった。

看板には2万冊、その隣りの看板には1万冊と書いてあった。
「どっちなんだろ」と思いながら店に入り、多分1万冊以下であろう本の中から読みたい本を探す。
そして、いくつか興味がある本の中から『今日という日は贈りもの』という本にした。

理由は簡単に読めてしまうものよりも、少し難しいものの方が良かったことと、
日本の僕の本棚に同じ本があり存在を知っていたからだった。
日本に帰ってから読めばいいのだけれど、このタイミングで読むことに何か意味がありそうな気がした。

『今日は死ぬのにもってこいの日』の著者でもあるナンシー・ウッドはタオス・プエブロで、
『レッド・ウィロー・ダンシング』という老人との出会いから、そこに暮らす人々と深く関わっていくことになる。

僕が好きだったのは「生きているということについて」だった。

『 生きているってどういうこと
と木に聞けば
一ヵ所に根を下ろすことさと答えるだろう。

生きているってどういうこと
と風に聞けば
吹きたい方に吹くことさと答えるだろう。

生きているってどういうこと
と虹に聞けば
地球のまわりに美をかけることさと答えるだろう。 』

ネイティブ・マインド

2011-03-28 02:44:12 | 
『ネイティブ・マインド』
~アメリカ・インディアンの目で世界を見る~
北山耕平 著
地湧社

日本を出る前に途中まで読んでいた本の続きを読むのをやめ、旅で途中まで
読んでいた本をやめて北山さんの代表作といわれる『ネイティブ・マインド』を
今日から読み始めた。

この本を読むのはこれで二度目。
一度目は7年前初めての一人旅から帰ってからだった。

僕が「いかに大事なことを知らないかを知る」きっかけになった本。
僕にとっての原点といえる本だ。
旅を始めた場所に戻った今回の旅。
旅から帰ってきて最初にまた、この本を読みたいと思っていた。

今回の2ヶ月の旅で多くはないが日本人の旅行者と話すことが何度かあり、
そんな旅行者と話をしていて僕が思ったことを正直にいうと、
「自分が本当に学びたいことを見つけられた自分はなんてラッキーなんだ」と
本気で思う。

僕にとって原点とはいえ、さすがに細かい内容まではほとんどおぼえていないだろうと
思うが、最初にこんな文があった。

『彼(女)もまた私が自然にそうしたように、手を伸ばせばすぐそこにある
連山を、そして天を抱きしめるように両手を広げたことだろう。』

『カンタ!ティモール』

2011-03-28 02:16:40 | 物語
昼間に『カンタ!ティモール』を観た。
昨日、広田監督の兄である直井さんが長野から浜松の上映会に
かけつけたようだ。
日本がこんなときだからこそ、多くの方に観てもらいたいと思う。
元気が出る栄養のある素晴らしい映画だった。

広田監督と話をして地元で上映会を考えているけど、今のところどうなるかは未定。


映画『カンタ!ティモール』予告編

ランタン谷トレッキング 後編

2011-03-27 04:05:36 | 
キャンジン・リ(4550m)をくだり、休憩でミルクティーを飲んだホテルに
泊まることにした。
ホテルの女性は『やっぱり帰ってきたんだ』という顔をしていた。

それから夕食を食べて、夜は冷えこむからブランケット借りた。
部屋に明かりがないからロウソクも借り、ベットに横になって今回の旅を思い出す。
すきま風で揺れるロウソクの火を眺めながら思い出すのは10日ほど前に行った
アンナプルナのトレッキングだった。

その日、出発の準備を終えて、ホテルのレストランにいき朝食を注文した。
テーブルにつき朝食を待っていると、オンマニペメフムという確か蓮の花が
何とかという意味の曲が流れていた。
ひたすらオンマニペメフムを何度も繰り返す曲を聴いていると、僕の目から
涙が溢れ出した。
感動しているわけでもなく自分でも訳がわからなかったが、涙が止まらず
泣きながら朝食を食べた。
初めて感情を全くコントロールできなくなった。
彼女と一緒に来ていたら、こんなに恥ずかしい自分を見られる事を考えると、一人で
来て良かったと思ったほどだった。
その日は、泣き続けた不思議な日だった。

ほんの数日前の出来事がずいぶん前のことのように感じる。
あと8日もすれば僕は日本にいる。
2ヶ月の旅がいつのまにか終わろうとしていることに寂しさを感じた。

このまま、旅でのことや日本での事を振り返っているうちに、朝が来てしまうん
じゃないかと少し心配した。
タバコでも吸おうと、部屋の小さな窓を開けると冷たい風が入ってきた。
冷たいのに、寒さは感じなかった。
窓の四角い小さな枠の中には、たくさんの星があった。
それは明らかにいままで僕が見たどこの星空よりも美しかった。
いつもの僕なら星空に興奮しそうなものだけれど、その時はベッドに横になって
窓の枠から見える星空をただ眺めてた。

しばらく星空を眺めて僕はブランケットに包まりながら迷っていた。
『部屋の外に出て星空を眺めようか、部屋の中でいいにしようか。』
凄く簡単なことなのに、何故だか僕は動こうともせず、迷っていた。

そんなことを考えていると今の僕の状況は旅に出る前に似てると思った。
部屋の中で星を見ている僕はまるで日本にいるようで、部屋の外には世界が広がって
いる気がした。
もちろん僕は外に出ることにした。

が!

信じられないことに玄関のドアには外からカギがかかっている。
ホテルが外部の人間に何か盗まれやしないかと念のためカギをしてあった。
『外に出れない!そんなオチらねぇ!!』と叫びたかった。
さっきまで外に出るか迷っていたくせに出れなくなると、ますます外に
出たくなるところは、やっぱり似ている。

5年前にアメリカのグランド・キャニオン国立公園に行ったときだった。
音は耳だけで聴くだけのものではないということを知った。
見えているものと聴こえるものに境界線なんてないと、あそこに行って体験から
知った。

カリフォルニアの原生林は久石譲、メキシコのジャングルはDeep forest、
アリゾナの砂漠の夜はLotus、グランド・キャニオンはTabla beat science。
そんな感じにその場所の音と人の音楽が重なることが今までにもたびたびあった。
どんな風景にも音があり音楽がある。

部屋でドアが開くのを待っていると誰かがドアの開ける音がし、やっと外に
出ることができた。

山の向こうに月が沈んだあとでも、雪山が見える。
僕が声を出したらその声がどこまでも響くくらいに空気が澄んでいて、
星が何か話しかけてきそうなくらいはっきりと見える。
その場と共鳴したかのように外側から静けさが僕の中まで伝わる。

静寂が聴こえる夜だった。



ランタン谷 トレッキング 中編

2011-03-23 04:07:31 | 
トレッキングを始めて3日目。
小高い丘を登るとその先に突然15くらいのホテルが集まってできた村、
キャンジン・ゴンパ(3840m)が見えた。



時間はまだ午前11時くらいか。
住民はこの時間に観光客がくるとは思っていなかったようで、ホテルの外に出て
声をかけてくる人はいなかった。
このトレッキングで初めて人から声をかけられることなく自分からホテルの
レストランに立ち寄った。
ベンチに座ってミルクティーを飲みながら休憩して、最終目的地である
キャンジン・リ(4550m)に向かって歩き出そうとすると、ホテルの女性が
「今夜はどこに泊まるの?」と何とか解るカタコトの英語で言った。
「キャンジン・リだけど・・・。」
「テント、寝袋は持ってるの?あそこにはホテルもなければ水もないよ。」

ツアー会社にも確認してホテルがあることを知っていた僕は女性の言葉を
信じずに、新年につくるお祝い用の揚げパンをいただいたお礼にと、
少し多めにお金を渡しキャンジン・リへ出発することにした。
「ところでキャンジン・リはこの道?」ときくと女性は山を指差す。
『あそこに登って世界を眺めたらどんなに気持ちがいいんだろうか。』
と思うのと、
『あんなところまで行くのか!なんであそこを最終目的地にしてしまったんだ!』
と興奮と後悔が同時にやってくるような高い山があった。

登り始めると、すぐに後悔の方が大きくなった。
とにかく荷物が重い。
足を滑らせたら頭が取れるまで転げ落ちそうな斜面。
ただ平地を歩くのと山を登るのとでは感じる荷物の重さが10キロは違う。
おまけに、今歩いている道は明らかに違う山に向かっていることがわかった。
でも、ちゃんと頂上は見えている。
こうなったら!と僕は完全に道を無視して一直線で山を登ることにした。
これなら間違いなく頂上に着く。最短距離で!

無理やり山を登りはじめると誰かかが通った道を辿るよりもさらに大変で、
自分の心臓が脈打つ音が耳元で聞こえるようだった。
10分登っては休憩。
なんども繰り返していると僕の中に疑問がわいてきた。
『なんで登ってるんだ?』
考えてみれば今日登りきったら明日からまた来た道を戻るだけじゃないか。
そう思いながらも、引き返すことができない自分の性格。

そんなことを頭の中で考えながらも登り続けた。
そして、山の中間を越えたくらいで休憩しようと岩の上に荷物を投げるようにおき、
「あぁ~」と、ため息をつきながら腰を下ろすと同時に僕は無意識に
「気持ちいい」と声にしていた。

無意識に出た声に、僕はなんて素直じゃないだろうかと自分で自分を笑った。

キャンジン・リの頂上は静かで風で旗が音をたてていた。
驚いたことに頂上は崖になっていて、ホテルどころか何もなかった。
寝袋もテントも持っていないので、当然下まで降りてホテルに泊まることになる。
『何の為にこんな重い荷物を背負って登ったんだ!』と怒りたくなる気もしたが、
雪山に囲まれて世界を眺めていると、そんな事はどうでもよかった。

崖に立ってさっきまで自分がいた村を眺め、あたりを見回すと、おそろしい事に気がついた。
村から見えていた頂上の背後に下から見えていなかった、さらに高い山がある!

しばらくしてフランス人の家族(もちろん荷物は持っていない)がやってきた。
「ここがキャンジン・リだよね?」
「どうかな?ちょっと待って、見てみる。」
高度計にもなるらしい腕時計をみて彼は言った。
「4200メートル」

『嘘だろ!!!!』という思いでいっぱいだった。
頂上の高度まで350メートル足りない。
『あっちが頂上だったのか・・・。』
僕は岩の隙間に荷物をかくして、再び本当の頂上へ向けて歩き出した。

頂上で何をしていたかといえば、着いてすぐに写真を数枚撮ったこと以外は、
ただ静かにしていた。
しばらくして僕は立ち上がって両腕を広げて一人で何かを抱きしめる真似をした。
ただ地球を抱きしめたかったんだ。


『田中優×小林武史 対談』

2011-03-21 21:32:23 | 素晴らしき日々
ラジオやテレビなどで日本が早く元どおりになるように願う声がたくさんある。
でも、本当に元どおりになられても困る。
被災された方たちが元の生活になることは僕も願う者であるけれど、
原発や社会に全くそのまま戻られたら困るわけ。

だって、ここで変わんなきゃいつ変わんのさ。

田中優さんがそんなことをテーマに小林武史さんと対談している。
どう変化すべきなのかという経済や社会の上に立った人の提案する一例。

『田中優×小林武史 対談』→ http://www.eco-reso.jp/feature/cat1593/20110318_4983.php

優さんの顔がとても疲れている。
いつ寝てるのか不思議な人だけれど、特に今はほとんど寝てないんじゃないかな。

地球の上で

2011-03-21 15:01:29 | 素晴らしき日々
成田から池袋について驚いたのは居酒屋の客引きが普通に行われていたことだった。
僕の東京に住む友人達は東京から関西などに非難していった友人が多数いる。
逆に自分の場所はここだからと、残る人も少ないが何人かいる。

謝りながら東京を離れていった友人もいたようだ。
「どこにいるかではなく、誰といるかだ」と、言う友人もいる。
どちらが正しいとか、どちらが間違っているといいたい訳じゃなくて、なんとなく東京にいる
という友人がいないことが僕は嬉しく思った。
問題があるとしたら、なんとなく地球の上に立っていることが、きっと一番の問題なんだろうな。

今日は東京は雨。
予想されていたように『都内における大気浮遊塵中の核反応生成物の測定結果』の数値がかなり上昇している。
東京に住む方はできるだけ、外出を控えた方が良いと思う。

『都内における大気浮遊塵中の核反応生成物の測定結果』
http://www.sangyo-rodo.metro.tokyo.jp/whats-new/measurement.html

ランタン谷 トレッキング 前編

2011-03-21 02:03:38 | 
ネパールでただ街をふらついて時間をつぶしたくなかったので、
もう一度トレッキングに行くことにした。

ネパールで2度目のトレッキング。
道さえわかればガイドはいらないので、今回は一人。
行き先はランタン谷、最終目的地はキャンジン・リ(4550m)。

カトマンズの宿を朝5時にバス停へ出発した。
砂埃が舞い上がる悪路を7時間ほどバスで移動。
その日の宿泊地シャンブルベシーに着き、バスの後部の
トランクに入れてあったバックパックが砂埃で真っ白に
なっていて、どれが自分のものかわからなくなっていた。

トレッキング初日、シャンブルベシー(1460m)から
ラマホテル(2340m)まで上りメインの道を進み、
ようやくラマホテルに着いた。
途中で知り合ったクリス(アメリカ)とハナス(イタリア)と
宿のオヤジが100ルピーと言うホテルに一緒に泊まることになった。

僕がコーラを飲んでいるとハナスが、
「それは、いつのコーラだ?10年くらい前のじゃないのか?」
などと冗談を言い、みんなで笑った。

夕食は外にあるホテルより少し安いレストランでネパール風焼きそばを食べた。
ホテルに帰ると宿のオヤジが、
「何でここで食べないんだ!ここはカトマンズじゃない!
ランタンでは自分の泊まっている場所で食事するのがルールなんだ!」
などと言い怒っていた。

翌朝、出発する時になって宿泊代の100ルピーを払おうとすると、
300ルピーになぜか料金が変更された。
理由を聞くと、トイレもシャワーにも金がかかっていて、ここで
食事をしなければ300ルピーだという。
最初に言っていた100ルピーにトイレとシャワーの料金が含まれて
いないのだとしたら、100ルピーは何の料金なのか全く理解できなかったが、
トレッキングの2日目の朝からイライラしたくないので、さっさと払って
出発することにした。

それからずっと家の前を通るたびに「お茶はどう?」と必ず声をかけられる。
近づいてきて握手を求めて次に出る言葉は「日本人?ヨーグルトはいらんか?」
泊まったホテルを出発するときは「次の街に友達の宿があるから、そこに泊まれ。」
すれ違う人は「日本人か?昨日はどこに泊まったんだ?」どこでお金を
使ったのかが気になるらしい。
それがトレッキング中ずっと続いた。

今回、トレッキングに一人できたのには理由があった。
ガイドがいると村の人や宿の人と接する事が極端に減るということが一番大きな
理由だったが、現地の人の目には観光客が歩いていると札束に見えるようで、
現地の人と接すると不愉快なことが、とにかく多かった。

雪山があり、その雪が融けて川が流れているとてもキレイな場所に住む人たちが、
お金によって変えられてしまったようで、とても寂しく感じた。

短すぎる橋

2011-03-20 16:15:19 | 
18日に成田について世田谷の小さな集まりに参加させてもらった。
そこでやっと日本の原発に対する現状が少しわかった。

地震後もいまだに工事をやめようとしない田ノ浦の現状。
世界一危険な地元の浜岡原発に対し停止を求めているのは
牧之原市(市町村合併のためもっとも中電からお金を受け取っていない市)だけ。
そもそも砂と泥が固まっただけの地層のうえに建つ浜岡原発が、川勝県知事は海沿いに14メートルの壁を作ることで安全とでも言いたいのか。

昨日、21時頃に地元についた。
友人のヘラヘラした顔が浮かんでくる。
バスはもうなかった。
3月11日から色んなものを無くし続け、5日前ネパールで最後に見た携帯も無くしたので連絡が取れない。
運良く何件か電話できても、珍しくみんな都合が悪く迎えにきてもらえなかった。

大きな満月。
久しぶりの地元。

たまには歩いて帰るかと覚悟を決めて、月明かりに照らされた道を1時間半ほど歩くことにした。

途中、大井川にかかる800メートルほどの橋を渡りながら考えたんだ。
来た道を戻ってそのまま飛行機に乗って、全部捨ててどこかに逃げちまいたいなって。
逃げたいって。
でも、それを決心させるのに800メートルの橋では短すぎた。
満月を眺め、短すぎる橋に文句を言いながら歩いて結局家に着いてしまった。
橋が短すぎたんだ。

しばらく静かにしていることにする。