旅するくも

『旅が旅であることを終わらせる為の記録』

九州3000キロ

2012-02-23 23:25:52 | 7 Generations walk.
大阪駅で山田さんと合流して真っ暗な山陽道を九州に向かってアクセルを
踏み続けること6時間、山口県のSAで力尽きて寝る。
翌日の午前中に福岡に着いた。
そこから9日間の総移動距離3000キロに及ぶ激しい九州下見ツアーが
始まった。

福岡、糸島、玄海原発、伊万里、諫早、原爆資料館、長崎、水俣、出水、
川内原発、姶良、鹿児島、八代、熊本、宇城、高森、阿蘇、菊池、国東という
地名を記憶するだけでもやっとの数。
そこで出会うたくさんのひと、人、ヒト!

九州で中心となって動いている方たちに会うことができて、非常に楽しい日々
だったのは言うまでもないが、なにより10月に九州で出会い、離れて暮らす
仲間との再会は本当に嬉しかった。







最終日は阿蘇のアンナプルナ農園で、これまた10月に会って以来
久しぶりに正木高志さんにお会いした。

僕らがアンナプルナに着いたこの日の朝に正木さんはある夢を見たそうで、
それはヴィジョンとも呼べるようなはっきりしたものだったそうだ。
その夢は日本のどこかで、きのこ雲が上がる夢だったそうだ。

正木さんは話の中で樹が倒れ、倒れた樹から新たな樹が芽生えるように、今の
文明が終わってから新たな文明が始まると言われていた。
それは今の文明がそのまま持続可能な新たな世界にはならないということを
強調して言っているのだと僕は思った。

311の震災では今の文明は破滅の方向から切り替わっておらず、このまま
破滅の道を歩み続ければ、最終的には核戦争になると言われ、生き残るのは
世界の約4割だろうと言われていた。
正木さんはイモムシと蝶の違いは持っているものの重さの違いで、とにかく
自分が捨てれるだけ捨てて、生き残る為に身を軽くしておく必要があると
言われていた。

僕もこの世界がこのまま行くはずが無いと思っているひとりだ。
福島の原発事故では終わらずに、経済やエネルギーが色んな角度から崩壊し
たくさんの人が死ぬと思う。
そろそろ、生き残る為の準備をした方が良さそうだと思わないか?

九州の下見は雑になってしまったけど、7Gのブログにまとめてあるので
気になる方はどうぞ。
http://blog.7gwalk.org/

リハビリ終了

2012-02-12 16:55:43 | 素晴らしき日々
洗濯物が他人のものと混じらないよう、シャツに付けてくれた糸が
ネパールへ行った時のままシャツについている。
長野に行った時、車の中で洗濯物を干すのに使ったハンガーが
そのままだ。

映画を3日で13本観たり、本を読んだりのんびりすごした。
日本に帰ってきて一ヶ月がたって、ようやく日本にも慣れてリハビリが
終わった気がする。

いまは浜松から大阪へ向かうバスの中。
なかなかブログで僕の台湾での大冒険の話が終わらないままだけど、
大阪で7Gの山田さんと合流して3月11日からはじまるウォークで歩く
九州の下見をしてくる。

このごろ、僕の流行は最後に「humanERRORだぜ!」を付けることだ。
どのように使うのかというと、
「大阪までバスで3880円!humanERRORだぜ!
と、そんな感じだ。

FORMOSA自転車の旅

2012-02-10 23:25:34 | Quiet Adventure
台南から自転車をこぎだして、しばらくは緊張と興奮が入り交じってたが
時間とともに僕の緊張はほぐれ、興奮だけがそのまま残り平らな道を意味も無く立ち漕ぎ
していた。
たった2泊3日の限られた時間の自転車の旅が大冒険のように感じていたからだった。

そんな僕にもある心配事があった。
「想像以上に進みすぎてゴールである300キロ先の花蓮まであっというまに着いて
しまったらどうしよう」という事だったが、全くいらぬ心配だった。

マウンテンバイクにママチャリのサドルとハンドルの自転車は信じられないくらい
スピードがでない。
タイヤが太すぎるのだ。

道に迷って同じところをグルグルまわっている途中、バックパックからはみ出た
ディジュリドゥが木に引っかかって地面に叩き付けられ割れるアクシデントが起きた。
それは僕の想像を絶するほどの方向音痴が招いた結果だった。
さらに台湾の標識が不親切ということも加わって最初の大きな街である高雄を通るだけで
迷いに迷って5時間もかかる始末。

シャネルだのルイヴィトンだの、高級な店に群がるキレイな台湾女性を自転車で
眺めながら進むことさらに1時間半。
また道に迷った僕は、ひらきなおってカフェでタピオカミルクティ(約100円)を
注文していた。

時刻は夜9時すぎ。

暗くなる前に宿泊場所を見つける僕の計画は4時間前に白紙になっている。
何とか街を抜け出す空港沿いの薄暗い道を進みながら寝床を探すが、今度は永遠と工業団地が
つづく。
人気の無い空き地も公園もなければ、海岸は遥かむこう。

知らぬ土地で道に迷いつづけ、やけくそになった僕は幅3メートルほどで木が茂った中央分離帯に
視線を注いでいた。

「ここしかない!」

車が数分間途切れる隙を狙って自転車を中央分離帯へ乗り上げて倒し、目立たぬよう隠し、
あたりを見回す。

「いける!」

そのままゴソゴソとテントを建て初日54キロの距離を終えた。
翌朝、大型トラックの轟音とともに起床し、うまれて初めて中央分離帯で朝を迎えることになる。
まさしく大冒険である。

Lj,7G,UA

2012-02-07 23:00:33 | 7 Generations walk.
88とともに菊池さんが編集長を務めるフリーペーパーLj(Life for Journey)の
最新号025に7GenerationsWalk代表の山田さんのインタビューが載ったので
手にした方には読んで欲しい。

2012年、今年の7Generationswalkは3月11日に神奈川の藤野から沖縄へ
移ったUA主催の「ティダノワ祭り」を出発し、途中1ヶ月の休みを入れ
沖縄、九州、四国、近畿、中部、関東などを約7ヶ月間を歩く予定だ。

この前、浜松に代表の山田さんが来た時に、2人でYouTubeのアップロードや
Facebookに7Generationswalkのページを朝4時までかけて作ったので、今年の
7GenerationsWalkは発進力も増すかたちになればと思う。

Lj http://www.ljljlj.com/about/
ティダノワ祭り http://tidanowa.ti-da.net/
7Generationswalk http://www.7gwalk.org/
7Generationswalk Facebookぺージ
http://www.facebook.com/pages/7-GenerationsWalk/364851686862801

FORMOSA

2012-02-06 22:20:42 | Quiet Adventure
台南に着いた翌日の朝。
僕は落ち着きがなく、少しの興奮と緊張でいつもより口数が多かった。

通訳のダン君の父親が拾ってきたというハンドルとサドルがママチャリ仕様で
それ以外がマウンテンバイクという、おかしな自転車を手に入れた。
自転車を車に積んで、自転車屋で整備しパンクした場合のチューブの修理方法を
教えてもらい工具も貸してもらった。

午後2時過ぎだ。

自転車のかごには上着、地図、工具と少しの水。
テントと寝袋を詰めたバックパックからはディジュリドゥがはみだしている。
これから二泊三日の台湾自転車300キロの旅が始まろうとしていた。

台湾を離れる飛行機の出発時間まで、僕には四日という中途半端な時間があった。
考えに考え、考えたあげく僕は台南(南側)から花蓮(東側)という街まで
行くことにしたのだ。


地図 Wikipediaより


このルートを選んだ理由はいくつかある。
時計回りに高雄から台北(徒歩)、台北から花蓮(電車)までは行っていたが、
反対側の高雄から花蓮までは観ることができていなかったということと、かつて
ポルトガル語でFORMOSA(美しい島)と呼ばれた島の特に美しいといわれている
東側を観ることができていなかったからだった。
それを自転車でやろうと思ったのは、それなりに色々やってきた僕の旅は
不思議なことに海外を自転車で移動したことが一度もなかったからだろうか。
あるいは、当時まだ知らなかったクワィエットスポーツという
『日々を静寂で満たしていく運動』をしてみたかったのかも知れない。

とにかく僕はバックパックを背負いダン君のオヤジさんが拾ったという、盗んだで
あろう自転車に股がりFORMOSAを訪れる旅にでたわけである。

台湾巡礼報告会

2012-02-03 16:28:42 | Quiet Adventure
台北でゴールしたあと花蓮という街の近くにあるアミ族の村で新年を
迎え、台北に戻り市内のカフェで台湾巡礼の報告会をした。



映像と歌に加え、参加者の感想を持ち時間はひとりたったの10分で話す。
この10分で感想や思いを伝えるが、ひとりひとりがとにかく濃い内容で、
予想以上に集まった25人ほどのお客さんから質問は無く、ただ「感動した」
と言うだけだった。
それがお世辞ではないということは、その場にいた誰もがわかっていた。
報告会が無事に終わり、みんなそれぞれの国に帰って行き、ウォークは
終わっていった。



それから僕は通訳のダン君と台南へ1ヶ月のあいだ歩いてきた道を車で戻り、
思い出話に花を咲かせながら9時間のロングドライブ。
台湾巡礼は終わっても、僕の台湾の旅は簡単には終わらない。