毎朝、5時半に起きて仕事に行くのだけれど、早寝早起きは気持ちがよいものだ。
そんな早起きして出かける仕事が最近はおもしろい。
どこの現場とは言えないが、ある現場で手伝いにきた前歯が金歯の
爺さんが、せっせと植栽400本を草刈機で伐ってしまい逆ギレする
事件があったり、一緒に働く同じ中学の2つ年下の男が2年間引きこもり
だったらしく、彼の生き方を僕の生活にも生かそうと、引きこもり生活の
過ごし方を毎日徐々に聞き出している。
仕事しかしていない日が多いけれど、これはこれで楽しいものだ。
時々できた休日などには、前からやりたかった草木染めをすることが僕の
ブームである。
しかし、草木染めについて知識が無いにひとしいので、以前こんな本を買ってみた。
Colours from Plant Dyes
『草木染』
山崎和樹 編著
山と渓谷社
(なぜか著者のサイン入りだ)
煮だして染料を取ったり、しぼり方などを実験したり本を読みながら
染めて遊ぶのが楽しみなのである。
今は実験段階でこれからはTシャツなどを染めてみるつもりだ。
春が近づいて足下のヨモギが目に入ると、「ヨモギはどんな色が出るのか」と
初めたばかりのクセに、そんなことを想像するようになった。
春になって世界が緑で覆われているけれど、興味深いのは、緑と呼べる色が
植物から染料として取れないことがまた面白い。
藍で染めた色を藍色というように染められるものから色の名前が決まっている
ことが多いことから考えても、やはり緑というのは比較的、最近になって認識
されるようになった色だろう。
ちなみに緑色を出す場合は藍と黄色を重ねて染めるか、ケミカルな染料を
使用するのだけれど、僕は初心者にも関わらずケミカルな染料は使わないという
こだわりっぷりだ。
20歳くらいから真っ白なものを着なくなったかわりに、一色で飽きがこない
無地のものを好んで着るようになってから色を楽しむようになった。
色の向こう側にはたくさんのものがつまっている。
それは音であったり、匂いや感情が確かにそこには存在していると思う。
色と自分の中が共鳴すると言った方が正しいかも知れない。
イラストをやっている友人たちには申し訳ないことを言うかも知れないが、
表現するのに線ですら必要ではないと僕は思っているし、音や色、それぞれに
境目がないということも旅をしながら体験し……。
長々と理屈を書いてもしょうがないので、一言で済ませると、
『 色って、たのしいな! 』
タマネギで染めた絞り染め実験結果
そんな早起きして出かける仕事が最近はおもしろい。
どこの現場とは言えないが、ある現場で手伝いにきた前歯が金歯の
爺さんが、せっせと植栽400本を草刈機で伐ってしまい逆ギレする
事件があったり、一緒に働く同じ中学の2つ年下の男が2年間引きこもり
だったらしく、彼の生き方を僕の生活にも生かそうと、引きこもり生活の
過ごし方を毎日徐々に聞き出している。
仕事しかしていない日が多いけれど、これはこれで楽しいものだ。
時々できた休日などには、前からやりたかった草木染めをすることが僕の
ブームである。
しかし、草木染めについて知識が無いにひとしいので、以前こんな本を買ってみた。
Colours from Plant Dyes
『草木染』
山崎和樹 編著
山と渓谷社
(なぜか著者のサイン入りだ)
煮だして染料を取ったり、しぼり方などを実験したり本を読みながら
染めて遊ぶのが楽しみなのである。
今は実験段階でこれからはTシャツなどを染めてみるつもりだ。
春が近づいて足下のヨモギが目に入ると、「ヨモギはどんな色が出るのか」と
初めたばかりのクセに、そんなことを想像するようになった。
春になって世界が緑で覆われているけれど、興味深いのは、緑と呼べる色が
植物から染料として取れないことがまた面白い。
藍で染めた色を藍色というように染められるものから色の名前が決まっている
ことが多いことから考えても、やはり緑というのは比較的、最近になって認識
されるようになった色だろう。
ちなみに緑色を出す場合は藍と黄色を重ねて染めるか、ケミカルな染料を
使用するのだけれど、僕は初心者にも関わらずケミカルな染料は使わないという
こだわりっぷりだ。
20歳くらいから真っ白なものを着なくなったかわりに、一色で飽きがこない
無地のものを好んで着るようになってから色を楽しむようになった。
色の向こう側にはたくさんのものがつまっている。
それは音であったり、匂いや感情が確かにそこには存在していると思う。
色と自分の中が共鳴すると言った方が正しいかも知れない。
イラストをやっている友人たちには申し訳ないことを言うかも知れないが、
表現するのに線ですら必要ではないと僕は思っているし、音や色、それぞれに
境目がないということも旅をしながら体験し……。
長々と理屈を書いてもしょうがないので、一言で済ませると、
『 色って、たのしいな! 』
タマネギで染めた絞り染め実験結果
去年、京都で初めてお会いしたアイヌアートプロジェクト代表の結城幸司さん
と知り合いが企画したイベントで、またお会いすることができた。
特に夜、結城さんも交えて複数人で焚火を囲みながら話を聞かせてもらえた
ことと、ある程度の時間をまわりに遠慮なく二人で話ができたことは嬉しかった。
ハワイのタイガーが亡くなる一年前に交わしたカマクラ号建造の約束の話や
アイヌのカヌーの構造についてや、建造方法。
今年行われる東ティモールのエゴレモスとの北海道ツアー予定やデニス・バンクスや
アラスカの語り部ボブ・サムの話など聞かせてもらえて、そのままずっと話を
していたいと思った。
僕がこの機会に特に聞きたかった、オホーツク文化と察文文化が後にアイヌという
総称で呼ばれていることについて、結城さんに聞くと、連続している時間を無理矢理に
境界線を引き、区切ろうとする考古学の落とし穴について話をしてくれた。
結城さん言っている事について、僕もわかっていることろをあえて質問したので
驚くことはないのだけれど、僕の質問の答えに、そう返答するところに結城さんの
人柄がよく出た質問の内容以上のものがかえってくる楽しい時間だった。
ついでに言っておくと、結城さんも漫画のワンピースが面白いと言っていた。
と知り合いが企画したイベントで、またお会いすることができた。
特に夜、結城さんも交えて複数人で焚火を囲みながら話を聞かせてもらえた
ことと、ある程度の時間をまわりに遠慮なく二人で話ができたことは嬉しかった。
ハワイのタイガーが亡くなる一年前に交わしたカマクラ号建造の約束の話や
アイヌのカヌーの構造についてや、建造方法。
今年行われる東ティモールのエゴレモスとの北海道ツアー予定やデニス・バンクスや
アラスカの語り部ボブ・サムの話など聞かせてもらえて、そのままずっと話を
していたいと思った。
僕がこの機会に特に聞きたかった、オホーツク文化と察文文化が後にアイヌという
総称で呼ばれていることについて、結城さんに聞くと、連続している時間を無理矢理に
境界線を引き、区切ろうとする考古学の落とし穴について話をしてくれた。
結城さん言っている事について、僕もわかっていることろをあえて質問したので
驚くことはないのだけれど、僕の質問の答えに、そう返答するところに結城さんの
人柄がよく出た質問の内容以上のものがかえってくる楽しい時間だった。
ついでに言っておくと、結城さんも漫画のワンピースが面白いと言っていた。
『サバイバル時代の海外旅行術』
高城剛 著
光文社新書
明るいニート生活をエンジョイしているはずが、このごろの僕は休みも無く体調を
崩しながら働いていて、このままでは金持ちになってしまう。
例えば年収600万稼いで生活に必要なお金が550万の忙しい人間と、僕のように
年収100万で生活に必要なお金が65万で、使える時間がたっぷりな人間とどちらが
いいのか、人それぞれであるがどちらも経験した僕は後者を選択する人間である。
先週の土曜に友人の結婚式で特に共通の話題がない友人には、ひたすらこんな話を
したものだった。
でも、定期的な仕事に就くことなく地元で年収100万というのは簡単なようでなかなか
難しいものだ。
会社の基本的ニーズは週に5日出勤し、残業に文句も言わずに働く人材。
僕はその真逆で仕事をしたい時にして、やりたくない仕事は極力やらないという人物である。
これではさらに難しい。
しかし、こんな僕でも定期的に働く仕事から離れて2年という時間はかかったけど、
多少の不自由はあるものの最近になってようやく、そんな僕の求めていた仕事を
見つけることができたのだ。
これで、しばらくは生活していけるだろう。
30年で壊れる家をローンで買って30年間銀行にローンを返済し、銀行にお金をくれてやる
ような趣味は僕にはないし、30年間で何かあったときの為にと高額の生命保険に加入する
趣味もない。
そういう変な趣味がなければ何とかなるものである。
と、こんな感じの事が旅行に関して、ダラダラと書いてある本。
高城剛 著
光文社新書
明るいニート生活をエンジョイしているはずが、このごろの僕は休みも無く体調を
崩しながら働いていて、このままでは金持ちになってしまう。
例えば年収600万稼いで生活に必要なお金が550万の忙しい人間と、僕のように
年収100万で生活に必要なお金が65万で、使える時間がたっぷりな人間とどちらが
いいのか、人それぞれであるがどちらも経験した僕は後者を選択する人間である。
先週の土曜に友人の結婚式で特に共通の話題がない友人には、ひたすらこんな話を
したものだった。
でも、定期的な仕事に就くことなく地元で年収100万というのは簡単なようでなかなか
難しいものだ。
会社の基本的ニーズは週に5日出勤し、残業に文句も言わずに働く人材。
僕はその真逆で仕事をしたい時にして、やりたくない仕事は極力やらないという人物である。
これではさらに難しい。
しかし、こんな僕でも定期的に働く仕事から離れて2年という時間はかかったけど、
多少の不自由はあるものの最近になってようやく、そんな僕の求めていた仕事を
見つけることができたのだ。
これで、しばらくは生活していけるだろう。
30年で壊れる家をローンで買って30年間銀行にローンを返済し、銀行にお金をくれてやる
ような趣味は僕にはないし、30年間で何かあったときの為にと高額の生命保険に加入する
趣味もない。
そういう変な趣味がなければ何とかなるものである。
と、こんな感じの事が旅行に関して、ダラダラと書いてある本。
国というのは大地の上に敷かれた絨毯のようなものである。
この我々が暮らすこの絨毯の上の出来事は人の手で作り出された、
いわばフィクションである。
あらかじめ大地との繋がりを断たれ、リアルさを決定的に欠いた
フィクションの中にいる我々が、あらゆるものが無限で永遠であるかのように
信じ込まされた世界から目覚め、どうすればもう一度大地との繋がりを
取り戻せるのか。
それは、一歩も前に進めなくなるまで大地の上を歩き続けることかも
しれないし、森の中で静かにひとりの時間を持つことなのかもしれない。
もういちど大地と繋がり、地球というひとりの女性の扱い方を学び、
誰もが自由で、平和で、平等な世界を取り戻そう。
この我々が暮らすこの絨毯の上の出来事は人の手で作り出された、
いわばフィクションである。
あらかじめ大地との繋がりを断たれ、リアルさを決定的に欠いた
フィクションの中にいる我々が、あらゆるものが無限で永遠であるかのように
信じ込まされた世界から目覚め、どうすればもう一度大地との繋がりを
取り戻せるのか。
それは、一歩も前に進めなくなるまで大地の上を歩き続けることかも
しれないし、森の中で静かにひとりの時間を持つことなのかもしれない。
もういちど大地と繋がり、地球というひとりの女性の扱い方を学び、
誰もが自由で、平和で、平等な世界を取り戻そう。
『 NEITHER WOLF NOR DOG
忘れられた道
ON FORGOTTEN ROADS WITH AN INDIAN ELDER 』
KENT NERBURN 著
児玉敦子 訳
講談社
なぜインディアンは白人に虐殺されることになったのか。
どうすれば、白人がインディアンとともに生きていくことが
できるのか。
あるインディアンの老人が著者で白人であるケント・ナーバーンに
向けて語った正直な物語である。
「わしらは怒りを忘れなければならない。
わしが自分の怒りを葬り去ることができなければ、
子どもたちがその仕事を引き受ける。
それでもだめなら、そのまた子どもたち、そのまた子どもたちが
引き継ぐ。わしらは心の囚人なのだ。」
本文より
僕が初めてアメリカに行った23か24歳のときだった。
当時、アメリカ先住民を聖者のように僕は思っていた。
僕はロスで借りた白いフォードに乗って、グランドキャニオンから
ホピ族の居留地に向けてはしっているときだった。
僕は沙漠の道しか無い場所で車を停めた。
車を停めたのはひとりのインディアンがヒッチハイクをしていたからだった。
車に乗り込むと目的地を言うわけでもなく、彼は無言で座っていて、
あるハンバーガー屋の前に来た時「停めてくれ」と言った。
車を道のわきに停めると、今度は「金がほしい」と言うので、コインを渡すと
「札を。腹が減ってるんだ。」と言い僕から5ドルを受け取って何も言わずに
車を降りていった。
そのアメリカでの出来事を思い出させる本だった。
アメリカ先住民を聖者か何かと思っている方には、誤解を解くという意味でも
読んだ方がいいだろうと思う。
新品を手に入れるのは難しいと思うので、中古でもなんでも早めに入手することを
お勧めする。
いい本だ。
忘れられた道
ON FORGOTTEN ROADS WITH AN INDIAN ELDER 』
KENT NERBURN 著
児玉敦子 訳
講談社
なぜインディアンは白人に虐殺されることになったのか。
どうすれば、白人がインディアンとともに生きていくことが
できるのか。
あるインディアンの老人が著者で白人であるケント・ナーバーンに
向けて語った正直な物語である。
「わしらは怒りを忘れなければならない。
わしが自分の怒りを葬り去ることができなければ、
子どもたちがその仕事を引き受ける。
それでもだめなら、そのまた子どもたち、そのまた子どもたちが
引き継ぐ。わしらは心の囚人なのだ。」
本文より
僕が初めてアメリカに行った23か24歳のときだった。
当時、アメリカ先住民を聖者のように僕は思っていた。
僕はロスで借りた白いフォードに乗って、グランドキャニオンから
ホピ族の居留地に向けてはしっているときだった。
僕は沙漠の道しか無い場所で車を停めた。
車を停めたのはひとりのインディアンがヒッチハイクをしていたからだった。
車に乗り込むと目的地を言うわけでもなく、彼は無言で座っていて、
あるハンバーガー屋の前に来た時「停めてくれ」と言った。
車を道のわきに停めると、今度は「金がほしい」と言うので、コインを渡すと
「札を。腹が減ってるんだ。」と言い僕から5ドルを受け取って何も言わずに
車を降りていった。
そのアメリカでの出来事を思い出させる本だった。
アメリカ先住民を聖者か何かと思っている方には、誤解を解くという意味でも
読んだ方がいいだろうと思う。
新品を手に入れるのは難しいと思うので、中古でもなんでも早めに入手することを
お勧めする。
いい本だ。
昨日は仲間4人とスタジオに入った。
バンドをちゃんと組んだわけではないのだけれど、先月、遊びでスタジオに入って
音を合わせてみたら予想以上に良かったことと、かなり楽しかったということで、
また集まることになったわけである。
楽器はギター×2、カホン、ドラム、ディジュリドゥという構成で何を決めることも
無く勝手に始まる感じだ。
一度はじまってしまうと30分は続く。
最近、朝早くから仕事へ行き、疲れて翌朝に備えて寝る感じで、やりたいことが
できなかったので、スタジオで遊ぶ時間がずいぶんと前から僕の楽しみだったのだ。
あいだに休憩を入れて4時間ガッツリと僕はディジュリドゥを吹きまくる。
ギターやら自分の音、真横のドラムが鳴り響いているなか、音に集中したくて目を
閉じると、僕は違う場所にいることに気がついた。
優しくて静かで、安心できる場所に僕はいて、ディジュリドゥを吹きながらそこから
さらに今まで体験したことの無い深い眠りに吸い込まれそうだった。
そして、その深い眠りが手を伸ばせば届く場所にあることをはっきりと感じた。
その場所は去年の今頃、ひとりで登ったネパールのキャンジン・リという山の頂上に
似ていた。
バンドをちゃんと組んだわけではないのだけれど、先月、遊びでスタジオに入って
音を合わせてみたら予想以上に良かったことと、かなり楽しかったということで、
また集まることになったわけである。
楽器はギター×2、カホン、ドラム、ディジュリドゥという構成で何を決めることも
無く勝手に始まる感じだ。
一度はじまってしまうと30分は続く。
最近、朝早くから仕事へ行き、疲れて翌朝に備えて寝る感じで、やりたいことが
できなかったので、スタジオで遊ぶ時間がずいぶんと前から僕の楽しみだったのだ。
あいだに休憩を入れて4時間ガッツリと僕はディジュリドゥを吹きまくる。
ギターやら自分の音、真横のドラムが鳴り響いているなか、音に集中したくて目を
閉じると、僕は違う場所にいることに気がついた。
優しくて静かで、安心できる場所に僕はいて、ディジュリドゥを吹きながらそこから
さらに今まで体験したことの無い深い眠りに吸い込まれそうだった。
そして、その深い眠りが手を伸ばせば届く場所にあることをはっきりと感じた。
その場所は去年の今頃、ひとりで登ったネパールのキャンジン・リという山の頂上に
似ていた。
FORMOSA自転車の旅の二日目、大型トラックの轟音とともに起床し、うまれて初めて
中央分離帯で朝を迎えた。
薄暗い中でテントをたたみ、荷物をバックパックに詰め、自転車を中央分離帯から
歩道まで転がし、「いざ、花蓮!」とペダルに足をかけ自転車に股がったときだった。
「バキーン!」とケツに激痛がはしる。
ママチャリ仕様でフカフカしているはずのサドルが、板のように硬い。
いや違う。
僕のケツが板のように硬くなっているのだ。
それでも痛みに耐えて「フガ!フガ!」と言いながら進むが、今度は信じられないほど
ペダルが重い。
太ももの筋繊維が全て切れてしまったかのように脚に力が伝わらない。
予想以上に身体が疲労していた。
しばらくすると、ケツの感覚が麻痺して痛みを感じなくなった。
そうまでして台湾を一周する必要があるのかとも考えたが、まだ進みたいという気持ちの
方が勝っていた。
なんたって、まだ二日目の朝なのだ。
陽が昇って暑さを感じ始めた頃、道はあいかわらず退屈な田舎道。
一時間に一度の目安でコンビニで休憩して水分を補給するが、昨日と違い、今日はやけに
自転車に乗っている人が多い。
みんな台湾製の立派なロードレース用の自転車「GIANT」に乗っている。
彼らの目が「お前の、その自転車はなんだ?」と大声で言っているが、無視して先を急ぐ。
午後になるとヘッドフォンから聴こえる曲を陽気に歌い、右手の二本指をブレーキに
掛けて、たいして弾けもしないベースを一生懸命に弾いている僕がいた。
それは、それまでの退屈な田舎の景色が一変し、海沿いの道で風を受けながら走って
いたからということと、なにより、いつも複数で行動する台湾ウォークから離れて、
久しぶりにひとりになれたからだった。
ひとりは楽しい。
結局、ひとりが好きだったんだと、自分が少しわかった気がした。
みんな仕事なんか休んじまって、台湾を自転車で一周すればいいのにと、勝手なことを
思っていた。
中央分離帯で朝を迎えた。
薄暗い中でテントをたたみ、荷物をバックパックに詰め、自転車を中央分離帯から
歩道まで転がし、「いざ、花蓮!」とペダルに足をかけ自転車に股がったときだった。
「バキーン!」とケツに激痛がはしる。
ママチャリ仕様でフカフカしているはずのサドルが、板のように硬い。
いや違う。
僕のケツが板のように硬くなっているのだ。
それでも痛みに耐えて「フガ!フガ!」と言いながら進むが、今度は信じられないほど
ペダルが重い。
太ももの筋繊維が全て切れてしまったかのように脚に力が伝わらない。
予想以上に身体が疲労していた。
しばらくすると、ケツの感覚が麻痺して痛みを感じなくなった。
そうまでして台湾を一周する必要があるのかとも考えたが、まだ進みたいという気持ちの
方が勝っていた。
なんたって、まだ二日目の朝なのだ。
陽が昇って暑さを感じ始めた頃、道はあいかわらず退屈な田舎道。
一時間に一度の目安でコンビニで休憩して水分を補給するが、昨日と違い、今日はやけに
自転車に乗っている人が多い。
みんな台湾製の立派なロードレース用の自転車「GIANT」に乗っている。
彼らの目が「お前の、その自転車はなんだ?」と大声で言っているが、無視して先を急ぐ。
午後になるとヘッドフォンから聴こえる曲を陽気に歌い、右手の二本指をブレーキに
掛けて、たいして弾けもしないベースを一生懸命に弾いている僕がいた。
それは、それまでの退屈な田舎の景色が一変し、海沿いの道で風を受けながら走って
いたからということと、なにより、いつも複数で行動する台湾ウォークから離れて、
久しぶりにひとりになれたからだった。
ひとりは楽しい。
結局、ひとりが好きだったんだと、自分が少しわかった気がした。
みんな仕事なんか休んじまって、台湾を自転車で一周すればいいのにと、勝手なことを
思っていた。