旅するくも

『旅が旅であることを終わらせる為の記録』

FORMOSA 自転車の旅5

2012-07-24 22:31:37 | 
なにか、忘れている気がしていたら台湾の自転車の旅を放置したままなことに
気がついた。

3日目、キャンプ地の海岸を出発して、しばらく進んでから休憩をしに朝食屋に
入るとテーブルにいた夫婦がごちそうしてくれた。
それからも進むが目的地の花蓮まであと100キロある台東でゴールした。
無念である。

さすがに風呂に入りたいとビジネスホテルに泊まる。
ロビーに集まった近所の住人であろうおっさん達に何度も「その自転車はどこで
手に入れた?」と聞かれる。
「盗んだ」と答えるまで聞き続けるつもりのようだ。
それから街をうろつく変な歩きかたの僕。
とくに何があるわけでもない街に飽きると、またロビーのおっさんが口をひらく。
「その自転車はどこで?」

部屋に戻り風呂に入ろうと服を脱ぐと、鏡に映る僕の背中のVの字に赤くなった
バックパックのあと。

翌朝、ロビーの大音量のテレビに起こされ、台東駅に向かう。
自転車に乗りながら旅の終わりを寂しく想っていると、狂った犬に追いかけられ
ながら僕の台湾の旅は終わっていった。

台湾を徒歩で半周、花蓮まで100キロを残した距離を自転車で移動した今回の
台湾の旅。

ひとりになった最後の自転車の4日間のなかには確かに、時と場が自分の中心で
交わる感覚があった。
それは僕の足が地に着いた短い旅のときだった。

キングサーモンの季節

2012-06-24 21:33:22 | 
5年前のちょうどいまごろ、僕はアラスカのアンカレッジという
町の駅前広場で寝転がって、いのちが沸き上がるアラスカの短い夏を
楽しんでいた。

耳元で「HEY」という声の方へ視線を移すと、白人がふたり立っていた。
僕が起き上がると上着のファスナーを開け、Tシャツに書かれた「関西大学」の
文字を「どや!」と見せる白人。
僕の反応が、あまりにも薄いことに驚いた彼は話題を切り替えるように、
「キングサーモンを一緒に見に行かないか?」
と言うので、しかたなく着いていくことにした。

アラスカは、いまキングサーモンと白夜の時期である。

「月」と「太陽」

2011-11-28 22:26:36 | 
『チベットの人たちの言葉で「太陽」は
ホピの人たちの言葉では「月」をあらわし、
ホピの人たちの「太陽」という言葉は、
チベットの人たちの「月」をあらわす。』

北山耕平著 「大事な事はインディアンに学べ」より


ホピの言葉 Sun (太陽), Taawa. タアァワ Moon (月), Muuyaw. ムウヤァ

今年の三月に行ったネパールのランタン谷で見た星空と静かな夜が日本にいると
時々恋しくなる。
あそこに住んでいる人たちはチベット系の人たちが多かったのだけれど、
僕が訪れた時期はちょうど祭りだったようで、村を酔っぱらいが歌いながら
ウロウロしていた。
その歌がインディアンソングに似ていた事をふと思い出した。

永遠をみる

2011-07-21 20:39:04 | 
マハーバーラタの英雄ユディシュティラ王は
「世の中でいちばん不思議なことは何でしょう」と問われて、
「自分のまわりにこれほど死を見つづけているにも関わらず、人々が
自分自身の不死を信じていることだ」と答えた。
― 正木高志 「木を植えましょう」より

メキシコシティの中心街を歩いている時だった。
けっしてきれいとは言えない道には屋台の雑貨屋、本屋などが並んでいた。
その屋台にはその日の新聞が吊されていたが、新聞の表紙にはゾッと
するような写真が載っていた。
その新聞に大きく取り上げられた写真は殺害された首の無い男の死体の写真だった。
僕にはそこに死が写っていたように思えた。

一方、日本では殺人事件が起きても新聞に殺害された死体が写ることが無い。
僕は死体の写真を載せることにこだわっているわけではなくて、淡々と言葉を並べた
だけで殺人事件を伝える方法にリアルさがない。
そこには死が見えないのだ。

死を見せないことで、永遠を見せている。

上手に笑う

2011-06-23 20:54:32 | 
寝る前にいつも僕は映画を観ながら眠りにつく。
昨日は、また名古屋の広田監督の映画「カンタ・ティモール」を観ながら寝た。

広田監督に頼んで送ってもらったDVDを観ていると東ティモールの大人や子供たちの
笑顔がとても輝いて、笑顔とは命そのものだと気づかされる。

その笑顔は僕が出会ってきたタイの田舎やミャンマー、ラオス、ネパールの田舎、
グアテマラの人たちとも、どこか共通していることを感じる。
金銭的に裕福ではない人が金銭的に裕福な人よりも上手に笑うのは、見ていてなんとも
気持ちがいいものだ。

きっと世界にはまだ、上手に笑う事を忘れていない人たちがたくさんいる。
そんな人たちのところまで、もっと会いに行きたい。
僕もまた、あんな風に笑いたい。

二つの道

2011-04-24 23:55:55 | 
旅に出て、自分の場所に帰ってくる。
旅の資金を貯める為に仕事をして、また旅に出ることを繰り返してきた。

旅から帰ってくるたびに日本に馴染むのに時間がかかっていた。
旅に出ているときと、日本にいるときで明らかな違いを感じ、まるで
自分の中に全く違う二つの時間が存在するかのようだった。

言い換えればそれは、「地球に生きる普通の人として生きたい自分」と、「日本人として生きる事を避けられない自分」。
二つの生き方を別々に生きるのではなくて、二つを同時に生きる生き方ができないのかと、ここ数年、僕は模索してきたし、
そんな生き方をしたいと心底願っている。
例えば、「お金が不要な生き方」ではなく、「お金に生き方が左右されない生き方」とかね。

旅をかさねるごとに、少しづつ二つのあいだにあった距離が近づきつつあるのを感じてきた。
日本に帰ってきてから1ヶ月がたって、今はますますそれを実感している。
もっとも初めてアメリカの砂漠に出会って帰ってきたあと半年間混乱していた時と比べての話だが。

僕がそんな生き方を求めるようになるきっかけは、
北山耕平著『ネイティブ・マインド』~アメリカ・インディアンの目で世界を見る~ だった。 

われわれは、もういちど
もとの道に戻ろうとしている。
力をとりもどし
現代生活と呼ばれる虚構と
不誠実にみちた生活から離れて
いかに生き
どうしたら自分に正直でいられるかを
われわれは もういちど
学習しなおしているのだ。

ローリング・サンダー


何を知らないのかさえ知らなかった僕に北山耕平さんの書いた『ネイティブ・マインド』は
もう一つの生き方を指さしてくれた。
もっとも多くの方に読んでもらいたい、この先もずっと読まれ続けてほしい一冊。

あなたが地球の上のじょうずな歩き方を学ぼうとするとき、進むべき道を示す地図になるはずだ。

続 オカマのおじさん

2011-04-13 03:10:40 | 
翌朝のフライトが早かったので、朝の5時半にタクシーに乗って空港に行く事になっていた。
ネパールの早寝早起きの規則正しい生活から、タイに戻ってきて1日で生活のリズムが変わって
朝5時に起きられる気がしなかったから、宿で寝ないで朝を待つことにした。

旅の最後の食事は、いつも行っていた日本食屋でとることにした。
少し遅めの夕食を終えたら細い路地にあるコーヒーの屋台でアイス・コーヒー(ラテ)を受け取って、
宿に帰るのがバンコクでの夜の過ごし方になっていた。
酒は飲まないし、ブラックコーヒーで腹をこわす僕にはタイの甘いコーヒーがちょうどいい。

朝まで時間があるけど、とりあえず荷物をまとめようかと宿の階段を上っていると、
前日に会ったあのへヨカ(道化)が部屋からちょうど出てくるところだった。
スカートを穿いて、何かを塗ったらしく顔がキラキラしている。
そして、誰が見てもすぐに男だとわかるハゲかかった頭。
手には踊るときに振り回すのであろうポイ。
これから通りへ踊りに行くであろうオカマのオジさんに偶然遭遇したのだし、僕も一緒に行きたいと思って
「ちょっと待っててくれ」と伝えた。

オカマのオジさんは観光客が集まる大きな通りに出ると、まずコンビニに入ってドライジンを飲みながら
出てきた。
それをすぐに飲み終えると周りの観光客に指を指されるのも気にせず、二本目を飲み始め歩き出した。
観光客に声をかけられて、僕がカメラで彼と観光客の写真を撮ってあげると、彼はカメラを取り出したついでに
いままで撮った写真を見せながら話をした。
キレイな彼の彼女の写真もあった。

通りに面した大きなカフェバーで足を止めると、オジさんはそこでながれている音楽が気に入ったのか、
僕に飲みかけのビンとバックを預けてダンスを踊り始めた。
周りに人が集まってくる。
写真を撮る人、指を指して笑う人、気づかずに彼の横を通って踊りの邪魔になる人。
その横で彼の酒と荷物を持っている僕。

こいつはアホなのか、ただの変態なのかと踊りを見ながら僕は悩んだ。
ただ目立ちたいわけじゃない。
パフォーマンスでお金を稼いでいるわけでもない。
でも、何が目的なのかわからない。
休憩のときに何事も無かったように話をするようすは、どうやらアホでもなければ狂ってもいないようだ。
カフェバーの店員に「店の前でやるな!」と言われても彼は怒ることもなく礼儀正しい。

オカマのオジさんは踊りがうまいわけではないけど、踊っているときは幸せそうでカッコよかった。
僕にとっては今回の旅で一番の出会いだった。


ネイティブ・マインド

2011-03-28 02:44:12 | 
『ネイティブ・マインド』
~アメリカ・インディアンの目で世界を見る~
北山耕平 著
地湧社

日本を出る前に途中まで読んでいた本の続きを読むのをやめ、旅で途中まで
読んでいた本をやめて北山さんの代表作といわれる『ネイティブ・マインド』を
今日から読み始めた。

この本を読むのはこれで二度目。
一度目は7年前初めての一人旅から帰ってからだった。

僕が「いかに大事なことを知らないかを知る」きっかけになった本。
僕にとっての原点といえる本だ。
旅を始めた場所に戻った今回の旅。
旅から帰ってきて最初にまた、この本を読みたいと思っていた。

今回の2ヶ月の旅で多くはないが日本人の旅行者と話すことが何度かあり、
そんな旅行者と話をしていて僕が思ったことを正直にいうと、
「自分が本当に学びたいことを見つけられた自分はなんてラッキーなんだ」と
本気で思う。

僕にとって原点とはいえ、さすがに細かい内容まではほとんどおぼえていないだろうと
思うが、最初にこんな文があった。

『彼(女)もまた私が自然にそうしたように、手を伸ばせばすぐそこにある
連山を、そして天を抱きしめるように両手を広げたことだろう。』

ランタン谷トレッキング 後編

2011-03-27 04:05:36 | 
キャンジン・リ(4550m)をくだり、休憩でミルクティーを飲んだホテルに
泊まることにした。
ホテルの女性は『やっぱり帰ってきたんだ』という顔をしていた。

それから夕食を食べて、夜は冷えこむからブランケット借りた。
部屋に明かりがないからロウソクも借り、ベットに横になって今回の旅を思い出す。
すきま風で揺れるロウソクの火を眺めながら思い出すのは10日ほど前に行った
アンナプルナのトレッキングだった。

その日、出発の準備を終えて、ホテルのレストランにいき朝食を注文した。
テーブルにつき朝食を待っていると、オンマニペメフムという確か蓮の花が
何とかという意味の曲が流れていた。
ひたすらオンマニペメフムを何度も繰り返す曲を聴いていると、僕の目から
涙が溢れ出した。
感動しているわけでもなく自分でも訳がわからなかったが、涙が止まらず
泣きながら朝食を食べた。
初めて感情を全くコントロールできなくなった。
彼女と一緒に来ていたら、こんなに恥ずかしい自分を見られる事を考えると、一人で
来て良かったと思ったほどだった。
その日は、泣き続けた不思議な日だった。

ほんの数日前の出来事がずいぶん前のことのように感じる。
あと8日もすれば僕は日本にいる。
2ヶ月の旅がいつのまにか終わろうとしていることに寂しさを感じた。

このまま、旅でのことや日本での事を振り返っているうちに、朝が来てしまうん
じゃないかと少し心配した。
タバコでも吸おうと、部屋の小さな窓を開けると冷たい風が入ってきた。
冷たいのに、寒さは感じなかった。
窓の四角い小さな枠の中には、たくさんの星があった。
それは明らかにいままで僕が見たどこの星空よりも美しかった。
いつもの僕なら星空に興奮しそうなものだけれど、その時はベッドに横になって
窓の枠から見える星空をただ眺めてた。

しばらく星空を眺めて僕はブランケットに包まりながら迷っていた。
『部屋の外に出て星空を眺めようか、部屋の中でいいにしようか。』
凄く簡単なことなのに、何故だか僕は動こうともせず、迷っていた。

そんなことを考えていると今の僕の状況は旅に出る前に似てると思った。
部屋の中で星を見ている僕はまるで日本にいるようで、部屋の外には世界が広がって
いる気がした。
もちろん僕は外に出ることにした。

が!

信じられないことに玄関のドアには外からカギがかかっている。
ホテルが外部の人間に何か盗まれやしないかと念のためカギをしてあった。
『外に出れない!そんなオチらねぇ!!』と叫びたかった。
さっきまで外に出るか迷っていたくせに出れなくなると、ますます外に
出たくなるところは、やっぱり似ている。

5年前にアメリカのグランド・キャニオン国立公園に行ったときだった。
音は耳だけで聴くだけのものではないということを知った。
見えているものと聴こえるものに境界線なんてないと、あそこに行って体験から
知った。

カリフォルニアの原生林は久石譲、メキシコのジャングルはDeep forest、
アリゾナの砂漠の夜はLotus、グランド・キャニオンはTabla beat science。
そんな感じにその場所の音と人の音楽が重なることが今までにもたびたびあった。
どんな風景にも音があり音楽がある。

部屋でドアが開くのを待っていると誰かがドアの開ける音がし、やっと外に
出ることができた。

山の向こうに月が沈んだあとでも、雪山が見える。
僕が声を出したらその声がどこまでも響くくらいに空気が澄んでいて、
星が何か話しかけてきそうなくらいはっきりと見える。
その場と共鳴したかのように外側から静けさが僕の中まで伝わる。

静寂が聴こえる夜だった。