旅するくも

『旅が旅であることを終わらせる為の記録』

Twitterの面白さ

2011-05-31 22:53:40 | 言葉
葉山に住み、88(ライスペーパー)というフリーペーパーにアイヌ模様などを載せ、
インディアンフルートの演奏者でもある真砂さんの水田を7Generationswalkで
訪ねたことがあった。

真砂さんは北山耕平さん、野草社(山尾三省の本などを出版している会社)の石垣さんと
似た独特な雰囲気を持っている方だった。

真砂さんは僕らに水田を案内しながら自分がしている農を『食べられるガーデニング』
と呼んでいた。
当時、真砂さんについて僕はほとんど知らなかったけれど、『食べられるガーデニング』
という言葉で僕は時間が許す限り話をしてみたいと思ったほど衝撃的な一言だった。

アトリエに移ってから真砂さんは『自然との折り合いをどこに見つけるのか』とも言っていた。

農について極端なものがたくさんある。
人間の地球に対する支配の行き過ぎたものを農薬を使った「農業」だとすれば、地球に負担を
かけないものの極端なものとしては限られた人しか実践できないような自然農。(色々あるけど)
さらに極端なことを言えば農からも離れて「狩猟採集」こそが未来への答えと言う人までいる。

『食べられるガーデニング』という言葉はまさに両極端の中にある自然と人との間に存在する
折り合いをふまえた真砂さんが実践されている答えであったと僕には思えてならない。
そして、それを農法などという言葉を使わずに『ガーデニング』という言葉を選ぶ真砂さんは
素晴らしいと思う。
僕らが食の生産に必要なのは農法ではなくて、『食べられるガーデニング』という感覚なのかも知れない。


※さて、ここからが本題。
僕はそもそも人に何かを事細かに説明することが好きではない。
最南端のイラストをやっているタクミもいつだったか同じことを言っていた。
自分が描いた絵について細かな説明をするほどナンセンスなことはない。
僕もそう思う。

『過剰な説明は人の想像力を馬鹿にしている』という言葉もあるくらいだ。
僕は人を馬鹿にしたくないということよりも、むしろ相手に空白を持たせることが、必要なのでは
ないかとさえ思っている。

上に書いた内容を僕はTwitter上で
『葉山にあるインディアンフルートの演奏者の真砂さんの無農薬の水田を訪ねたとき真砂さんは
農を『食べられるガーデニング』と呼んでいた。結局そういうことなんだと思う。』と書いた。

「真砂さんは農を『食べられるガーデニング』と呼んでいた。」だけでも僕は十分だと思う。
もちろん、そこには書き手と、読み手のセンスがあってはじめて意図しているものが伝わり、
成り立つだけに、センスが問われるわけだ。
そこに僕が感じるTwitterの面白さがある。

ネオネイティブミーティング2011

2011-05-26 21:57:13 | 言葉
3月11日、大きな地震が日本列島の本州と呼ばれる島の東北沿岸で発生し、
自然が激しく身震いして、たくさんのいのちが失われました。
電気仕掛けで動く私たちの文明を支えてきたいくつもの原子力発電所も、
取り返しのつかない被害を受けました。
壊滅的な被害を受けた福島第一原子力発電所の4つの原子炉で起きている
放射能漏洩事故に、世界の目は釘付けになっています。

私たちはこれまで、大地と水と空気を必要以上に傷つけることのないように心がけて、
自然から学びながら暮らそうとしてきました。
すべてのいのちを脅かす存在として人間が作りだした「核」とのつきあい方を改め、
中毒ともいえるエネルギー依存を脱して、あらゆるいのちとともに大地や水との
健全な繋がりを取り戻すことの必要性を、生活はもちろん、表現や生産を
通しても伝えてきたつもりでいました。

にもかかわらず、今回の事態は起きました。
大地と水と空気を、そしてそれをわけあってそこで生きるすべてのいのちに、
生きのびるための大きな試練を与えてしまいました。
しかし同時にそれはたくさんの無垢なる精神を揺り動かして目を覚まさせつつあります。
今回の危機により、平和が大切としながら荒ぶる核エネルギーに依存してきた
この国のエネルギー政策や、核政策の見直しを求める声は、今後さらに大きくなるでしょう。

今ある原子力発電所や核関連施設をただちに停止しても、すべてはそれで良い、
というわけにはいきません。
世界各地の先住民たちがそれに見合う知恵を持つまではけして掘り出してはいけないと
永い間伝えてきた鉱物、その核にともされた「火」は、すぐに鎮まってはくれないからです。
私たちは、この先も、人間が作りだしてしまったために放っておけばいつまでも荒れ狂う
強大な力を有する核廃棄物とともに、生きていかざるをえません。

核物質のタイムスケールは、私たち人間のそれとは比べようもなく長いものです。
その危険性を、文字に書いたとしても、石に彫ったとしても、きっといつかは忘れられて
しまうことでしょう。
何百年、何千年、何万年、気が遠くなるような時間を、核物質と共有していかなくては
いけない、人類史上はじめての、そんな時代に、私たちは今、いるのです。

震災からほぼ一ヶ月後の満月の日、余震がいまだおさまらず、原子力発電所の事故の終息も
見えないとき、私たちは、東西南北から関東地方は房総半島(総国安房)鴨川の山中に集い、
この母なる列島での私たちの今後の暮らし方、生き方について、自然との関係のあり方について、
真摯に意見を交わしました。
農業者、音楽家、作家、写真家、映画監督、絵本作家、画家、料理家、学生など、立場と
仕事を超えて、その日まで普通に日常を生きてきた人々が、あらためてこの日、地球に
生きるひとりの人間として、もう一度決意を新たに、震災と事故のもたらしたものから
学び、母なる列島の島々をこれ以上傷つけることなく、自然との調和をはかり、生きて
いくことを再確認しました。

そして、この列島に暮らす姉妹たちや兄弟たちにも、私たちとともに、地球が生きている
存在であり、長きにわたる人間の活動の結果、世界各地の先住民が「母なる地球」
「祖母としての地球」と呼ぶ偉大な存在が、息も絶え絶えになっていることを確認し、
もういちどいのちと地球とのつながりを回復し、調和と美のなか、すべてのいのちとともに
生きのびることを、心の底より祈り求めました。わたしたちは、人間として生きることを
怖れず、非人間的な核エネルギーに依存することを止め、もう一度地球を抱きしめることを、
ここに最初のネオネイティブミーティング総の国声明とします。

2011年4月17日 満月に虹の環がかかった日
ネオネイティブミーティング2011 参加者一同

※真魚さんのブログより引用
http://www.animismonline.com/2011/05/post_347.html

「独りになる」

2011-05-23 00:09:07 | 素晴らしき日々
代表をしていたロマンず☆≡が解散して、彼女がいなくなり、友達も減り、携帯電話もなくして
住む場所も変えた。
最南端の最終号もやめようと考えている。

色んなものを失って、いままでになかった強い孤独に押しつぶされそうになり、まるで大事なものを
全て無くしたかのような絶望を感じていた。
いったいどうすれば自分の手のひらからこぼれ落ちていったものを再び取り戻すことができるのだろうかと
天井を眺めながら僕なりに頑張って考えたんだ。真剣に。

約束もない、昼も夜も関係ない。
好きなときに寝て、好きなときに起きて、好きな時に食べる。
電話もない。
窓の外が晴れなのか雨なのかさえわからない。
暑いのか寒いのかも僕にはまったく重要じゃなかった。
家から外へ出ない6日間、家族意外と話をしない時間をさらに4日。
一人、なにするでもなく部屋の中にいた。

そんな時、携帯、約束、時間という僕を縛っていたものから開放され自由の中にいる自分を発見した。
僕は孤独からも開放され、独りになっていた。
そこは自由のなかだった。

こぼれていったものを拾い集める方法を考えていた少し前の僕とは逆に、そんなものを二度と受け
取りたくなかった。
そのまま全部捨ててやるって。
3月11日のあと、突然にたくさんのものを失った理由が何故だかわからなかったけれど、前回の旅で
僕がもっとも望んでいた「独りになる」ことが与えられ、一人になることと独りになることの違いを知った。
独りになるとは自由になること。

指の隙間から全てが砂のようにこぼれ落ちていったときに与えられるものがある。
失ってこそ与えられる。
僕らが抱えていられるものは常に一定だ。
失うことを恐がる必要なんて、どこにもありゃしない。

アサリ汁

2011-05-17 21:53:06 | 物語
まだ小さかった頃。
春になると車に乗って家族みんなでよく浜岡の海へ行った。

海で潮干狩りをしてアサリを採るのだ。
僕は特別アラリの汁物が好きというわけではないのだけれど、採るのが楽しかった。

いつだったか、アサリが全然採れなかったことがあった。
満潮の時に海へ行ったってアサリが採れるわけもないが、親父は家族サービスをしている
というだけで満足そうだった。
兄貴と二人で採れないアサリを探すのに飽きて、二人で砂に穴を掘り、その穴にダンボールで
蓋をして上から砂を被せて小さな落とし穴を作り上げた。

これで誰かの足がハマって怪我をしたら犯罪になるんじゃないかと僕は子どもながら
少し心配になった。
母親の「帰るよ」という声に一歩踏み出したら自分の右足が落とし穴にハマった。

あの頃は楽しかったとアサリ汁を飲んで思い出す。

土に触れる

2011-05-17 11:36:51 | 言葉
 『 土をにぎったとき、私は縄文人である。
彼等とまったく同じ人間ではないかもしれない。
しかし、少なくとも無欲と分配の美徳を持つ彼等に
少しでも近づきたいものである。 』

新居司郎

自分の中の眠った記憶を取り戻す為に風の声を聴くという方法も
あるのだけれど、土に触れることもそれと同じだと僕は思う。


振り回す武器

2011-05-17 11:09:30 | 素晴らしき日々
昨日は一日仕事で浜岡にいた。
ひたすら草刈機をふりまわし草を刈り続けた。

人類が鉄を得たときのきっかけになったのには、雷や山火事など説はいくつかある。
鋳造(型にはめる)や鍛造(叩いてつくる)などの方法があるのだけれど、人類が
初めて鉄を得たときそれはどのように使われたのだろうか。
便利な道具としての鉄鍋としてだろうか。
それとも、生き物を殺す為の武器として使われたのだろうか。

核、車、雨のコントロール。
あらゆる便利な道具が戦争から得られていることを考えるとやはり鉄も同じなのだろうか。

鉄を地球に対してむけるのも人に対してむけるのもどちらであっても支配であることは
変わらないのではないだろうか。

鉄を作るために多くの森を失ったのと同じように、電球という人工の太陽を作りだした事が
結果的に自分たちに問題としてやってきているということは、やはり地球を支配などできない
ということを意味しているのだろう。

手に武器を持ちながらそんなことを考えていると、つまらない仕事もあっという間に終わる。

魂の民主主義

2011-05-11 18:22:52 | 編集長の本棚
『魂の民主主義』
北米先住民・アメリカ建国・日本国憲法
星川淳:著
築地書館

ニューヨークの北に位置し、セネカ・カユーカ・オノンダーガ・オナイダ・モホークが
集まりイロコイ連邦というアメリカ国土に独自のパスポートを発行する準独立国がある。
現在はタスカローラが加わりイロコイ・シックスネーションズとなっている。
イロコイ連邦が民主主義に強い影響を与えていたという有名な話。

アメリカ建国、日本国憲法までの流れとなる源流の物語のもう半分をグリーン・ピース
ジャパンの事務局長であり一万年の旅路の訳者である星川淳さんが語った本。
北米先住民についてわからないことだらけだけれど、特に歴史に弱い僕にとっては
久しぶりに出会えて良かったと思えた本だった。

話の中に出てくるクラン・マザー(族母)の存在にも大いに関心があるのだけれど、
それ以上に亀の島にやってきた白人が北米先住民の生き方に大いに関心を持っていた
ということは僕にとって大きな発見だった。

『(ヨーロッパ人は)だれもが腹も心もじゅうぶんに満たされてるもっと原始的な社会の
ことを知れば、脇目もふらずに世俗の財を求めるいまのような生き方を考え直すかもしれない。
アメリカ・インディアンはこうした理想にもっとも近づいた人びととして、われわれの手本に
なってくれるだろう。』


『未開人(当時のヨーロッパにおけるアメリカ・インディアンの通称)の政治組織は、
自然な自由を唯一の目的としている。
・・・・彼らは自由を守り、豊かな恵みを享受しながら・・・・
いかなる法律も警察も宗教ももたずに生きるのである。』


といった具合に。
「何度生まれ変わってもインディアンにはなれない」と言われる白人の目に北米先住民が
どのように映っていたのか僕はとても興味がある。
最近僕が読んだ本の中で最もオススメしたい一冊。

楽しみな映画

2011-05-10 01:37:52 | 物語
じつに6日ぶりに家の敷地外の景色をみて、家族以外の友人に会ったりして、やっぱり外はいいな~って。
明日は映画を見に行くことになって、やっと僕のゴールデンウィークが始まったかと。

『180°SOUTH ワンエイティ・サウス』 予告編

パタゴニアとザ・ノースフェイスの創始者2人の旅の足跡を一人の青年がたどるストーリーらしい。

何年か前に学研の谷川編集長が送ってくれた雑誌の中にザ・ノースフェイスの創始者の
短めのインタビューで、内容は忘れたけどバックパックという呼び名をつくったのがザ・ノースフェイスだったり、パタゴニアの進入社員は入社したらまず最初にサーフィンをさせられるということを聞いて以来、アウトドアグッズに少し興味があり、その創始者の旅といえばなおさら興味がある。
だから明日、映画を見に行くのを楽しみにしている。

「岳」という名探偵コナンくらい人が死ぬ漫画をネパールの日本食屋で初めて読んだけれど、その漫画も実写で映画化されたそうだ。