以前、このブログに書いたように起きてから近所の木を抱きしめに行くことが、
日課になってきた。
そして、今日の朝に面白いことが起きた。
キーンと冷えた朝、玄関を開けると、毎日のように見れていた朝日が今朝は雲で見えず少しがっかりした。
そして、いつもどうり木に向かう。
仕事に行く途中なので、のんびりしている暇はない。
ので、ゆるやかな坂を小走りで登る。
木に触れて呼吸を整えてしばらくして木と自分のハートが同じリズムになったことを確認して
「ミタクエオヤシン」とボソッと言い、また小走りで坂を下りる。
今日はそこからがいつもと違った。
森のほうからイタチなのか、イノシシなのか動物の声がする。
しかも、それは鳴き声ではなくて、あきらかに歌声だった。
立ち止まって、ふと考えた。
北アメリカの先住民は自分が食べた食べたものになっていくと信じたという話があるけれど、
木に触れるということは一時のことなのかもしれないが自分が木になるということか。
だから木に触ると気持ちいいんだ!
と、凄く納得した。
起きたことが当たり前のことのように感じて、歌声の主を探すこともなく、
木って絶対毎日楽しいじゃん!と思いながら、また小走りで坂を下った。
日課になってきた。
そして、今日の朝に面白いことが起きた。
キーンと冷えた朝、玄関を開けると、毎日のように見れていた朝日が今朝は雲で見えず少しがっかりした。
そして、いつもどうり木に向かう。
仕事に行く途中なので、のんびりしている暇はない。
ので、ゆるやかな坂を小走りで登る。
木に触れて呼吸を整えてしばらくして木と自分のハートが同じリズムになったことを確認して
「ミタクエオヤシン」とボソッと言い、また小走りで坂を下りる。
今日はそこからがいつもと違った。
森のほうからイタチなのか、イノシシなのか動物の声がする。
しかも、それは鳴き声ではなくて、あきらかに歌声だった。
立ち止まって、ふと考えた。
北アメリカの先住民は自分が食べた食べたものになっていくと信じたという話があるけれど、
木に触れるということは一時のことなのかもしれないが自分が木になるということか。
だから木に触ると気持ちいいんだ!
と、凄く納得した。
起きたことが当たり前のことのように感じて、歌声の主を探すこともなく、
木って絶対毎日楽しいじゃん!と思いながら、また小走りで坂を下った。