旅するくも

『旅が旅であることを終わらせる為の記録』

リアル田舎に泊まろう

2011-07-27 11:15:52 | 素晴らしき日々
昨日、仕事が終わったあと、隣村にある理髪店に電話をすると6時に閉まるとのことだった。
早く隣村に行きたいところだけど、一度自宅に戻って破れたズボンを車に乗せてから、
急いで理髪店「ささき」に向かう。

村の50メートルくらい続く商店街の中にある「ささき」を見つけ、なんとか6時前に
滑り込んで、僕のモサッとした髪の毛を切ってもらう。

「全体を1センチちょっと切って、空いてください」という僕の注文に「わかりました」と
理髪店だけにきっちり整った髪をしているオヤジさんが答える。
それから「髪を空くのにも2パターンありまして」と雑誌を手に取り丁寧に教えてくれるオヤジさん。

ただ空くものと束感をだすものがあるらしく、僕はすぐに「束感がある方で」と答えても
オヤジさんは指を立ててスッと口元に持っていき「最後まで聞いておくれよ」というジェスチャー。

それから7Generationswalkで長野歩いた時の話で盛り上がり、「貴重な話をありがとうございました」
と言うオヤジさん。
あわてて「とんでもないです!」と僕は言い、車に積んであった7Generationswalkの冊子を手渡して、
理容店「ささき」をあとにする。

それから、破れたズボンを縫ってもらう為に事務所の元気なオバちゃんの家に向かう。
着くとそこは大きな家。
ちょうど帰ってきたオバちゃんと合流すると今日は東京から中学生が4人泊まりにきているらしかった。
学校の行事で「民泊」という都会の子供が農家の家に泊まるというシステムで天候が不安定な為に大きな
車庫では「リアル田舎に泊まろう」の真っ最中だった。
「食べてく?」というその言葉に誘われ、その中に混じって椅子に座る。

事務所の元気なオバちゃんの無農薬、無肥料で米を育てる父親は、やはり想像したまま元気なオヤジさん
だった。
子は親の分身である。
それに「オエッ」と言いながら酒を飲む、いつ泡を噴いてもおかしくない近所のオジイさん。
江戸川区の中学2年生、男子4人(サッカー部3人)。
僕と事務所のオバちゃんがテーブルを囲むという何とも奇妙な組み合わせ。

生意気だったら、ドツイてやろうと思っていた東京の中学生は何とも可愛らしく、将来は
「プロ・サッカー選手になる」と目を輝かせて語っていた。
僕がサッカーでプロになれない事に気がついたのは中学2年だったので、「プロにはなれないんだよ。」
と教えてあげるかわりに、ドリブルする時のボールの正しい位置を教えてあげた。
今の中学生の生活を知りたくて、たくさん質問を浴びせたが、携帯電話の違いはあれど、僕のころと
大きく変わらないようだった。
星を見に外に出ると「すげー!」と感動して、「クワガタはいるの?」なんて聞いてくる。
勉強ではなくて、地球に触れたがっている可愛らしいどこにでもいる子供達だった。

最後には酔っぱらった元気なオヤジさんの酸欠で倒れそうなハーモニカ演奏を真剣に聴く子供と、
笑いを堪えきれずに吹き出している事務所のオバちゃん。
「お前ゴールキーパーだったら、あのオヤジの演奏を止めろ」という僕。

長野に来てからもうすぐ1ヶ月。
毎日が嘘のように充実している素晴らしき日々。

旅であることを終わらせる

2011-07-25 22:01:16 | 編集長の本棚
『アレキサンダー・テクニーク入門』
サラ・バーカー 著
北山耕平 訳
片桐ユズル 監修
ビイング・ネット・プレス

テクニークを本から学ぶという革命的な本。
この本を読みながら自分の身体のどこに緊張があるのかなど、
立ったり座ったりしながら読んだ。
身体を意識しながら生活することで自分の変化を確かめようとしたが、
僕の場合、力んで無理な姿勢になってしまう為に初めてすぐに腰が
いたくなった。
腰痛が治ってからは以前と比べて調子がいい気もするし、しない気もする。
正直なところまだよくわからない。

僕がこの本に強く共感したところは、例えるなら日本のヨガ教室のように
ヨガという特別な時間を作り出さないことだった。
とうぜん、ヨガをしている時間を作るということは、ヨガをしていない
時間を同時に作り出してしまうということだ。

このアレキサンダー・テクニークの素晴らしいところは日常の中で行い、
時間という括りを作り出さないところにある。
一日の中に特別な時間をつくらないという考え方に僕は強く共感する。

僕に当てはめて考えるなら、旅をする時の荷物である。
旅をするとき僕は必要と思っている荷物をいかに減らすのかということを考える。
それは自分の「不必要」をどこに見つけるのかということでもある。
僕の考える「必要なもの」の基準は、バックパックに入り、背負ってどこまでも
歩いて行ける荷物の量のことだ。
優先順位はあるものの、バックパックに入らないもの、重くて歩けないものは
「不必要」なもの。

旅をしているときの荷物と旅から帰ってきてからの自分にとっての
「必要」が変化してしまうということは、旅が特別な時間であることを意味し、
どこか遠い場所に旅があるということを意味している。
それでは旅を掴まえることなどできない。

1・2週間家を離れて「旅してきた」なんてことがしたいのではない。
僕は旅がしたいのであって、もし、それが本当に『旅』と呼べるものであるのなら、
旅が旅としてあってはいけない。

『旅するくも』という「最南端」の「人と地球を再び繋ぎあわせる」
という、とんでもなく壮大なテーマのフリーペーパーを企画し始めたころに始めた
このブログ。
上のところにあるブログ概要を何度変えても「決まる言葉」が見つからなかったけど
もうすぐブログ開始から1000日になるというところで、やっと見つかった。

『旅が旅であることを終わらせる為の記録』と、しておこう。

世界がクソだらけになったら

2011-07-23 20:35:27 | 素晴らしき日々
僕の個人的な調査によると、この国にはトイレの中でしかクソが
できない人が多くいるようだ。

部屋の外で月を眺めながらする野クソがどれだけリラックスできて、
気持ちがいいものか知らないというのは非常にもったいない。

トイレという四角い箱の外でする野グソがどれだけ気持ちのいいことなのかを
知り、何故なのかを理解する人が増えて、この国がクソで溢れたら少しはマシな
国になるのだろうとトイレの中で感じた。

※1 深さ20センチほどの穴を掘って行う方が分解されやすいそうだ。
野グソを始めてみようと考えている方はスコップを忘れずに。

※2 もし、誰かと共に行動している場合は「野クソしてくる」なんて下品な
言葉ではなく、男性の場合は「キジを撃ってくる」。
女性の場合は「お花摘みに行ってくる」と伝えた方がスマートだろう。

ポロッと

2011-07-21 20:59:02 | 言葉
「俺はみんなを笑わせたくて冗談を言ってるんじゃない。
自分が笑っていたいから冗談を言ってるんだ。」
今日、ポロッと言ってしまった本音であろう言葉

永遠をみる

2011-07-21 20:39:04 | 
マハーバーラタの英雄ユディシュティラ王は
「世の中でいちばん不思議なことは何でしょう」と問われて、
「自分のまわりにこれほど死を見つづけているにも関わらず、人々が
自分自身の不死を信じていることだ」と答えた。
― 正木高志 「木を植えましょう」より

メキシコシティの中心街を歩いている時だった。
けっしてきれいとは言えない道には屋台の雑貨屋、本屋などが並んでいた。
その屋台にはその日の新聞が吊されていたが、新聞の表紙にはゾッと
するような写真が載っていた。
その新聞に大きく取り上げられた写真は殺害された首の無い男の死体の写真だった。
僕にはそこに死が写っていたように思えた。

一方、日本では殺人事件が起きても新聞に殺害された死体が写ることが無い。
僕は死体の写真を載せることにこだわっているわけではなくて、淡々と言葉を並べた
だけで殺人事件を伝える方法にリアルさがない。
そこには死が見えないのだ。

死を見せないことで、永遠を見せている。

台風の足あと

2011-07-20 20:52:53 | 素晴らしき日々
台風がやってきた。

朝、僕が住んでいるトレーラーの壁を激しく叩く雨。
こんな日にキャンプ(バンガロー泊)にくるお客さんがいるという事で
休みであったであろう仕事に渋々行く事になってしまった。

夕方には朝の雨が嘘のようにやみ、青空が見え光が差し込んだ。
仕事が終わって帰宅。
さっそくイスをトレーラーの外に出して、甘いインスタントコーヒーを入れる。

それからイスに座り世界を眺める。
空、風、山が生まれ変わったように生き生きとして、それぞれの色が美しかった。

台風のあとの浄化された世界の美しさをみた夕方だった。
僕は台風の通り過ぎたあとの足跡を見るのが好きだ。

『インディアンに囚われた白人女性の物語』

2011-07-16 21:34:22 | 編集長の本棚
『インディアンに囚われた白人女性の物語』
 メアリー・ローランソン夫人の捕因と救済の物語
 メアリー・ジェミソン夫人の生涯の物語
白井洋子 訳
刀水書房

星川淳さんの「魂の民主主義」の中で、インディアンに捕虜として
囚われた人物の中には捕虜から自国に戻る事ができるにもかかわらず、
捕虜として、または養子としてインディアンの中に留まる事を選ぶものも
あったという内容があったけれど、『インディアンに囚われた白人女性の物語』
の中の特に「メアリー・ジェミソン夫人の生涯の物語」はその中の一例であるのだと
思う。
1700年代のセネカ族(イロコイ六連邦)の中で生き、1824年にインタビュー
で語ったものが本にされている。


ところで、僕は今長野にいる。
なぜ長野なのかという理由は特にはないが、なぜ実家から離れたのかというと2つ
理由がある。
まず、僕が本を書きたいと心底思っており、一人になって書ける環境が欲しかったという事。

もう一つは、本を書く為には父親の持っている偏見と差別から少しでも距離をとりたいと
思ったからだった。

朝と夜の眠くなるまでの時間は本を読むようにして、言葉を探している。
それはもちろん引用する為の言葉を探しているのではなくて、外側から言葉をできる限り
多く取り込んで僕の内側に出てくる言葉を探している。

まだ知り合って2週間の職場の方達との会話や、本、朝と夕方の景色、山や空、雲の色など
から僕は言葉を探している。
「言葉を探している」という言葉があまり適切だとは思えないので、「言葉を分け与えてもらう」
と言った方が正しいだろう。

僕はあなたを感動させられるような言葉は何一つ持っていない。
だから言葉をあらゆるものから分けてもらう。

全く本の完成像は見えていないのだけれど、今は言葉を探している日々を楽しんでいる。

イーグルに訊け

2011-07-15 22:35:27 | 編集長の本棚
『イーグルに訊け』
インディアンに学ぶ人生哲学
飛鳥新社

カウンセラーが書いた本を読んで頭がおかしくなるかと思った。
あまりにも内容と雰囲気が気持ち悪くて、読むのを途中でやめた、
多分、僕が本を読むようになってから初めての本。

どんな本でも最後まで読んでみなければわからないと思っているので、
大抵の本は最後まで読み切ると、無駄ではなかったなと思う事が多いし、
どんな本でも学ぶ事はできると僕は思っているのだけれど、この本は
読み進める事ができなかった。

インディアンの世界をカウンセラーが体験をもとに解説するような本だけれど、
まるで神秘をカウンセラーの言葉の中に押し込めるような内容で、気持ち悪かった。
「こんな本は書きたくない」と思えただけに、書きたくない本がどんな本なのかを
ちゃんと読んでおく必要があることはわかっているのだけれど、読めなかった。

誤解してくれてかまわないんだけど、僕はまずカウンセラーからカウンセリングを
受けるべきだと思う。