デザイン(英語:design)は、ある対象について、良い構成を工夫すること。
Wikipediaより
以前、日本のツリーハウス第一人者である小林崇さんは「木は自分をデザインしている」
と言われていた。
小林さんの言葉が正しいかどうかわからないが、デザインという言葉には
「人為的である」ことが大きく関係しているように僕は思うので、ここではそいういう
意味で使うことにする。
われわれが日本と呼ぶ、この国はデザインされて始まったものである。
そこにはオリジナル(デザインの反義語として使う)と呼べるものは
ことごとく失われ、成長し続けていくかのようなありもしない世界が映し出される。
地球やインディアンという視点で見るのなら、この世界はまったくのフィクションである。
しかし、永遠を失った後に始まったものには必ず終わりがくる。
なぜなら、ひとがオリジナルな世界(永遠)を作り出すことなどできないからだ。
オリジナルな世界は僕らにではなく、僕らのむこう側にあり、歌や祈り、物語は
むこう側にある。
インディアンと呼ばれたオリジナルな世界の中を生きていた人たちは、このことを失わずに
生きている人たちである。
『 我々が生地を編むのではなく、我々は生地の中の一本の糸にすぎない。 』
どの部族だったか忘れたが、そういうことだ。
なぜ僕がオリジナルな人たちにここまで惹かれるのかという最大の理由はそこにある。
Wikipediaより
以前、日本のツリーハウス第一人者である小林崇さんは「木は自分をデザインしている」
と言われていた。
小林さんの言葉が正しいかどうかわからないが、デザインという言葉には
「人為的である」ことが大きく関係しているように僕は思うので、ここではそいういう
意味で使うことにする。
われわれが日本と呼ぶ、この国はデザインされて始まったものである。
そこにはオリジナル(デザインの反義語として使う)と呼べるものは
ことごとく失われ、成長し続けていくかのようなありもしない世界が映し出される。
地球やインディアンという視点で見るのなら、この世界はまったくのフィクションである。
しかし、永遠を失った後に始まったものには必ず終わりがくる。
なぜなら、ひとがオリジナルな世界(永遠)を作り出すことなどできないからだ。
オリジナルな世界は僕らにではなく、僕らのむこう側にあり、歌や祈り、物語は
むこう側にある。
インディアンと呼ばれたオリジナルな世界の中を生きていた人たちは、このことを失わずに
生きている人たちである。
『 我々が生地を編むのではなく、我々は生地の中の一本の糸にすぎない。 』
どの部族だったか忘れたが、そういうことだ。
なぜ僕がオリジナルな人たちにここまで惹かれるのかという最大の理由はそこにある。