8年前、3月11日は金曜日でした。
私の息子は発達障害で、週イチ特別支援学級に通っていたため、よく覚えています。
迎えに行く途中、歩いている時に揺れを感じました。
立っていることは出来ませんでした。
何とか小学校に着くと校庭へと促されます。
校門から抜けると、校内は大人でギッシリ埋め尽くされ、子どもを探すのに苦労をしました。
全校生徒何十人の学校に、近隣にお住まいの方、お勤めの方が緊急避難していたのです。
そのまま、3駅の距離を徒歩で帰りました。
息子は不機嫌で無言。
どうしたのか?と聞けば、その日は学級の6年生を囲んでの謝恩パーティで、ケーキを並べている最中に地震が起きたため残念だと。
1ヶ月前から献立を考え、プレゼントを作り「さあ、 これから」という段での中止は心残りだったようです。
通常、通っている小学校のことも気になったため寄ると、既に避難所になっていました。
殆どの児童の保護者が、交通手段がなく勤務先から迎えに来られないとのこと。
同級生のお母さんに会い、話を聞きました。
上の中学三年生のお子さんは卒業旅行でディズニーランドへ行ったきり安否も解らないと憔悴した様子。
近所の子は預かろうかと体育館へ行くと、そこは車イスの方や杖をついた高齢者が不安な面持ちで集まっていました。
その中にリクルートスーツの一団がいたので尋ねると、近くの会社で最終面接を受けていたそう。
なかの1名は郷里が福島とのことで、顔面蒼白だったのが忘れられません。
多くの人の「さあ、これから!」、無限に広がる未来が一瞬のうちに閉ざされてしまいました。
あの日から桜の季節には、晴れやかなだけではない悲しみを帯びた感傷が湧き上がってきます。
まだまだ私は消化しきれず、無数の針が刺さったままの心持ちでいます。
『のこされた動物たち 福島第一原発20キロ圏内の記録』
太田康介 著/飛鳥新社 刊
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飼い主との再会も、助けられなかった命も。
福島原発20キロ圏内で保護活動をするカメラマンが撮りためた助けを待ち続ける動物たちの写真集。
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一度きり、開いただけで大切に保管しています。
いつか伝えなければならない日が来るかもしれないから。
今は言葉することは難しい、8年経っても未だ...。
失われてしまった幾多の命へ 謹んで哀悼の意を表します。
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