「日本の保護犬猫の未来を考えるネットワーク」から『ピースウインズジャパン書類送検の結果についてのご報告』です。
是非とも、一人でも多くの方に読んで頂き、周知して欲しいと願っています。
これからの動物愛護や殺処分ゼロ問題への取り組みだけではなく、私たち人間が動物たちと共に生きるために「どうすべきか」を考える転機になることを祈りつつ。
■ 告発内容等経過について
https://inunekonet.wixsite.com/openletter-pwj/single-post/2018/12/05criminalcomplaint
■【閲覧注意】ピースワンコ施設内部の写真
■【閲覧注意】ピースワンコ施設内部の写真
動物愛護法違反の疑いで、6月4日書類送検されていたピースウィンズジャパンですが、残念ながら9月5日、嫌疑不十分で不起訴処分となりました。
(「嫌疑不十分」とは、捜査の結果、犯罪の疑いはあるものの、裁判において有罪の証明をするのが困難と考えられることを指し、犯罪を認定する証拠がない場合の「嫌疑なし」の不起訴とは異なります)
今回、起訴にならなかった理由としては、被疑者が犯罪の故意を否認しており、他の証拠からも有罪認定に足る故意の証明が難しいと検察が考えたことによると思われます。
不起訴の判断を受け、早速ピースワンコジャパン側は、「容疑となる違法な事実が存在しないことを認めていただき不起訴となったと理解している」とのコメントを出しました。
しかし、PWJは警察から犬2頭の殺傷の容疑で送検されたのであり、不起訴の理由も上記のようなもので嫌疑なしではありませんから、この不起訴により違法な事実の存在がなかったと認められたわけではありませんし、司法判断で無罪となったわけではないのです。内部告発者による証拠写真も含め、これまでネットワークが提示してきた情報は全て事実であり、それは今後も変わりません。
今現在も同施設で800頭以上もの犬が行方不明になっており、これについてPWJは一切説明責任を果たしていないこと、収容犬の不妊手術の徹底が未だなされていないこと、施設改善が進んでいると言いながら、非公開施設が数多く存在することなど、数々の疑惑が残されたままです。
過剰収容により、満足に食べることも、安心して眠ることもできず、絶えず恐怖やストレスに晒されている犬たちが存在しないと言うのであれば、すべての施設を公開すべきではないでしょうか。
PWJに向けられた疑問を司法の場で明らかにする道を閉ざしてしまった検察の判断には大変疑問が残るところです。
検察は、PWJの狂犬病予防法違反については有罪立証するに足る証拠があるのに、政策的判断で起訴猶予とし、起訴しないという判断をしていることとも共通の姿勢が見られます。
このような判断では動物愛護法本来の精神は否定されてしまい、全国で殺処分ゼロを謳い、実態はネグレクト収容の数々の自称保護団体を適正に処罰することはできません。
厚さ6センチファイルで2冊以上もの署名が集まったにも関わらず、このような結果に終わったことは国民の意識と検察の判断の乖離を示すものであり大変遺憾ではありますが、一方で、今回の告発がPWJという団体への盲目的な信頼に疑義を生じさせ、動物の扱いに対する数々の疑問を世間に知らしめたことは非常に大きな意味があり、決して無駄ではなかったと確信しております。
PWJに限らず、殺処分ゼロを無理やり掲げ、需要と供給がまったく釣り合わないまま引き出しを続けていけば、いずれ多頭飼育崩壊は免れないでしょう。
そうなることを避けるため、私たちは相手の理性に訴えようと告発という形で警鐘を鳴らしてきましたが、残念ながら事の深刻さは検察にもPWJにも届きませんでした。
また、明らかに問題を認識していながら、表向きの殺処分ゼロを継続するため、ありとあらゆる便宜を図ってPWJをバックアップし、同団体への譲渡を続けてきた広島県および県知事の責任は極めて重大であることは言うまでもありません。
不起訴という結果がPWJの将来の破綻の後押しになりかねないことを危惧するとともに、共犯関係とも言える県の動向に今後も注視していきたいと思います。
なお、今回の件に関しましては、多くの方々から署名や情報提供、ご寄付等の多大なご協力、アドバイス等を頂き、誠にありがとうございました。
また、告発後、当団体とも情報共有をしながら、広島県等に情報開示請求を行い、現在も様々な問題提起を続けてくださっているジャーナリストの樫原弘志さんにも改めて御礼申し上げます。
樫原さんの一連の記事は下記から読めますので、ぜひこの問題の本質や根深さを知っていただくためにもご一読いただければ幸いです。
日本の保護犬猫の未来を考えるネットワーク
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■樫原弘志 Waterside Laboratory LLC
私たち日本人は、動物をペット(伴侶)としてからの付き合いが まだ浅い。
動物愛護の歴史も他の先進国より短い。
だから、声の大きな方や 多くの人が良いとしている側に流されやすい面があります。
「動物というフィルター」からでしか意見できない雰囲気があります。
同じ命と言いながら、どこかで平等に扱うことを恥じるような傾向があります。
本当は、特別な主張や斬新な視点は必要ありません。
皆さんが、素直に心で感じたことが正しいのだと思います。
過疎が進む村に3000という有り得ない数の野犬を集め、繰り返し逸走させ、狂犬病予防も追いつかない。
10億円もの善意の支援を受けながら、不妊去勢を忌避し、死亡頭数どころか保護総数も明かさない。
過剰収容から管理は行き届かず、毎日のように噛み殺された遺体があるのに、センターから引き出しを続け、殺処分から救うと寄付を募る。
間違ってはいないのでしょうか?
“救ってくれてアリガトウ”なのですか?