お盆を迎えるにあたって~
家族揃ってお墓参りに行きましょう
私の実家は信徒なので、仏壇はなく祭壇があります。
お葬式ももちろん数珠はなく
菊を献花し、日常は榊を飾ります。
行事があるときは鯛やお米をお供えします。
死んだ人は神様になると教えられて育った環境ですが
嫁いでかなりの年月が経ち、
すっかり仏式に慣れ馴染んだようです。
こんなことを書きながら
普段は信仰心も薄いで、
お彼岸や盆正月、思い立った時位しか
お墓参りはしないのですが、
「故人は心の中で生きている」
「思い出すことが供養なんだ」~など、
勝手なことを思って過ごしている不幸者です。。
それゆえ、手元にはいつも置いてある仏典関連、
時折目を通すだけで
心が浄化されるように思える今日この頃です。
自分への反省も込めて記載させて頂きます^^
般若心経は
古くから困ったとき日本人のお守りとして使われてきました。
あの耳なし芳一も亡霊に連れて行かれるところを、
和尚さんが芳一の全身に
このお経を書いて守ってもらったのでした。
(耳にだけ書くのを忘れてしまいましたが・・・)
ちびまる子も困ったとき般若心経を唱えていました((笑)
では、来週に迫った「お盆」
今年は少し違った心持でお迎え頂ければ幸いです~
般若心経 (三蔵法師玄奘訳)
かんじざいぼさつ
観自在菩薩 (観音菩薩が、)
ぎょうじんはんにゃはらみったじ
行深般若波羅蜜多時 (深遠な知恵を完成するための実践をされている時、)
しょうけんごうんかいくう
照見五蘊皆空
(人間の心身を構成している五つの要素がいずれも
本質的なものではないと見極めて、)
どいっさいくやく
度一切苦厄 (すべての苦しみを取り除かれたのである。)
しゃりし
舎利子 (そして舎利子に向かい、次のように述べた。舎利子よ、)
しきふいくう
色不異空 (形あるものは実体がないことと同じことであり、)
くうふいしき
空不異色 (実体がないからこそ一時的な形あるものとして存在
するものである。)
しきそくぜくう
色即是空 (したがって、形あるものはそのままで実体なきものであり、)
くうそくぜしき
空即是色 (実体がないことがそのまま形あるものとなっているのだ。)
じゅそうぎょうしき
受想行識 (残りの、心の四つの働きの場合も、)
やくぶにょぜ
亦復如是 (まったく同じことなのである。)
しゃりし
舎利子 (舎利子よ、)
ぜしょほうくうそう
是諸法空想 (この世の中のあらゆる存在や現象には、実体がない、
という性質があるから、)
ふしょうふめつ
不生不滅 (もともと、生じたということもなく、滅したという
こともなく、)
ふくふじょう
不垢不浄 (よごれたものでもなく、浄らかなものでもなく、)
ふぞうふげん
不増不減 (増えることもなく、減ることもないのである。)
ぜこくうちゅうむしき
是故空中無色 (したがって、実体がないということの中には、
形あるものはなく、)
むじゅそうぎょうしき
無受想行識 (感覚も念想も意志も知識もないし、)
むげんにびぜつしんに
無限耳鼻舌身意 (眼・耳・鼻・舌・身体・心といった感覚器官もないし、)
むしきしょうこうみそくほう
無色声香味触法 (形・音・香・味・触覚・心の対象、といった
それぞれの器官に対する対象もないし、)
むげんかいないしむいしきかい
無限界乃至無意識界 (それらを受けとめる、眼識から意識までのあらゆる
分野もないのである。)
むむみょう
無無明 (さらに、悟りに対する無知もないし、)
やくむむみょうじん
亦無無明尽 (無知がなくなることもない、)
ないしむろうし
乃至無老死 (ということからはじまって、ついには老と死もなく)
やくむろうしじん
亦無老死尽 (老と死がなくなることもないことになる。)
むくしゅうめつどう
無苦集滅道 (苦しみも、その原因も、それをなくすことも、
そしてその方法もない。)
むちやくむとく
無知亦無得 (知ることもなければ、得ることもない。)
いむしょとくこ
以無所得故 (かくて、得ることもないのだから、)
ぼだいさった
菩提薩垂 (悟りを求めている者は、)
えはんにゃはらみった
依般若波羅蜜多 (知恵の完成に住する。)
こしんむけいげ
故心無圭礙 (かくて心には何のさまたげもなく、)
むけいげこむうくふ
無圭礙故無有恐怖 (さまたげがないから恐れがなく、)
おんりいっさいてんどうむそう
遠離一切転倒夢想 (あらゆる誤った考え方から遠く離れているので、)
くきょうねはん
究境涅槃 (永遠にしずかな境地に安住しているのである。)
さんぜしょぶつ
三世諸仏 (過去・現在・未来にわたる
<正しく目覚めたものたち>は)
えはんにゃはらみつたこ
依般若波羅蜜多故 (知恵を完成することによっているので、)
とくあのくたらさんみゃくさんぼだい
得阿耨多羅三藐三菩提 (この上なき悟りを得るのである。)
こち
故知 (したがって次のように知るがよい。)
はんにゃはらみった
般若波羅蜜多 (知恵の完成こそが)
ぜだいじんしゅ
是大神呪 (偉大な真言であり、)
ぜだいみょうしゅ
是大明呪 (悟りのための真言であり、)
ぜむじょうしゅ
是無上呪 (この上なき真言であり、)
ぜむとうどうしゅ
是無等等呪 (比較するものがない真言なのである。)
のうじょいっさいく
能除一切苦 (これこそが、あらゆる苦しみを除き、)
しんじつふこ
真実不虚 (真実そのものであって虚妄ではないのである、と。)
こせつはんにゃはらみつたしゅ
故説般若波羅蜜多呪 (そこで最後に、知恵の完成の真言を述べよう。)
そくせつしゅわつ
即説呪曰 (すなわち次のような真言である。)
ぎゃていぎゃていはらぎゃてい
羯帝羯帝波羅羯帝 (往き往きて、彼岸に往き、)
はらそうぎゃてい
波羅僧羯帝 (完全に彼岸に到達した者こそ、)
ぼうじ
菩提 (悟りそのものである。)
そわか
僧莎訶 (めでたし。)
はんにゃしんぎょう
般若心経 (知恵の完成についてのもっとも肝要なものを説ける経典。)
■般若心経とは?
おそらく、多くのお経の中で最も有名なのが般若心経でしょう。
日本で一般的に知られている般若心経は、
西遊記の三蔵法師のモデルである玄奘三蔵の翻訳によるもので、
これは、全600巻という膨大な量の「大般若経」から、
エッセンスだけを抜き出してまとめた、
いわばダイジェスト版のようなものです。
般若心経の「心」の字はそれを表しています。
正しくは「般若波羅蜜多心経」と言い、
原語のサンスクリット語で分解すれば、
「般若=プラジュニャー(最高の智慧)」
「波羅ム=ハラム(彼岸=悟り)」
「イ多=イター(渡る)」ですから、
「彼岸へ渡るための智慧」となります。
これに「心=フリダヤ(核心)」が加わって、
「プラジュニャーパーラミターフリダヤスートラ」(スートラ=経=教え)
つまり、
「悟りをひらくための智慧を説いた教え、その核心」という意味になります。
■内容は?
「空」の境地を説いています。
空の境地とは何事にもこだわりのない心のことで、
悟りにもこだわるな、煩悩の克服にもこだわるな、と教えます。
煩悩の克服や悟りにこだわると、それが執着になってしまい、
かえって悟れない結果になってしまいます。
こうしたこだわりをすべて捨てれば、
おのずから空の境地がひらけ、
彼岸=悟りへ到達できるということでしょう。