『がんばれ街の酒屋さん キャンペーン』
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今日は、我が家の家業について書き留めることに・・・
我が家は、『街の酒屋さん』です。
嫁いだ三十数年前は、兄弟三人、従業員一人に数名のアルバイドと
それはもう忙しい酒屋さんでした。
映画<三丁目の夕陽>と同じ頃の昭和を生きてきた私ですが、
商売人の長男に嫁ぎ、ドップリと商売人生活に足を踏み入れ、
幸か不幸か子供に恵まれぬままこの歳になりました。
OL時代もあり、お給料は気ままに贅沢に自分の為に使って私には
「商売は牛のよだれ、使う段取りより使わぬ段取りを・・・・・
人が寝ている時にも働くのが商売人・・・・」などなど、
義母からの商訓?をうっとうしく思いながらも(笑)
ご両親が働く姿を教訓に過ごしてきた年月です。
時代の変貌と共に「酒屋さん」にも翳りが出はじめた、
1990年代初頭・・・・
心機一転、
やるなら早く!と、旦那の口車に乗せられて(笑)
酒有りコンビ二を兼業することとなったのです。
今では、お酒のあるコンビ二が当然となっていますが
当時はまだまだ酒屋がコンビ二をすることは珍しく、
相当の覚悟が必要でした。
口車、とは、あくまでも私がサブのはずの話し合いだったのに・・・
結局は、私一人ですることと相成ったのです(笑)
そのおかげで・・・・
24時間365日営業という日々の生活に、
女として主婦としてのゆとりを無くし
夫婦仲が険悪な状態になった時もありました。
それでも、人には恵まれた私、
パートさん、バイトちゃんに支えてもらいながら、なんとか十年やり遂げました。
十年間、下ろしたことがなかったコンビ二のシャッター、
閉店の日、
身内は誰ひとり来ることなく私は一人で下ろしたのでした。(涙)
<これを書きながら、その時の腹立ちを思い出した~(爆)>
それでも、支えてくれたバイトちゃんやパートさんが
「店長、お疲れさまでした!」と花束を抱かえて来てくれて
「あーー寂しいなあ・・・・これからどうしよう、、」
と言ってくれる言葉にどんなに救われたことでしょう。
「近い身内より遠い他人だなあ」なんて心の中で苦笑~
腹立たしさも何処かへ吹き飛んでしまいました。(笑)
私は、コンビ二契約十年を全うし、その後の契約はお断りし、
人生の残りを人間らしく暮らすことを選択した。
それから・・・・
私の人生には、多くの変化があったように思います。
その変化は、
「今の私」です。
日々の生活に追われたコンビに時代ですが、
父、義父、二人の肉親を看取り、
365日営業の過酷な仕事ゆえ、哀しみに浸る時もなく
忍耐、我慢、調和、などなど、多くのことを学ばせてもらい
そして、
歳を重ねる毎に見えてくる人景の変化を楽しめるようになりました。
今では、子の無い夫婦も互いに歳を重ね、
良き相談相手として夜を明かして語り合うこともしばしばです。
数ヶ月前、
益々衰退してゆく「酒屋さん」についての話しが・・・・
「○○はコンビ二でお求め下さい」
「メーカーから直送です」
どう思う。。。この状況を、、、
悔しいやないか・・・・
俺は今、組合から大役を任された。
何かをしてみたい。。
酒屋を湧かしてみたい。
そんな類をことを熱く語りはじめました。
そして、偶然にも企画会社からこの企画が持ち上がり・・・・・
本格的に稼動し始めたのは良いけれど、
毎日、毎日、役員さん方と話し合いの日々が続きました。
近畿には、いまだ9000件以上の酒屋さんがあると言う。
そのうち、お酒の組合に入っているのが8000件余り、
栄枯盛衰は世の習い・・・・か。
廃業に追い込まれたり、店をしながら働きに出たり
コンビ二に形態変えをしたりと、それぞれ苦労しながらの
「街の酒屋さん」
しかしながら、
ドップリ浸かった泥沼から這い上がる術が見えてこない。
諦めの境地がフツフツと湧いてくる。
だが、子育て最中の30代40代の世代には厳しい限り。
だから、そんな人ほど燃えて欲しい、と旦那の願いなのだが・・・
免許制度の緩和はあるものの、
まだまだ組合活動も盛んに行われているのだが、
売れない酒屋への打開策は見えてこないのが現状。
そんな中で、役員一同がもろ手をあげての大賛同、
大きなプロジェクトとして
一歩を踏み出したのが今回の挑戦だった。
組合員の負担ゼロ、メーカー援助一切無し、
こんな夢のような企画が動き始めた。
近畿の酒屋さん9000件余り、そのうちの2000件を対象に!
若い人に、街の酒屋さんに足を運んでもらい~
少しでも「酒屋」の存在を認知してもらいたい!
オリジナルポスターの付いたビール券を売ること、
オリジナルで企画したプレミアフィギアを売ること、
一部を寄付に当てること。
大阪だけではなく近畿が一丸となって活動することなど
今回が初めてではないのだろうか。
阪神球団への交渉やフィギア、CM作りの企画、
テレビ局との交渉、などなど
得体の知れない大きな力が動き始めた。
毎日、毎日、頑張ってる姿を見ていると、
昔のぐうたら亭主の面影は微塵も無く、
気をもみながら、使いながら、
人生勉強をしているんだなあと感じる。
役員さん同士~
ここまで頑張ったプロセスが大切で
これから先は、組合員(酒屋)の努力です。
しかしながら、そんな思いは
川もの漣の如く、川底には到達しにくいのかも知れない。
ぐったりと頭をもたげ・・・・
突然、お昼に帰宅した旦那の顔を見ると
少し涙目か??
どうした??
身近な若い世代の人に不参加を告げられたと言う。
うちは子供しか来ないから。。。(お菓子を売る酒屋さんもあるのです)
分からんわ。。。やりもせずに諦める気持が。。。
かなりなショックだったようで、持って行き場を無くしたのだろう(笑)
人は色々、おおぜい事は難しいよ。
そんなこともあるさ~
頑張れ、頑張れ。
それにしても、
上層部だけの練りまわしなのだが、平均年齢65歳位??
そんなおじ様達が、血気盛んに知恵を出し合い話し合い、
近畿地区の説明会に飛び回り燃えていた!
『男の浪漫』だなあと思う。
是非とも、この~浪漫~というやつをハッピーに
達成感あるものにして欲しいなあ!
一人ひとりの力は小さくともそれが集まれば大きな渦となる!
厳しい現状の中、
頑張ることを諦めない!
何からでも挑戦する!
そんな心意気を持ち続けることが
一度しかない人生を輝かせるのではないかな☆
残り少ない人生~
立ち止まっていたらもったいない(笑)
「負けるな父ちゃん!頑張れ旦那!」
そして、
後は結果を待つのみとなりましたが、
奮闘されました役員の皆様方関係者の方々におかれましては
大変お疲れ様でした。