永禄二年(1559)遠藤盛数が東殿山の東家を滅ぼし、八幡城を築いたのがこの城の始まりです。秀吉が天下を統一し、領地二万石を没収せられて加茂郡小原に転封され稲葉右京亮貞通が城主となり城郭を修築して天守台等を設けました。やがて関が原の合戦が起こると遠藤康隆は家康に味方し、慶長五年(1600)再び遠藤氏が城主となりました。
時は流れて明治維新、城は廃城となりましたが、昭和八年に再築されました。
天守閣から見た町並です。交通の便は良く無さそうです。どうして此処に城を築いたのでしょうか、良く分かりません。
この地は山之内一豊の妻千代の出身地だそうで、このような銅像がありました。さすがはスーパーファーストレディです、死後数百年経った今でも活躍されています。
街まで降りて来るとそこには吉田川の清流がありました。鮎釣りをしている人がいましたが釣果は芳しくなかったようです。
「いがわ小径」です。水路には、周辺の有志の人たちよって、自主的に管理されている鯉・岩魚・サツキマス・鮎などが泳いでいて、目を楽しませてくれました。
川が交差して流れていました。ちょっと珍しいかなと思い写真を撮りました。
古い町並みです、趣があります。
涼しそうですが水はあまり冷たくありませんでした。
石で出来た「水舟」です、とっても趣きがあります。今でも使われているのでしょうか。
「常盤電気地蔵尊」です。アマチュア無線家の僕は何故かお参りをしてしまいました。
最後に登場した彼の名誉の為に書き加えます。彼はこの後、見事に飛び込みに成功して拍手喝采を受けました。
「大滝鍾乳洞」へはケーブルカーを利用して入ります。但し帰りは歩きです。
「大滝」の名にふさわしい場所があったのですが良く写ってませんでした。アップしても多分何やら分からないと思い、代わりにこちらを載せました。
鍾乳洞出口です。ここから歩いて下ります。まあ大した事ありませんが・・・。