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【蛇神・完全理解】Ⅱ.大物主その後「蛇の姫とホムツワケ」 

2025-02-09 | 古代ミステリー

2025巳年🐍古代ミステリーシリーズ

出雲連邦王国の盟主を「大国主」と言い、蛇をレガリア(象徴)とする王家だった。天孫族の侵攻により出雲は国を譲ることになる。前・大国主であった大物主のその後の子孫を追っていく。

 

【毒蛇は南の王族の象徴】

中世、インド仏教が中国に伝わると、中国人は仏教の守護神である蛇神を全て龍神に変えてしまった。日本に伝わる時には、「八大龍王」「九頭龍」など私達が知る龍神さまへと置き換わっていた。龍に対する強烈な信仰の前では、蛇神が残る余地はない。

 

 

(仏教の守護神・蛇神ナーガ。蛇体で顔が仏様で頭にもトグロ)

 

単純に、龍も蛇も同じとファジーに(曖昧に)考えてしまうのは、どうやら私達日本人独特の発想のようだ。 

 

そして、キングコブラなど強力な毒蛇が生息する南へ行けば行くほど、逆に龍はいなくなる。

 

蛇は毒蛇として日常的な極めて危険な現実であった為に、想像上のあやふやな存在である「龍」に置き換えられるというファジーな現象は南方では起きにくい。

キングコブラはインド~インドシナ半島、中国南部にかけての熱帯雨林や平原に生息し体長は3~5.5mの世界最大の毒ヘビで文字通り「ヘビの王」。ひと咬みで、ゾウ一頭の致死量となる毒を注入する。人間であれば咬まれた手足を即座に切断しなければ、生き延びることは難しい。

 

中国南部、台湾、ネパール、インドシナ、ベトナム、フィリピン、インドなど南に行くほど、

キングコブラ、フィリピンコブラ、 クサリヘビ百歩蛇(噛まれると100歩くうちに命を落とすという)、ウミヘビなど、人々は強烈な毒蛇の脅威にさらされ恐れながら生きている。

 

(その辺の草むらにいるキングコブラ)

 

そして同様に南に行くほど中国系の支配は薄くなり、龍神の入り込む余地はなくなる。

 

南方の人々にとって毒蛇は、身近な脅威の存在なのだ。

 

毒蛇の強さゆえ「王族は蛇の子孫である」としたり、蛇を王家のレガリア(象徴)として人々を畏怖させる為、支配者達は積極的に蛇の脅威を信仰に利用していた。

 

例えば、強烈な毒蛇がいないエリアでは太陽神が最高神とされ、王は日本でも日の御子であるが、南の毒蛇地帯では、「王族は太陽と蛇の間に生まれた御子を始祖とする」といった感じになる。

 

そして、「蛇は王族を咬まない」「王は咬まれても死なない」等と人々の脅威をそのまま王族への畏怖に転化した。

エジプトでも有名なツタンカーメンで知られるように、コブラは王家の紋章(レガリア)であり、王族の王冠にも蛇形が取り付けられる。

 

百獣の王ライオンでさえもしもコブラにもしも咬まれれば、のた打ち回り動かなくなるのを知っていた人々は、ライオン以上にコブラを畏怖していて、

頭に巻くコブラのモチーフと女王が身に着ける蛇のアミュレットは、火を吹くと信じこませ人々を恐れさせていた。

(王家の紋章コブラをモチーフにしたツタンカーメン王)

 

 

【古事記を読み解く】

(ここから先は古代ミステリーらしく、万世一系と言うセオリーから外れて書き進めています。分かりにくいところもあると思いますが、ご容赦下さい。)

 

古事記が編纂されるはるか昔、弥生時代の先住部族と後からやって来た渡来部族たちとの間では、結び、同盟、国譲り、など離合和合が繰り返されてきた。

蛇をレガリアとする南方からの渡来部族は、犬戎、大物主、ニニギ、卑弥呼の一族などであり、北方からの渡来部族に比べると数が少ない。

 

北方系は、神武、威徳天皇、ヤマトタケル、垂仁天皇、崇神天皇、秦氏、スサノオ、天武天皇、継体天皇、聖徳太子などの勢力で英雄キラ星の如く現れ圧倒的に 南からの渡来人は埋もれがちである。

 

 

彼らは縄文人の子孫ではなく、弥生時代以降に海の向こうの何処かから文化や、水稲作、製鉄、機織り、金の精製などを携えてやってきた渡来人だが、古典の世界(古事記・日本書紀)では、神話化され記されている為、「海を照らしてやって来た」とか、「常世の国からきた」などとされ、実際は何処の国から渡来してきたかという研究は、日本ではまだあまり進んでいない。

 

本当に天上界から空飛ぶ船に乗って降臨してきたという様な神話を、史実として信じている人はいないと思うが、「では実際は海の向こうの何処の国からやってきたのか?」という事になると、神話の世界を侵してしまう為、歴史の世界ではこのタブーにはなんとなく踏み込めないでいるのだ。

 

そして、私たちが知っている歴史とはこのタブーを侵さない日本という国の国史であり、日本列島が抱いてきた日本列島史とはまた趣きが違う。

段階的に大陸側から、亡命者や移民らが日本列島に辿り着き、国土と殖産を開いてきたのが日本列島が抱いてきた歴史だ。

しかし、それでも古典上では(古事記・日本書紀)それぞれ来日した王たちが一つの系譜にまとめられるのは、渡来部族と先住部族、お互いの王子と王女・嫡系同士を婚姻させ両氏の王統を継ぐ王子を生み出したからに他ならない。

聖徳太子やヤマトタケルなどは王とならず、その次の世代から王統が始まっていくのはその様に外来部族と先住部族の王統の統合が行われた特徴を示している。

 

 

【蛇の姫とホムツワケ】

垂仁天皇(慕容垂)

 

4世紀ごろ北方の燕の国からやってきた、

第11代・垂仁天皇の御子の神話。

ホムツワケ王子は大人になっても言葉を話せなかった。

夢のお告げで「出雲の神の宮を天皇の宮と同じに綺麗に建て直せば話せる様になるだろう」と、

出雲の大神より知らされ、ホムツワケは出雲に行った。

そして、声を発するようになり、出雲の肥長姫と結ばれたた。

しかし、姫の正体は蛇だったため

ホムツワケは恐ろしくなって大和(奈良)へ逃げ帰った。

 

「大人になっても話すことができなかった」という天皇や王子が古典(古事記・日本書紀)の中には幾度か出てくるが、実際に失語症の王族が多かったという訳ではなく、

古事記という神話から歴史を読み解こうとする基本的な解釈では、母国語が日本語でない渡来人だったため話せなかったという場合に使われる表記として考えられている。「赤子の様に泣いてばかりいた。」と言うのも、意味の通じない声ばかり出していたと解釈される。スサノオやアジスキタカヒコネらがそれにあたる。

 

大和王朝などより歴史が古い出雲王朝では、和国語も朝鮮・中国語も話せる言語に精通したものも居て、ホムツワケは出雲に行って和国語が話せるようになったのだろう。

 

(それにしても昔の日本人の名前って変ですね。渡来人らしい名残が生々しい。)

 

この神話は、近世で例えて言うならば

—京都の御所は徳川幕府に対し、『将軍のお世継ぎを留学させるので、どうか建物を立派に直してほしいと』お願いした、と言った程度のエピソードかと思われる。

 

祭祀権を継承している出雲に対し、奈良の大和朝廷は接近しすぎに警戒していたのだろう。

神話に登場する出雲大神とは、大物主(大国主)と思われるが、

垂仁天皇の王子と、出雲の姫の嫡系の統合は、

蛇をレガリアとする大物主系の姫=蛇の姫である事を恐れたホムツワケが逃げたので、

叶わずに終わっている。

 

言語留学はしてもそのまま、出雲との関係は深められなかった訳だ。

そしてやはり、ホムツワケは終始「御子」と呼ばれて王子の扱いが続いていた。

 

(古事記を編纂した人はつくづく見事だと思う)

蛇をレガリアとする古部族の扱いや交渉の歴史を、「夢のお告げ」「正体は蛇だった」などと神話化して書きとめている。ファンタスティック。

 

そういうわけで、南方渡来の大物主(大国主)に話を戻す。が、もう一つ脱線し

 

古代中国では蛇をレガリア(王家の象徴)とする国に対し明確なイメージが存在していた。

通常、周辺諸国に金印を授ける場合、南方の諸侯に贈る金印は取っ手が蛇になっているのだ。

中国江南の許氏の一族の出自である「卑弥呼」に中国が贈った金印は、取っ手がヘビになっていると言う。

 

 

倭国で、南方渡来の大物主が大和で勢力を伸ばしていた時代にも、やはり蛇の金印が漢委奴王へ贈られた。他に取っ手は、「ラクダ」「龍」「亀」などがあり、それぞれの方面の象徴が意味付けがされている様だが、和国の扱いはまだ「蛇」だった様だ。

 

古代はこうした蛇を王家のレガリア(象徴)とする南の部族が多く、中国の認識も日本でもそのようだったに違いないが、やがて時代が下ると、大物主勢力は落ちぶれ南方渡来の王族であったことさえも忘れられ、古事記の時代になると毒蛇コブラの強烈な強さも知らぬままただの蛇を象徴する氏族として扱われていた。

 

垂仁天皇の王子ホムツワケが逃げた「蛇の姫」こと肥長姫は、「海原を照らしながら追いかけてきた」と記されるが、海原を照らしながらやってきたのは大物主の記述でもあるので、やはり大物主との繋がりを示している。

前回の投稿でも書いたが肥長姫、手長姫など、「長」姫系の姫は、インド仏教の守護神・蛇神「ナーガ」が起源であるとの説がある。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

そして最後に、

この時代の日本列島ではまだ「蛇神は龍神と同じ」として容易に龍神に換えられていくことはなかった。

 

勿論、インド仏教が中国に伝わるよりずっと以前のことで、

仏教守護神「法華経」の八大龍王も九頭龍も、まだ日本には登場していない。

 

列島が統一され完全な日本国となる前の時代、小国が乱立していて先住の異民族を指して渡来してきた大部族たちは「土蜘蛛」「鬼」「蛇」などとその特徴に対する呼び名で呼んでいた。

正体は蛇だったというのは比喩でしかなく、蛇をレガリアとする氏族だったという意味であり、神話化して描かれているが、実際に蛇の姿をした人間がいたというわけではない(笑)

 

「土蜘蛛」「鬼」など異民族への呼称が、鳳凰や麒麟にバージョンアップされ変化すること等ない様に、

前王朝の「蛇」もまた龍と呼ばれることなどなく、

蛇は蛇のままであり続けた。

 

✨✨✨✨✨✨✨長い話を最後まで御覧頂きありがとうございました。

パートⅢ.大物主のその後「蛇の王子」に続く。



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