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【蛇神・完全理解】Ⅲ.金運財運の神・白蛇弁財天の登場

2025-02-16 | 古代ミステリー

巳年🐍古代ミステリーシリーズ

前回までは2000年前〜1700年前くらい、古代の蛇の信仰について書いた。

蛇をレガリアとする大物主の系譜を追い、蛇のエピソードを書こうとしましたが、あまりに長くなってしまい💦

ここで一旦古代から離れて、中世へ

 

更に1000年以上時代をくだった、

約600年前の室町時代の蛇神について書いてます。 

😌🙏長文でマニアックですが、

金運財運の蛇✨の起源に興味のある方はご覧下さい。

[目次]

・メイドイン・チャイナ

・福の神の輸入

・七福神の誕生

・金運財運の神・白蛇弁財天の起源

・水辺にいる蛇神の正体とは

 

 

【メイド・イン・チャイナ】

前回も書いたが、世界最大の毒蛇『キングコブラ』の国・インドでは、蛇は身近な脅威であり人々に恐れられていた。

王族や宗教家は「蛇を始祖とする」「蛇は王家の紋章」など

人々の蛇への畏怖を積極的に信仰に取り入れ、王族に対する畏怖へ転化していった。

そして毒蛇の最強の強さ故、インドなど強烈な毒蛇が身近にいる南方では、

蛇神はいても龍神はいなかった。

 

『龍神』は中国的な存在なのだ。そして

『蛇神』はキングコブラの国・インドならではの存在だった。

 

インドの仏教が中国に伝わると、仏教の守護神『蛇神ナーガ』を中国人は全て龍に変えてしまった。

そして八大龍王や九頭竜が誕生し、

中国仏教が日本に伝わると、日本古来の蛇神や水神などは、

仏教の法華経の守護神だった「龍神」に置き換えられていった。

 

この『インド→中国→日本』と言う

いわゆる北伝ルートは、

中世の日本の経済発展と信仰の発展

『福の神の信仰』にも重要な役割を果たした。

 

どんな、時代だったのか?

 

千年ほど前、

宋の頃からようやく中国は自国の造幣権を安定させ、鎌倉幕府は日宋貿易を行っていた。

 

 

【福の神の輸入】

鎌倉幕府が滅び室町幕府の時代になると、宋は滅び中国は『明』の時代となる。

室町幕府の第三代・足利義満将軍が天皇方(南朝)を討ち、明の皇帝より足利義満が

「日本国王」として認められ、貿易権を独占し、日明貿易で巨万の富を築き上げた。

 

これまでの日本では通貨の流通はほとんどなく、まだ物々交換をしていて、経済の流通と呼べるほどの発展がなかった。

 

お金そのものが使われてないので

したがって、人々には

金運や財運の信仰もない

黎明の時代が続いてきた。

 

室町幕府の日明貿易により、流通経済が爆発的に発展し、

ようやく人々は通貨を使うようになっていき、

同時に中国から輸入された神「福の神」の信仰が普及した。

日本人が崇める、金運・財運の神々が誕生した。

 

(室町バブル時代 金閣寺)

金運財運の神とされる「弁財天」は、

もとは仏教の守護神「弁才天」として、

奈良時代の仏教「金光明経」により日本に伝わっていた。

しかし、この頃はあくまで仏教の守護神であり、

七福神の財運の神、

「弁才天」から「弁財天」となって人々の崇敬を集める様になったのは、再輸入された

700年後、室町時代の経済発展の時だ。

 

そして、蛇はもともと「弁才天の使い」とされていた為、ここで

金運財運の神である蛇神様が誕生した。

 

 

【七福神の誕生】

「古来より蛇は神様の使いと考えられ、財運・金運の神として崇められてきた」

等と、巷間ではよく言われている。

 

古来〜「神の使いだった蛇」と言う信仰は、一体いつ頃から存在していたのだろう??

特に、古い歴史が好きな私には興味深い。

 

室町時代、

中国との貿易で日本の商業の発達が始まると共に『福の神』が中国から輸入され、

経済的な御利益を求める商売繁盛や財運上昇の信仰が高まった。

 

当初の福の神は三福神 八福神など 紆余曲折があったが、七福神で「福の神」信仰がまとまり、傀儡師(人形使い)などを使い、西宮より全国へ広められた。

 

傀儡師とは、歌舞、曲芸などを行いながら全国各地を巡る芸能集団だが、当時は

寺社の布教をする興行メディアの役割を担っていた。

 

 

七福神は、恵比寿様(エビス)をのぞき全て外国の神で、日本古来の神々ではない輸入組だ。

(中 国)✨寿老人・福禄寿・布袋、

(インド)✨大黒天・毘沙門天・弁才天、

 

七福神のエビス様を筆頭とし、傀儡師(人形使い)による「エビスまわし」などの演目で、全国の港から港へ、流通と共に伝えられた。陸路より海路の広まりは早く、

 

経済的な発展と共に、

『大漁』『商売繁盛』など金運や財運を求める信仰が流通拠点に広がっていった。

 

ついには同業者組合「座」(ギルド)が誕生していき、そして

 

日本経済の活性化と共に、更に福の神への信仰は活発になっていった。

 

 

呪いや祟りなど呪術的な教化や地獄絵図が蔓延した前の平安時代を暗黒の中世と言うならば、

室町時代の「福の神」とは暗黒に新たな光が射したルネッサンス的な価値観だ。

 

日本の伝統芸能が花開いた時代でもある。

商売繁盛という御利益の教化と、経済成長が同時に進行したというのは、

日本の宗教政策史上、極めて稀な出来事だった。

 

✨✨✨✨✨✨✨

エビス様「商売繁盛・大漁」

大黒さま「五穀豊穣・開運」

弁財天様「金運・財運」

毘沙門天「勝負運・福徳」

福禄壽様「家門繁栄・子孫繁栄」

寿老人様「延命長寿・福徳施世」

布袋さま「夫婦円満・笑門来福」

✨✨✨✨✨✨💥

七福神には主なご利益があり、それぞれ繁栄や福徳、財運や繁盛などの御利益も兼ねている。

 

 

【金運財運の神・白蛇弁財天の起源】

もともと蛇は弁才天の使いとされていた為、室町時代の流通経済の発展により、

金運財運の神・弁財天と共に祭られる様になる。

 

白蛇は縁起がよく、弁財天の化身とまで言われ「白蛇弁財天」として祭られた。

 

 

弁才天は、インドの水神「サラスバティー」のことで、

音楽(芸術)の神でもあり、ヴィーナと言う琵琶に似た楽器を持つ姿で祭られている。中国での漢訳は、「辮才天女」

 

 

 

水の流れ

音楽の流れ

流れを司る女神がサラスバーティが、

中国から日本に伝わり七福神となり、

流通経済の発展と共に

流れを司る弁才天は

音楽の流れ、水の流れに、

「お金の流れ」が加えられ、弁才天から弁財天へと変わった。

 

奈良時代は、

仏教の守護神・弁才天だったものが、

室町時代になり、

経済発展により貨幣の使用が盛んになり、金運財運などご利益を求める信仰が広まり、

福の神「弁財天」へと変わり、同様に弁財天の使いである蛇も、金運財運の蛇神さまになった。

 

日本古来の信仰と言うより、

約600年前に生まれた、比較的新しい信仰だったようだ。

 

インドの水の女神サラスバティーとは

「水を持つもの」と言う意味で、

元はサラスバティー川という河の名前だったとも言う。

日本では、厳島神社に祭られる「市杵島姫」と同じ神であるとされ同様に祭られた。平家にとっての、海運の女神た。

 

ヒンズー教の女神として紹介される事も多いが、ヒンズー以前、仏教、バラモン教まで遡り、更にその起源は3千年以上前のアーリア人の水の女神

「アナーヒター」であると言われる。

 

インドのとても古い水の女神様なのだ。

 

そして、インドでは「蛇」は弁才天の使いとされていたが、

 

何故、水の女神「サラスバティー」は蛇を使わせたのか?

 

「蛇は蛇行するので、川の流れと同じだから」

「蛇も水辺にいるので、同じ水の神様だから」では、あまりに根拠が弱い。

 

土俗的な学者などは「同じ水神と考えられた」等と説明するだけで終わりにしがちな事だと思うが、

古代インドの世界に遡ってみて、

もう少し「蛇と水神」の具体的な関係について追ってみたい。

 

 

 

【水辺にいる「蛇神」の正体とは】

日本に水稲作が伝わったのは2000年以上前のことだが、インドの水稲作は早く、約6000年前から行われてきた。

日本古来の伝統的なソウルフードに思われがちだが、水稲はもともと熱帯植物であり、日本に伝わってから品種改良をして何世紀もかけて東北でも稲が作れる様になった。とても

インドの水稲作6000年の起源には及ぶものではない。

 

農業に水は不可欠であり、インドの農耕民族が水神を祭るのは、当然のことだ。

中国北方の黄河文明は、水稲を作ることができなかったが、粟、稗、小麦などの雑穀類を作っていて、

そして、農耕民族である以上、水の神はやはり同じ様に祭られていただろう。

 

しかし、小麦農業には蛇は登場しない。

 

黄河ほど蛇行する川は無いと思うが、それでも蛇の蛇行と同じに考えられ崇められていたと言うことは皆無な様だ。

何故だろう?

6000年前のインドの水田風景を思い浮かべてみたい。

 

 

すくすくと育つ稲を守ってくれているのは、

トンボやカエルなど害虫を食べてくれる生き物たちだ。

土器や銅鐸などの遺物にもトンボやカエルは時々描かれている。

水稲作の農耕民族にとってカエルは、水田の安全を象徴する心象風景なのだ。

(※クリーチャーマニア的な土俗的信仰ということではないです😅)

 

しかし、このカエルを狙って水蛇が現れる。

水蛇がカエルを食べてしまえば、稲を害虫から守ってもらえない。

カエルを食べる蛇は、水稲作の農耕民族にとって

神の使いどころか、害獣なのだ。

 

蛇行する川と同じに考えて、蛇を崇めている場合ではなかった。

 

では何故、蛇は「神の使い」とまで崇められたのだろうか?

 

前回の投稿でも詳しく書いたが、インド人にとって信仰の対象となり得る「蛇」とは、唯一の蛇の王

キングコブラのことなのだ。

 

そして、

キングコブラの好物は水蛇であり、キングコブラは好んで他の蛇を捕食する。

日本の動物園などではアオダイショウを餌として与えているという。

蛇を食べる蛇キングコブラが水田にやってきて、蛇を退治してくれる事は、

農民にとってはまさしく「神の使い」であった事だろう。害虫を食べるカエルを守ってくれる存在だ。

キングコブラは大人しい性質で、人が驚かせない限り自ら人を襲う事はない。

 

水田の守り神・水の女神が使わせた「蛇を食べる蛇」キングコブラであればこそ、人々の

信仰の対象となり得たのだ。

 

しかし、

黄河文明で小麦を作っていた中国人や、

キングコブラを知らない日本人にとっては、

水の女神と「蛇を食べる蛇」キングコブラの存在が、どれだけ収穫の助けになっていたかなど、全く想像が及ばない。

 

只、その「水神と蛇」という関係だけが伝わり、後付けで理由を考えて理解していた事が多いようで、蛇神の説は諸説あり決め手がないのだ。

日本の民俗学では、

蛇を水神としてのみ扱っている。

今でも水道の口を「蛇口」と呼ぶ様に、古来よりずっと蛇と水は重ね合わされてきた。

 

私達、日本人にはとても思いもよらない事だが、

「蛇と水神」の組み合わせの起源は、

6000年前のインドの水田から始まったのかもしれない。そして、

600年前の日本で、金運財運の神へとかわった。

 

インド、中国、日本へと伝わっても

蛇はサラスバティーのスピンオフ(眷族)でしかなかった為に、

龍神に換えられると言う事もなく、

 

水神の使いの

蛇として残り続けてきた。

 

✨✨✨✨✨✨✨

長い話を最後まで御覧頂き有難うございました。🙏



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