【真弓神社】
茨城県常陸太田市真弓町 陣ヶ峰2766
茨城県南部。真弓山の頂上に鎮座し、なにこれ珍百景に登録された神社。
頂上へは東参道(1時間半コース)と
西参道(30分コース)がある。
車で近くまで行ける西参道から上がった。
地図や案内では「西参道」だが、現地では『裏参道』と書かれていた。
土砂災害の跡も遺され、途中から道なき道を行く険しい道のりだった、、
一対の石像が迎えてくれる。
看板が無ければ気づくこともなく、
いきなり視界に入り
ぎょっとしていたかもしれない💦
注意してないと道が見えなくなる😅
倒木で道が塞がれていたが、、
なんとか乗り越えていく(危ない)
さすが裏参道だ😅
東参道から登ると時間はかかるが、歩き易いハイキングコースだと言う💦次は東にしよう。看板の字も全て消えていた、、
ようやく頂上へ
御祭神⛩️✨
大己貴命(大国主)、少名彦命、
創建 807年 平安時代
坂上田村麻呂、源義家など
北征の折に祈願した由緒があり、以来武士の崇敬を集めていた。
東参道からの入口
東日本には、古事記・日本書紀とは別の系譜が残る。
『摂社』
ヤマト側から見れば、まつろわぬ(従わない)異民族としての扱いだが、異民族には異民族の歴史がある。
ヤマト族よりずっと以前から日本列島にいた人々の歴史を知ることは、
国史ではなく『日本列島史』を知る上では貴重な事で、神社の社伝も興味深い。
真弓山は陸奥の国(東北)へ侵攻する為の拠点だったのかもしれない。
付近には、泉神社(速玉姫)など
古事記に登場しない神々を祭る神社が多い。
車で15分くらいのところに
東に大甕神社、西に薩都神社があり、
両社には地神が祀られているが、
こちらの真弓神社と共に、今度は三社参りをしてみたい✨⛩️
最後まで御覧頂きありがとうございました
✨✨✨✨✨✨😊✨
坂上田村麻呂は心無い仕打ちは辛かったかもしれませんね。東北に観音堂をたくさん 建立されていたそうですし、慈悲を感じます。
常陸五山など関東では、坂上田村麻呂が祀った後、桓武天皇が崩御されると一斉に天台宗が流入してきた様です。
またつい深堀りしてみたくなりますが💦
まずは⛩️お参りしてきますね🙏✨✨
私も、色々とタイミングの不思議に驚いています。こちらこそいつもありがとうございます。
常陸五社すべてが坂上田村麻呂によるものなのですね。全く知りませんでした。
坂上田村麻呂はアテルイを知るにつれ、最後までアテルイの命を守りたかったわけで、それは権力者の意向で叶わなかったけれど、
戦いではなく、和を求めていた
という事実だけは心が温かくなりました。
まつろわぬ側と支配者、人と人が敵対するという差がなくなる世界がいつの世も平和への切符なのかもですね。
コメントありがとうございます。
ぜひ、真弓山もゆかれてみて下さい。もちろん東参道からが良いと思います😊
私は、薩都神社の事は知りませんでしたので今度は、御岩山登山と薩都神社に勝手ながら後参りをさせて頂こうと思います🙏⛩️
あきさんの投稿で、時々
興味感心が向くところへ導かれているというか補完し合っている様にも思え、タイミングの不思議を感じます😌
いつもタイムリーな投稿ありがとうございます。
竪破山も知りませんでした、、
『常陸五山』といって山岳修験の場だったようですが、
真弓山、真弓神社
竪破山、黒前神社
花園山、花園神社
東金砂、東金砂神社
西金砂、西金砂神社
五社すべて坂上田村麻呂によるものだそうです。😳国土開発の神様(大己貴命・少名彦)が祭られ、支配者側の建立ですが
蝦夷たちにとっては山を取られたという感じだったのかも知れません。
紀州の熊野三山と玉置神社みたいな山岳修験の場が、
常陸にも五山あったというのも驚きですが、後にどちらも徳川家が置かれているのでやはり東西の重要拠点だったのでしょうね。
常陸五山の五社参りもしてみたいです
まつろわぬ側と支配者側、それぞれお参りすることで常陸の地がまた安んじられる様な気がします。
なんて、関心のままに書きすぎました💦
いつもありがとうございます。😊
私は、大甕神社、薩都神社は参拝しましたが、真弓神社は未だ参拝しておらず、興味深く読ませていただきました。
それにしても、すごい参道ですね。
しかし、頂上ではよくぞ上ってこられましたと神様が歓迎してくださっている、そんな空気感が伝わってきました。
茨城は、その奥、東北への玄関だったんでしょうね。
太古の日本列島史伝が、神社参拝するとみえてくるような気が私もしています。