【青鬼神社】
長野県北安曇郡白馬村北城17446
白馬村の青鬼という集落にある。
御善鬼様という善い鬼を祭った神社だ。
山奥の寒村だが、何気に参拝する方がとぎれない。
ご祭神 御善鬼大明神さま
奥宮が9世紀に創建され、10世紀に創建された。
七世紀末のこと。
長野に『水無瀬』という、かつては湖だったが水が涸れた盆地があった。
天武天皇朝の末期に、ここに奈良県の飛鳥から都を移そうという計画があったが、
水無瀬に居た「鬼」と呼ばれる人々が里を守らんとして一夜にして山を塞いでしまった。
天武天皇は、阿部比羅夫を派遣し彼らを掃討した。
鬼達は隣の白馬村に移り、村人に尽くし住まわった。
村人達は、御善鬼様と呼び彼らを祭り「青鬼」という集落になった。
水無瀬には鬼が居なくなってしまい、鬼無里という地名になった。
この頃の長野は、日本海側からの上陸後の拠点でもあり既に善光寺が築かれていた。
古人大兄皇子は、この方面に逃げ、
天武天皇朝末期の事なので、遷都というよりは天智天皇系に備えての
避難と籠城の構えだったのかもしれない。
朝廷の征服に従わない異民族を鬼・土蜘蛛などと呼んでいた事もあり、
里を守ろうとした為に、鬼と言われたのかもしれない。
「鬼」というと勧善懲悪の代表の様になってしまっているが、
必ずしもそうとも言えない。
ほどなく天武朝は終わり、遷都は無くなるが鬼の伝説と地名だけが1300年経った今でも息づいている。
画像は昨年のもの
もう冬眠している頃だろうか。
#もう鬼は外はいいかな
いつも興味深い話をありがとうございます。
善鬼って、役小角の弟子前鬼、後鬼の
前鬼にも関係あるのでしょうか。
響きが同じです。
天武天皇時代ですから、時代が重なります。
鬼は外はもういいかな。。同感です😌
コメントありがとうございます。
確かに!同時代ですね
鬼無里の北東に、役小角が戸隠山を開山した後の事なので関係はあるかもしれないですね。前鬼、後鬼との関係は分かりません
大化の改新の後、
役小角は各地で修験道を開山し
山の民を役民として
阿部比羅夫は蝦夷族を徴兵して
東日本の山岳民達と、平地の農耕民の大和朝廷が最も近くなった時代だと思います。
そう考えると興味深いです。
平均身長2.5m程度、
少数民族の山の民が、
その大柄な体躯から「鬼」と呼ばれた事もあったかもしれません。