Ninbuのスマホで撮った花だって美しい!

サイクリング・テニス・散歩等の道すがら、公園・野原・湖畔・川辺等で見つけた美しい花をスマホで撮っています。

祭りだ! 祭りだ!

2023-08-16 | 日記

新型コロナウイルスの感染症法上の分類が、5類に引き下げられてから初めて迎える今年の夏。全国から祭りやイベントの、4年ぶり開催のニュースが連日届きます。

人混みが苦手な私ですが、祭り好きの日本人のDNAをがあり、とうとう我慢できず、茨城県常総市で開催された「将門祭り」というお祭りに参加してきました。

常総市地域交流センター(豊田城)

将門公の遺領旧豊田郡に伝わる盆踊りは,古くは森の広場や社寺の境内などで焚火を囲んで唄を投げあい,口々に囃子たてながら踊られていました。

厄病除けやふれあいの場としての長い歴史の中で現代に受け継がれた全国的にも数少ない大衆民族舞踊のひとつです。

毎年8月15日に近郷近在から集った踊り子と観衆が,一体となって「将門おどり」を踊ります。お囃子は,大太鼓,小太鼓,笛,鐘などで,独特の調子にふるさとの郷愁を漂わせます。

唄は,見物人を踊りに引き込むためのものと,途中全体の気分を盛り上げるものなどいろいろな歌詞がありますが,昔は誰かれなく即興的に作って唄うことが普通でした。

踊りは比較的簡単で,行進の振りにわずかな品をつけ,手拍子を境に数拍子で終わりますが,連続して左方向に踊り進みます。

誰でも溶け込みやすく,野趣に富み,人それぞれに振り付けができるのが特徴です。

近年は地元団体によるソーラン踊りやキッズダンスの披露などがあり,終始楽しめるような工夫をしています。

お祭りと言えば屋台です。神様も人が集まる賑やかな場所が大好きなので、お祭りの場にたくさんの食べ物店や遊べる場所があると、より多くの人が集まることからといわれています。

祭りのフィナーレは花火が打ち上げられました。タイミング悪く、花火開始早々豪雨に見舞われました。不思議なことに5分程の花火が終了と同時に雨もピタリと止みました。

将門祭りフィナーレ(花火)

平将門ゆかりの地である常陸国(茨城県)と下総国(千葉県北部)には、時の権力者に反抗し、国司の圧政に苦しめられた民衆が、将門を英雄として崇める将門信仰が受け継がれています。

<王城の地跡地案内板(柏市大井)>

終焉の地となった私の住む現在の柏市にも、数々の遺跡や伝説の地が残っています。いくつかご紹介します。

<王城の地跡地(柏市大井)>

将門記に云く、王城を下総の国の帝南に建つべしと。この地より、眼下手賀沼を望めば大井の津が一望でき、北に筑波山を拝し、西に富士山を奉拝し、関八州を手中にできるこの地こそ王城建設にふさわしい所である。

<将門神社案内標識>

手賀沼ふれあい遊歩道から将門通りを歩くと3分ほどで将門神社に着きます。

日本で唯一と言われる社名の将門神社は、千葉県柏市岩井の地に鎮座しています。

<将門神社(柏市岩井)>


<将門神社扁額>

承平天慶の乱で斃れた将門公の霊を弔うために、将門の三女の如蔵尼がこの地に祠を立ててその霊を弔う。(承平天慶の乱:京都朝廷より将門追討の命を受け藤原秀郷が日立の国主平貞盛と協力して将門公と戦った)

将門神社と隣接して龍光院があります。(将門の三女の如蔵尼が建立)

<龍光院入口にある見事な彫刻>


<狛犬>

最後までご覧頂きありがとうございました。

平安時代の中期に活躍した武将、平将門は、平氏一族間の紛争に始まり、関東各国の紛争にも介入、やがて新皇と称して関東一円を独立国にしようとしました。

しかし、藤原秀郷、平貞盛の軍に敗れ、その夢は消えました。

死後は怨霊になり、日本三大怨霊の一人として知られます。

後に御首神社・築土神社・神田明神・国王神社などに祀られます。