かつてこのブログで、高校での未履修問題に対する文部科学省の対応に関して、「我が国は非法治国家へ」というややセンセーショナルな表題の記事を書いたことがあった[http://pub.ne.jp/niosmo0418/?entry_id=392768]。
ただ、この文部科学省の対応自体は、一応法的に説明できるものであったし、むしろこのブログで書いたことはあまりに非現実的であったかもしれない。
一方、菅首相による浜岡原発の運転停止要請[http://www.kantei.go.jp/jp/kan/statement/201105/06kaiken.html]は、まさしく法治主義を無視するものだ。
菅首相は、法的根拠は何もなく、しかも閣議決定すらしないで、首相からのお願いとして、浜岡原発を停止に追い込んだ。
中部電力は首相の要請を受け入れたが、一民間企業に対する対応とは考えがたい。法治主義のみならず資本主義も無視している。
しかも、リスクに関する説明もあまり納得できるものではなく、また停止した際のコストに関しても釈然としない。国民に負担を強いる割には、あまりにも準備と説明が不足している。
それに加えて、各紙が入手している政府の東京電力「救済案」は、直接関係のない他の電力会社や国民に負担を求めようとしているという。民間会社の責任は、まずはその会社自身でとるのが筋ではないか。会社の「社員」とは本当は従業員のことではなく株主のことであるが、会社は社員(=株主)のものであり、当然まずは彼らが責任をとるのが、資本主義の原則ではないのだろうか。
このブログでは、菅内閣に対しては是々非々で評価し、必ずしも世間の重箱の墨をつつくような菅批判とは距離をおいてきたし、今後もそうしたい。しかし、法治主義と資本主義は、我が日本国の重要な原理原則である。それを無視する様な政権に、これ以上任せていいのだろうかと感じさせられる。
ただ、この文部科学省の対応自体は、一応法的に説明できるものであったし、むしろこのブログで書いたことはあまりに非現実的であったかもしれない。
一方、菅首相による浜岡原発の運転停止要請[http://www.kantei.go.jp/jp/kan/statement/201105/06kaiken.html]は、まさしく法治主義を無視するものだ。
菅首相は、法的根拠は何もなく、しかも閣議決定すらしないで、首相からのお願いとして、浜岡原発を停止に追い込んだ。
中部電力は首相の要請を受け入れたが、一民間企業に対する対応とは考えがたい。法治主義のみならず資本主義も無視している。
しかも、リスクに関する説明もあまり納得できるものではなく、また停止した際のコストに関しても釈然としない。国民に負担を強いる割には、あまりにも準備と説明が不足している。
それに加えて、各紙が入手している政府の東京電力「救済案」は、直接関係のない他の電力会社や国民に負担を求めようとしているという。民間会社の責任は、まずはその会社自身でとるのが筋ではないか。会社の「社員」とは本当は従業員のことではなく株主のことであるが、会社は社員(=株主)のものであり、当然まずは彼らが責任をとるのが、資本主義の原則ではないのだろうか。
このブログでは、菅内閣に対しては是々非々で評価し、必ずしも世間の重箱の墨をつつくような菅批判とは距離をおいてきたし、今後もそうしたい。しかし、法治主義と資本主義は、我が日本国の重要な原理原則である。それを無視する様な政権に、これ以上任せていいのだろうかと感じさせられる。