19日付の首相官邸のブログ「KAN-FULL BLOG」を読んで唖然とした。菅総理が我が国の国家元首を、総理大臣だと誤解していると思われる文があったからだ。菅首相は、ダボス会議での経済人との会合について、以下の様に述べている。http://kanfullblog.kantei.go.jp/2011/05/20110519.html
これは明らかに、自らを元首と解したものだ。
我が国の国家元首については、法令上明確な規定はない。従って、憲法学界では様々な説があり、確かに総理大臣が元首という説も有力ではある。しかしながら、それは机上の空論ではないか。
各国の元首とされるのは、共和国なら大統領等の国民の代表者であり、君主国なら君主であるというのが常識だ。元首は必ずしも政治的最高指導者と言うわけではない。ヨーロッパにおいては、国王も大統領も政治的実権がない国が殆どである。首相が元首である国が1つでもあるのなら、是非教えて欲しい。
我が国でいえば、天皇が元首にあたるのは間違いないであろう。日本国憲法が共和制を採用しているという宮沢説は、一般に受け入れられているとは思われない。
しかも、過去の政府答弁では、天皇を「元首であると言っても差し支えなかろう」(平成2年5月14日参院予算委員会での工藤法制局長官答弁)としている(ただし工藤氏の答弁は、「元首の定義いかん」によるとし、「限定された意味」という前提である)。また国際慣例上、我が国の天皇は元首とみなされているし、現に米国政府は日本の国家元首(head of state)を、「明仁天皇」("Emperor Akihito")としている。http://www.state.gov/r/pa/ei/bgn/4142.htm
民主党政権になってから、外務大臣が天皇陛下のおことばに異議を唱えたり、幹事長が天皇の政治利用を肯定し、首相もそれを追認したり、予算委員長が秋篠宮殿下に暴言を吐く等、皇室に対する不適切な言動が相次いだ。今回の菅氏の言葉もその一環なのだろうか、それともただの勉強不足なのだろうか。
(追記)
現在は「国家元首同士の会合」から「首脳同士の会合」に修正されている。誤りを認めたのだろう。
一国を預かるリーダーとして、国家元首同士の会合も重要と思いますが、こうした世界的な専門家から直接に優れた見識を伺えるネットワークも重要であると考えています。
これは明らかに、自らを元首と解したものだ。
我が国の国家元首については、法令上明確な規定はない。従って、憲法学界では様々な説があり、確かに総理大臣が元首という説も有力ではある。しかしながら、それは机上の空論ではないか。
各国の元首とされるのは、共和国なら大統領等の国民の代表者であり、君主国なら君主であるというのが常識だ。元首は必ずしも政治的最高指導者と言うわけではない。ヨーロッパにおいては、国王も大統領も政治的実権がない国が殆どである。首相が元首である国が1つでもあるのなら、是非教えて欲しい。
我が国でいえば、天皇が元首にあたるのは間違いないであろう。日本国憲法が共和制を採用しているという宮沢説は、一般に受け入れられているとは思われない。
しかも、過去の政府答弁では、天皇を「元首であると言っても差し支えなかろう」(平成2年5月14日参院予算委員会での工藤法制局長官答弁)としている(ただし工藤氏の答弁は、「元首の定義いかん」によるとし、「限定された意味」という前提である)。また国際慣例上、我が国の天皇は元首とみなされているし、現に米国政府は日本の国家元首(head of state)を、「明仁天皇」("Emperor Akihito")としている。http://www.state.gov/r/pa/ei/bgn/4142.htm
民主党政権になってから、外務大臣が天皇陛下のおことばに異議を唱えたり、幹事長が天皇の政治利用を肯定し、首相もそれを追認したり、予算委員長が秋篠宮殿下に暴言を吐く等、皇室に対する不適切な言動が相次いだ。今回の菅氏の言葉もその一環なのだろうか、それともただの勉強不足なのだろうか。
(追記)
現在は「国家元首同士の会合」から「首脳同士の会合」に修正されている。誤りを認めたのだろう。