日の本の下で  究極の一点 Ⓢ への縦の道

『究極の一点』Ⓢ 
神のエネルギーの実在を『フライウェイ』の体験を通して知り、
伝えるデンパ(伝波)者

『柳橋物語』    山本周五郎 著

2019年09月29日 | 音楽 映画 小説  サイエンス  アニメ

*『柳橋物語』『樅ノ木は残った』のネタバレ、あらすじが

書いてあります。

名作です。私のつたない文章であらすじを知るより

先に原作を読まれる事を強くお薦めします。

ご承知おき下さい。

 

小さい頃から時代劇は好きだった。

NHK大河ドラマ、金曜時代劇、水戸黄門、大岡越前、銭形平次、

時代が下り、

木枯らし紋次郎、必殺仕掛人、子連れ狼、破れ傘刀州、大江戸捜査網

少し思い出そうとしただけでもこれだから、

私の子供の頃はTV時代劇の黄金期であった。

 

中学生の頃好きで必ず観ていた時代劇があった。

『ぶらり信兵衛道場破り』という

道場破りを生業としている、長屋住みの浪人信兵衛が主人公で

高橋英樹さんが演じられていた。

 

チャンバラが見せ場の時代劇には珍しく

圧倒的な実力を持ちながらも、最後は道場主に

華を持たせて見事な負け方をしてお金をせしめるという

殺陣さえ人情喜劇の演出にしてしまった面白い時代劇であった。

 

本当は2クール半年で終わるはずだったのが人気が出て

もう2クール延長され一年放送されたのだけど、

ヒロインのお文役の武原英子さんと

お文のお爺さん役の大宮敏充さんがスケジュールがつかず

延長後交代された。

 

私は当時、武原英子さんのお文が気にいっていたので、

けっこう残念だったが、

それでも『ぶらり信兵衛道場破り』が続いてくれたのはうれしかった。

 

とても、気ににいっていたので、

自然とエンドロールで原作を知りたいと思い、

この作品が山本周五郎氏の『人情裏長屋』という

作品が原作だと知った。

 

*この作品は2015、2016年とBS時代劇にて『子連れ信兵衛』

というタイトルで信兵衛を高橋克典さんが演じて再ドラマ化された。

 

山本周五郎という名前をいつ知ったかは記憶は定かではないが

私が子供の頃の昭和30年代から40年代、時代劇の原作に

山本周五郎氏の作品は多数使われていた。

その中で多分私が氏の作品ではっきりとストーリまで

覚えていた最初の作品は

NHK大河ドラマの『樅ノ木は残った』だろう。

 

江戸時代の伊達藩のお家騒動を扱った作品を

 平幹二朗さん田中絹代さん、栗原小巻さん、吉永小百合さんと

昭和を代表するような俳優さんが演じられていた。

とにかくドラマの最後が印象的で、

主役の平幹二朗さん演じる原田甲斐のお家の為に

泥を被り死んでゆく武士の美学が

子供であった私にも沁みるような余韻を残した作品だった。

 

子供の頃も成人してからも、

山本周五郎氏の原作と知らずに多くのテレビ番組や映画を観ていた。

有名なところでは、映画監督、黒澤 明氏の映画の原作とされいる

『椿 三十郎』』、『赤ひげ』、『どですかでん』、

がある。後、脚本が残され、後に映画化された『雨あがる』もある。

(どですかでん、は現代劇)

 

確かに映画の脚本は原作とはかなり違うものもあるが、

山本周五郎氏の作品から黒澤 明監督が多くの

インスピレーションを受けたのは間違いないだろう。

 

時代劇TVドラマにいたっては、これは氏の原作を元に作られているなと

思える作品は本当に数限りない。

日本の戦後の時代劇が山本周五郎という作家から受けた影響は

本当に大きかったのではないかと思う。

 

 

そんな山本周五郎氏の文学作品に

19歳の私は孤独な日々の中でもう一度出会った。

 

通り魔事件・親殺し子殺し・引きこもり・子供部屋おじさん             メメントモリ ・生死の対話  

の中で下記のように書いた。


私は人に関わる事が怖くなり、部屋に閉じこもった。

芸術に対する情熱も失い、インターネットのないあの時代

現実から逃避する為にひたすら本を読んだ。

本を読んでいる間は現実を忘れる事が出来た。

 

人と全く会話のない孤独な時間の中で、ある小説家の作品との出会いが

私にもう一度、人を信じ、前に進む勇気を与えてくれた。

 

このある小説家とは山本周五郎氏の事だ。

 

私は父の影響(小学生の私に『『坂の上の雲』を読ませた。)も有り、

小学生の頃から司馬遼太郎氏の歴史小説を好んで読んでいた。

 

だが、思春期に突入し三島由起夫氏の作品を読んでからは

純文学一辺倒になっていった。

私の世代は十代の半ばに村上龍氏が『限りなく透明に近いブルー』で

華々しくデビューした頃にあたり、TVでも何かと話題となり

読まないわけにはいけないような雰囲気があった。

私は村上氏より、その次の芥川賞を受賞した中上健次氏の作品が好きで

『岬』『枯れ木灘』などの作品を貪るように読んでいた。

それ故、当時の読書の対象もまたそのような文学作品ばかりであった。

 

当時、受験仲間の自殺した街から逃げ出し、

新しく住み着いた街で、

外に出るのは食料調達か、図書館か本屋だった。

ある時たまたま立ち寄った本屋で

平積されている文庫本が目に入った。

それは、表紙に日本の古いに合わせ鏡がシルエットのように

配置され、その中に白抜きで蒔絵の柄のように草が描かれていた。

手に取って見るとそこには

『小説 日本婦道記』 山本周五郎 と記されていた。

裏表紙の紹介文には、厳しい武家の定めの中で生きた

女性たちの短編集である事が書かれていた。

 

当時よほどの事がなければ新刊本を買わなかった私は

その和モダンの印象的な表紙につられ、迷わずレジに向かった。

 

帰宅し、一気に

 『小説 日本婦道記』を読み終えると

すごく長い吐息が漏れた。

長らく、胸の中に貯まっていた、もやもやしたものがなくなり

一陣の風が胸の中を通り過ぎて、若草の香りがわずかにするような

清涼感が残った。

 

 

彼の死以後、私は自分の二十歳の誕生日を迎えるのがたまらなく

怖かった。

彼は二十歳にならずに自らの命を絶った。

私は自分が十六の時に自身の精神の虚無と死の淵を経験しながらも

彼の悩みに全く気づく事が出来なかった自分もまた

二十歳になる資格がないのではないかと

誰も知らない街のアパートの一室で、一人怯えていた。

 

それは、私が二十歳になる夜に、

クリスマスイブの夜に

クリスマスキャロルのスクルージの前に現れた精霊のように、

死神が私の前に現れ、有無を言わせず連れ出して

彼の前に立たされるという恐怖であった。

 

当時の私は死んだ彼の前に立ったら、何と語り掛ける事が出来るのか

その答えをさがし求めていた。

 

受験や芸術で悩み死んでいった彼に対して

私なりの納得のゆく返答をする事ができなければ、

とても顔上げ、前を向いて彼の前に立てないと思えた。

 

『小説 日本婦道記』はそんな私の心を

厳しい定めの中にあってなお、凛として生きてゆく女性たちの姿

を描き切る事で、

風の祓いのように一時、吹き清めてくれたのだった。

 

それ以後、私は山本周五郎氏の時代小説の世界に魅入られ

やがて『柳橋物語』に出会った。

 

『柳橋物語』

 

この作品は江戸の下町が舞台だが、

物語は、今もどこにでもある庶民が暮らす街の夕暮れから始まる。

 

主人公の十七歳の娘「おせん」は祖父と暮らしている。

おせんが夕食の支度をしていると、店の方から

幼なじみの庄吉と祖父とのやり取りの声が聞こえてくる。

どうやら会話から庄吉が旅に出るように聞こえる。

庄吉は店を出た後に勝手口に回り、

窓を開け、おせんに柳河岸で待っていると告げ

思い詰めた顔をして去ってゆく。

 

夕暮れの墨田川の河岸、柳の木の下でおせんは

庄吉から、江戸を出る理由は

大工の棟梁の杉田屋で共に育った、

おせんにとっても、もう一人の幼なじみの幸太が

棟梁の跡継ぎとして養子になる事がきまったからだと告げられる。

 

庄吉に、幸太と同格になる為に、上方にいって稼いで親方の株を手に入れるから

それまで、誰とも結婚せず待っていてくれるように頼まれ、

おせんは夕暮れに照らされた河岸の雰囲気に飲まれるように、

庄吉の言葉どうり待っていると約束する。

 

おせんの激流のような人生の運命は結果からいえば

この夕暮れ時の河岸での、

わずかな時間での約束によって決まってしまった。

 

おせん、幸太、庄吉は幼なじみであった。

おせんも両親に死に別れ、杉田屋に住み込みで働く幸太と庄吉に

幼き日に出会い、成長した。

幸太は小さい頃は、口の利き方が乱暴で大人と達者に口喧嘩をするようなふうで

庄吉はおとなしく、ひ弱で見た目は女の子のようであった。

 

幸太、庄吉共に

おせんが好きであったがおせん自身は

庄吉に河岸で告白されるまでは

そのような特別な思いをどちらかにも抱いた事はない。

二人ともそれぞれに近しい幼なじみであった。

だが告白された事によって、おせんの熱情は庄吉に傾いてゆく。

 

十七歳のおせんにこれ以後、様々な不幸が襲いかかる。

幸太郎が跡継ぎと決まった杉田屋から、おせんへの縁談の話があるが

祖父がおせんの亡くなった母親との因縁を理由に幸太との縁談を断る。

その話を詳しく聞いて、おせんは杉田屋と自分との関係を祖父が嫌っていた理由知る。

庄吉との約束の事もあり、杉田屋と幸太とは疎遠になろうと決めたのだが、

縁談が破談になった後も幸太は祖父に話しに来るのをやめず、何かにつけおせんの所に

顔を出して世話を焼こうとする。だが祖父もきっぱりと幸太にもう来ないよう告げる。

そうこうするうちに、祖父が病で倒れ仕事が出来なくなり、

おせんはお金に困り内職をはじめるが

そんなおせんを幸太はほっておけず、お金を渡し、手助けをしようとする。

 

おせんは庄吉との約束を守る為と、幸太が煩雑に来た事で

おせんが幸太の妾であるかのような噂が流れている事を理由に

幸太の申し出をきっぱりと断り、手をつけていなかったお金もつき返す。

それ以後、幸太はおせんの前にはあらわれなくなる。

 

その事があってしばらくしたある夜、江戸の街に火事が起こる。

火事は想像以上の大火となり、おせんの街にも迫ってくる。

幸太はおせんの元にかけつけ、身動きが出来ない祖父を担いで

火事の江戸の町をおせんと共に逃げまどう。

 

火事に行く手を遮られ、また木戸が閉められ、

橋のない墨田川の河岸におせんたちをはじめ

多くの人々が追い詰められてしまう。

 

地獄絵図のような光景の中

幸太はおせんと祖父を布団をかぶせ守ろうとするが、

火の勢いは益々増してゆく。やがて、幸太は

祖父が息をしていない事に気づき、おせんにわびる。

おせんは、

祖父を連れて逃げてくれた事の礼を幸太に告げる。

炎は河岸の家を焼き燃え盛る瓦礫が落ちて来る中、

おせんは赤ん坊の泣き声を聞きつけて

焦げてくすぶっている、ねんねこにくるまった赤ん坊を見つけ抱き上げる。

ほっておくように幸太に言われるがおせんは赤ん坊を離さない。

燃えさかる炎の下で幸太は

おせんへの告げることが出来なかった切ない想いをついに告げる。

そして、おせんと赤ん坊を守る為に、河に降りても足がつくように

石材を川底に積み上がるようにいくつも落としてから、

赤ん坊を抱いたおせんを河に降ろし、流されないように石垣にしがみつかせる。

幸太はおせんの上に布団をかけて、火から守ろうと手で布団に水をかけていたが

流れてくる手桶が目に入り、それを取ろうとして水に入ったが、

すでに力を使い切ってしまい、「おせんちゃん」と声を残し

川面に消えてゆく。

 

その後のおせんの記憶はお救い小屋から始まる。

命を救われたのは、おせんと、

おせんが拾った誰が親ともしれない赤ん坊だけであった。

 

祖父と誰かが死んだ事は朧気ながら覚えているが、

夢の中の事のようではっきりしない。

 おせんは記憶が混濁し火事以前の記憶が無くなり

自分がどこの誰で何故赤ん坊を

連れているかさえ、思い出せなくなってしまう。

その事で拾われた赤ん坊はおせんの子供とみなされる。

最初の内は赤ん坊の為に乳をわけてもらったりしていたが、

日がたつとそれもなくなり、小屋を押し出されてしましい

乳飲み子を抱えふらふらしているところを声をかけられ

その声をかけてくれた勘助夫婦の世話になるようになる。

 

やがて火事で焼けた街が再び活気を取り戻してゆくように

新たな暮らしの中でおせんの記憶は段々と蘇ってゆく。

 

物語は、庄吉が帰ってき、おせんが育ている赤ん坊を

幸太の子供と勘違いした事から、おせんが再び追い詰められてゆく。

 

様々な不幸に見舞われるが、おせんの回りには

世の人情や縁によって助けてくれる人々もいて、

人の世の巡り合わせの不思議さを感じさせる。

運命に翻弄されたおせんは、多くの不幸を経験したが、

その事によって、真実の愛とはどのようなものなのか、

苦難の果てに気づいてゆく。

 

物語の最後

おせんの、死んだ幸太への語りかけの言葉が胸を打つ。

大火の折り、そこに橋があれば多くの人が助かったという理由でかけられた

柳橋の完成を祝う人々の賑わいや、お囃子の音が聞こえてくるかのような

結びが、心にいいしれぬ余韻となって残る名作である。

 

 

私は、『柳橋物語』を読み進めてゆくうちに    

「おせん」に起きた事がまるで自分に起きた事のように思えた。

そして、涙が溢れて、途中何度も読む事が出来なくなった。

 

特に、火事の後おせんが記憶を無くし、彷徨う場面では

自身の十六歳の片頭痛の際に経験した記憶の欠落や混濁を思い出し

胸が押しつぶされそうになり、その先を読み進む事が中々出来なかった。

当時の私も外界の出来事が遠くに感じられ

おせんと同じように、どこか夢をみているような

そんな精神状態で何ヶ月かを過ごした。

 

庄吉が戻りはしても、おせんは赤ん坊の事で誤解されたまま

その事が引き金になり、精神の平行を何度も失いそうになる。

おせんの回りの人々も浮世の容赦ない運命に翻弄されて

死んだり、離れたりしてゆく。

そんな苦難の末に、ついに幸太の声はおせんに届き、

真実の愛とはどのようなものかを悟らせる。

 

読み終えて

私はおせんの人生の中にようやく、探し求めていた答えが見つかった気がした。

 

人間とは運命に翻弄される宿命にあり、

その事を拒む事などできない。

そして、人間はいつか必ず死ぬ。

 

そのある種の『諦め』をまずは受け入れる事から始めようと。

 

そして、人生とは不条理で矛盾だらけの世界を生きる事であり、

肉体の死は平等に誰にも訪れる。

だが、人間は肉体が消え去ったとしても、

消す事ができない真実を残す事は出来うるはずだと。

 

物語の最後、おせんが、幸太の位牌に向かって呼びかけをすると

幸太の満足そうな顔が浮かびあがる。

 

その瞬間、私の前に笑顔の彼が立っている姿が目に浮かんだ。

 

「もう一度顔を上げ、前を向いて生きてゆこう」

 

柳橋物語は

運命を受け入れ、人を信じ、人の海に漕ぎ出す勇気を再び与えてくれた

私にとって、人生のかけがえのない一部となった珠玉の物語である。

 

 

 

 

 

 

 

柳橋物語・むかしも今も (新潮文庫)
山本 周五郎
新潮社

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