日の本の下で  究極の一点 Ⓢ への縦の道

『究極の一点』Ⓢ 
神のエネルギーの実在を『フライウェイ』の体験を通して知り、
伝えるデンパ(伝波)者

音楽を聴かない若者たちは『すべての芸術は絶えず音楽の状態に憧れる』という文化の終わりを象徴している①

2016年04月11日 | 音楽 映画 小説  サイエンス  アニメ

若者たちが車を買わないと言われだして久しいが

何日か前のネットの記事で音楽に無関心な若者も増えている事が

話題になっていた。

私の世代は戦争経験世代の影響もあってか

ありとあらゆる音楽を聴いて育ってきた。

 

音楽の話題についてゆけないのがカッコ悪い時代であったから

たいていの男子は洋楽やロックを最初のうちは無理をしてでも聴いて

ある瞬間を境にあの脳髄に響く歪んだ騒音みたいなエレキギターの音が

美しく聞こえるようになるのを通過儀礼のように経験している。

 

私の場合はその瞬間の明確な記憶があって

友人が選んだBBキングから始まるロック50選なるアルバム(もちろんLPレコード)を

耐久レースのように聞かされている時

ギターの神様ジミ・ヘンドリックスのインストゥルメンタル 「ピース・イン・ミシシッピ」がかかって

彼のエフェクター(エレキギターの音を電気変化させる機材)のディストーションを使って

ストラトキャスター(エレキギターの名前)の音を歪ませ大音量で弾く音に

胸が熱くなり思わず「スゲェー」と叫んだのだった。

その瞬間以来、私はあの歪んだ硬質のエレキギターの音が大好きになった。

 

若い人にはトンチンカン(死語)に聞こえる話だろうが、

ロックそのものがまだまだ歴史が浅くヒッピー文化と結びついたものであったから

ロックと言えば洋楽から入る時代だった。

 

ここまで書いて

高田純次さんが「説教」と「昔話」と「自慢話」は歳をとったらしちゃいけない

と言っていたのを思い出した。

本題に戻ろう

 

時代は下りそんな私も新しい曲はほとんど聴かないし

音楽にお金を使うのもカラオケが一番だと思う。

 

昔と違ってyoutubeもあり、音楽をお金を使ってまで聴く必要がなくなってしまった。

確かに高いオーディオ装置を使って年齢に相応しい楽しみ方もあるのだろうが

私はパソコンとヘッドフォンで十分満足できるので

つくづく有りがたい世の中になったと思っている。

(ソフトを使えばyoutubeのキー変更も簡単にできるので無料のカラオケといっしょだ)

 

私でさえこうなのだから私より下の世代が音楽にお金を使わないのはあたり前だろう。

AKBやアイドルのCDの売り上げがどうの言っても

買う側が彼女たちやアイドルの音楽を買っている訳ではないのは

誰でも理解できる事だろう。

 

ネットの記事によると2009年に音楽に無関心で全くお金を使わないのが

全体(全年齢層の合計)の15.4%なのが

2015年には34.6%に増加していてなんと3割以上が音楽に無関心で全くお金を使わないという。

それも年齢で言えば十代の学生と二十代の若い世代の音楽にお金を使わない比率の伸びが著しい。

 

昔も今も若年層のおこずかいの金額は物価の上昇分を考えればさして違わないだろう。

しかし今は昔はなかった携帯(スマホ)なるものがあるので、

親にその負担をしてもらっている世代はおこずかいを使う優先順位が

ゲームや他の趣味や遊びが音楽より高くなってしまっているのもあるし

何より、話題の優先順位から音楽が確実にランクダウンした事が

若い人が音楽に投資しない一番の原因だろう。

音楽の話よりはゲームや他の話しをした方が

時代意識を共感しあえる世代がもう十代二十代に育ったとういう事だろう。

 

ここから先は私のデンパ話

エネルギー転換によって人類には

感情を常に手放す事を促すようなエネルギーのベクトルが働いている。

その事は人類全体が段々と感情的表現を強調した芸術を忌避するようになる事を意味している。

 

たとえば絵画なら19世紀のロマン主義の代表のドラクロアのような激情的な表現や、

音楽ならまさにジミ・ヘンドリックスの歪んだ大音響のロックや

その進化系のヘビーメタルのように聴く事で拳を振り上げ感情を鼓舞するような音楽は

今は想像する事はできないだろうが、2100年頃には誰も聞かなくなっているように思う。

日本の文化の場合

漫画なら劇的に感情をデェフォルメをされた表現や、

音楽なら演歌のような感情的情調に訴えるようなものは

100年後には琴線に響く日本人はいなくなってしまっているのではないだろうか。

端的に言えば浪花節文化は日本から消えてゆく。

 

今も日々情緒に流される事が原因で起こる事がニュースとなっているこの国が

そのように変化してゆく事は絵空事と思えるだろうが

実際に日本の若い世代に起きている事は意識の段階からの変化が根底にある事なので

この事が意味しているのは、私たちが経験したようなエレキギターの歪んだ音が

美しく聞こえる世代がこれからは大きく育つ事はもうないし

私のように歳を重ねて演歌や浪花節の良さがわかるような者は

二十代以下の世代ではほぼいなくなる事を示唆している。

 

今後音楽のジャンルで感情に訴える激しい音のものは

日本では益々聞かれなくなってゆくだろうし

はっきり言ってしまえば

音楽という情緒的な芸術そのものがゆるやかに衰退してゆく運命にあり

 

『すべての芸術は絶えず音楽の状態に憧れる』文化は

 

日本の二十代以下の世代では終わりを告げた事を意味している。

 

 

では音楽芸術のかわるものが何であるかはこの次お話しよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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