はじめに・・・このブログについて
はじまりは2005年4月6日から。
現在別居中(ダンナが勝手に出て行きました)→調停離婚が成立しました。
覚え書き↓
2009年11月 ダンナがまたおかしくなりはじめた。
2009年12月 ダンナがまた出て行った。(二度目の別居)
2010年 2月 姑とのバトル。これ以降一切連絡を取っていない。→姑の電話で暴言。
もう私達は終わったと思っていた。二度と信頼関係は戻らないだろうと。
それでも気持ち的には戻りたい・・・という気持ちが少しはあった。
だけど心の中では無理だろうと思っていたのに。
信頼が無いまままた一緒にやっていく自身が無い。
ところが昨日のダンナは違っていた・・・
私は少しは自信が持てた。
相手が変われば自分も変われる・・・そういうことなのだろうか?
ダンナは少し前向きに動き出したのだろう。
私がいけなかったところ
ダンナと自分が同等だ、何もかも・・・と思ったこと。
男女は気持ちの上では同レベルで無ければいけないと思う、
だけど何もかも同等ではないのだ、持ちつもたれつだ。
子供に対する接し方も同じ事を求めようとした。
私がこんなにしているのだからあなたもこんなにしないといけないと。
でもそれは違う。母親と父親の愛し方は違うのだ。
同じ愛情を持っていても同じ事を子供達にしなくてはいけないわけではない、
それぞれに役割があっていつも子どものことを考えてあげられればいいのではないか。
そして私は思いやりが無さすぎた。
自分のことばかりかわいそうだと思って視野が狭くなっていた。
というより相手の気持ちを考えてやれる心の余裕がなかったんだね。
夫婦は必ずしも一体である必要は無い、
もちろん家庭のこと、子供達の事は一体で行動したほうがよい。
だけどお互い干渉しすぎてはいけないと思う。
いくら夫婦だって入り込んで欲しくないボーダーラインがあるはず。
何もかも知るということが夫婦ではないと思う。
それぞれが独立した違った考えをもった人間なんだから。
心の問題にしたって夫婦だからと入り込みすぎてはいけない気がする。
ただでさえ男は弱みを女に見せたくないのだ。
私は頼りない、計画性が無い、優柔不断・・・そんな部分を
自分の思い通りの夫像と比べていらついていた。
私の夫像なんて??ダンナはダンナなのだ、
ありのままのダンナを受け止めることが大切だったのに
そんなくだらない事を比べていらついていたのだ。
人は変わらない、ましてや自分の思い通りになんて。
ダンナの悪いところ・・・
細かすぎ。多分精神が弱っていて余計にそれが悪化したんだろう。
ほこりが溜まると気になるようだけどなるべく
「ほこりがたまったってしにゃしない~」と思って
身近な細かい事よりも心が豊かで居られる事を考えて欲しい。
狭くたってお金が無くたって、多少汚くても皆が笑顔で心豊かに生活できる事の方が
よほど大切な事なのだ、と自覚する事。
(これは病気が治まってきたからきっと解っていると思う)
あれ?考えてみるとダンナの悪いところはそれだけか。(笑)
結局私が悪いのかな。
私も変わらなきゃね。
お互い好きなことをしていてもどこかで家族として繋がっている、
いつも家族が幸せである事を考えてもちろん夫婦別々の事をしていても
いつもお互い思いやれる気持ちを持つ事・・・
私はもしかしたらやりなおせるかもしれない・・・とふと思った。