はじめに・・・このブログについて
はじまりは2005年4月6日から。
現在別居中(ダンナが勝手に出て行きました)→調停離婚が成立しました。
覚え書き↓
2009年11月 ダンナがまたおかしくなりはじめた。
2009年12月 ダンナがまた出て行った。(二度目の別居)
2010年 2月 姑とのバトル。これ以降一切連絡を取っていない。→姑の電話で暴言。
もう一回整理してみようと思いました。
ダンナが「離婚をしたい、どうしてもダメだ」と言う理由を。
毎日毎日私はそれを考えながら過ごしています。
何がだめなんだろう?どうしたらいいんだろう?
そして自分なりに治そう、とがんばりながら必死で掃除したり必死で片付けたり・・・。
できることはしてみました。自分なりに何がダメなのか?
自分を見直しながらやってきました。 ・・・でもそれはどれだけ考えても答えが出ないのでしょう。きっと。
なぜならばそれは自己愛が自分を正当化するために相手を攻めて相手のせいにしようとしているだけだから。
「家が汚い」
家は汚くありません。少なくとも私の感覚が異常でなければ。(笑)
でも凄く綺麗だ、とは言えません。
築数年前のマンションです。確かに物が多くてごちゃごちゃしている部分もあります、
仕事で掃除ができなくて埃がちらほらあるときもあります。
そんな時はクイックルワイパーで軽く拭いてから仕事に出かけます。
少なくても週一以上は必ず掃除機をかけ、拭き掃除もします。
犬がいるので毛が抜けたりするので気付いたら掃除するようにしています。
あ、犬を飼うと言い出したのはダンナです。
私は「部屋が汚れるから動物は飼いたくない」と反対しました。
子ども達が片付けられない子達で、部屋は散らかし放題です。
まめに注意して片付けさせたり、私が休みの日に少し片付けてやったり。
子供部屋はいらないおもちゃがあふれていたのでそれを処分すると
今度は「おもちゃを捨てられるのが嫌だった」という理由になります。
ダンナはそう言うわりには掃除はもちろんしません、
片付けもそんなにできるほうではありません。よくCDとか放置してあります。
一年に一度か二度、自分の気が向いた時にいきなり掃除してくれたりしますが
そんな程度です。もちろんどうだオレが掃除してやった、という態度になります。
ダンナから掃除しろ、とか汚いとかそれまで私に対して一度も言ってきたことはありませんでした。
「おもちゃを捨てられるのが一番嫌だった」
先ほど書いた子供たちのおもちゃです。
おもちゃを捨てることに酷く執着。あ、おもちゃだけではありません。
自分が実家から持ってきた生まれる前から家にあるという物凄いレトロな扇風機を結婚してからダンナは家に持って来ました。
私は何度もそれを粗大ごみに出そうとしましたがダメでした。
メーカーから回収対象になっても捨てようとしません。
昔のとても重い扇風機だったので小さな子ども達が暴れて倒れたら危ないな、
とひやひやしました。
実際何度も倒れて壊れそうでしたがダンナは何度も治して使っていました。
「5年前にあなたがくれた手紙がどうしても許せないから」
子ども達が小さい頃、私もノイローゼになりかけていました。
そんな時に鬱だ、と言われ自分が病気に行きたいくらいでした。
だんは犬もそうですが、子供もかわいいかわいい、と最初はかわいがるけど
決して面倒をみようとしない人です。
都合良くかわいがってあとはあっちいけ、という感じです。
やんちゃな二人の子供をたいして手助けしてもらえず私は必死で育てました。
ダンナは、たまに手伝った程度で「オレはやってる!」と言われました。
そんな時に鬱だ、と言われ、申し訳ないけど私もノイローゼになりそうです、
なにもしてあげられないから調子が悪いなら病院にいってみて、
私は育児でいっぱいいっぱいで今はあなたを気遣ってあげられない、
という内容だったと思います。
内容も忘れました。
もし裁判になったらその手紙を証拠に出すのだ!と言われびっくりしました。
内容は忘れたけど、そんな酷い内容でもなかったはずです。
私なりにかなり気遣って書いた手紙でした。
それをダンナは今でも「許せない」と離婚の理由にするんだ、と持っています。
でもそれ以前に、5年前のことを出されても、
今現在のことは治せても過去は治せません。
「オレとおまえとは教育方針が違う」
ダンナが子供たちのことで意見を言ったことはほとんどありません。
私が相談しても何も意見をするわけでもなく全て私任せでした。
だから私は一人で考え、一人で判断して子育てしてきました。
ダンナからそれは違うよ、と指摘することもありませんでした。
教育方針が違う、というのなら色々口出ししてくるものでしょう、全くそういう事はありません。
というか教育方針などというものにまるで興味が無いようです。
なのでこれは単なる言い訳だと思います。
ダンナは結婚前から奇妙な点があったけど、それが露になってきたのは
子供が生まれてしばらくしてからだと思います。
たぶんですが、私が子育てに必死になり、子供たちに愛情が注がれる分、
自分に対する愛情が薄くなったと感じたのが嫌だったんじゃないかなと思います。
確かに私の気持ちも薄れていました。だから子育てに必死でした。
子育てや家事、まあそれ以上に精神的な支えも何も無い夫に
誰が愛情を持ち続けられるでしょうか。
ダンナの本当の理由はその部分にあると私は思います。
「育った環境が違うから合わない」
まあいろんなこと言ってました。
「あなたは自営業の親の娘だから、サラリーマンの夫のことはわからないのだろう」と。
私自身も長い間サラリーマンしてたんですけどね。(笑)
それ以前に、全く環境が同じで結婚する人もいないでしょう。
ダンナの親は母親の方が色々と何かを決めて動く家でした。
ようはダンナと同じ、父親が動かないんです。
母親に依存しきってるんですね。多分同じく自己愛の母親に。
私の親は父が中心でした。父が色々なことを決めてみんなでやっていました。
だけど私はダンナに対して決してそれを押し付けたことはありません、
でもダンナは
「お前がいろいろ決めてやってくれないと。そうして自分は育ってきたのだからそれが当たり前だ」と、
色々なことを私にやれと押し付けます。
細かいことでは食べるものや着るものもそうです。
ずいぶん経ってから気付いたことがあります、
そうして私に色々と決めさせるのはダンナが自分で決められない人だと言うことです。
食べ物に関しても自分が何を食べたいのか、全く決められません。
着るものも自分で選べないのでいつまでも服がボロでも平気で着ています。
私はわざと選んであげないでいます。お金あげるから自分の好きなの買ってきてと。でもずっとボロのままです。
本人は「何にするのか決めたり考えるのが面倒だ」といいます。
自分の事に関しても何も選択できないのです。
多分そうして自分が選択する機会を親から与えられず、
親が何もかも決めてレールに乗せてきたからではないかと思います。
私は自分の子どもたちはそうなって欲しくないので
いつも選択する場面では子供たちに必ず考えさせるようにしています。
書いているうちに色々見えてきたものもあります。結局私のせいではなく、
(そう思いたいだけかもしれませんが)
ダンナの「病気」が面倒なことから逃げる為に私を陥れているのかなと。
もしかしたら私の都合のいい解釈かもしれないけど。
もう一つあったので忘れていたので更新しておく・・・
「あなたがしゃべってくれない。」
これが最近一番最初にはじまった理由だ。
姑から電話があり、この理由を私に言われたのだ。
息子がそう言うからもっと話しかけてあげて。と言われた。
もともとダンナは無口。無口なのはコミュニケーションに障害があるからだと
私は今では思っている。
自分からしゃべりかけてくることは今までもあまり無い。
なのに私のほうから積極的に話しかけてこないというだけでこれだ。
あなたが話しかけてきてくれないのはおかしい何かあるのだろう?だ。
しかもそれを直接私に言えず、母親に言うってのもねえ・・・
(このメールの内容はまたのちほどアップするつもり)
だいたい、ダンナを無視したら何されるかわからないのをわかってて
私があからさまに無視することはありえない。
子供たちに聞いてもこの理由はおかしいと言われる。
これを話したら「それは自分じゃないの?!」と笑った。
私もあまり自覚が無かった。