ちゅう年マンデーフライデー

ライク・ア・ローリングストーンなブログマガジン「マンフラ」

雨の日にいそいそと汐留に「ヴォーリズ展」を観にいく

2009年05月25日 | アフター・アワーズ
 汐留ミュージアムで開催の「ヴォーリズ展」を観にいった。日曜美術館の特集で開催を知り、雨降りなら人出も少なかろうと、出かけたのだった。美術館のあるパナソニックのビルのほか、汐留の再開発で移転した電通本社、日テレ、資生堂などのオフィスビル街は、日曜日だけに閑散。展示は、写真パネルを中心に建築模型、ヴォーリズ山荘の再現など、小規模ながら全体像を知るには十分な展示だった。

 現存するヴォーリズの建築は、都内では、明治学院大学の礼拝堂、駿河台の山の上ホテルが有名。特に一貫したスタイルがあるわけではない。代表作といわれる関西学院大学や神戸女学院のキャンパスはスパニッシュ・ミッションスタイル、大阪教会はロマネスク様式、西南学院大学のコロニアルスタイルなどさまざまで、ジャンルも住宅、教会、大学キャンパス、百貨店などバラエティ豊かだが、一言で言えば日本独特の「洋館」建築だと思う。たぶん、ヴォーリズが母国のアメリカで建築家になっていたら、こんな自由な発想で設計できなかっただろう。キリスト教精神を日本の風土にどう溶け込ませるかという布教活動に取り組むなかで、この日本独特の洋館スタイルが生まれたのではないかと思う。

 ヴォーリズ設計による建物は、約1,000あり、そのうちの100棟が現存するとのことだが、スクラップ&ビルドが当たり前の日本で、一人の建築家の建物がこれだけ現存しているというのも奇跡的で、使う人、住む人がいつまでも残したと思う建物がヴォーリズの建築なのだろう。取り壊し問題で話題になった滋賀県の豊郷小学校の階段手摺に設けられた兎と亀、こんな学校だったらやっぱり行きたくなると思うのだった。
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膠で岩絵具溶きつつラフロイグの刺激に酔う夜オーラはサマータイムを奏で

2009年05月08日 | アフター・アワーズ
 なんと3ヵ月もブログを更新していなかった。仕事が一段落したので、忘れないうちに近況をメモしておこう。

 2月から日本画を始めた。知人が細々と日本画教室をやっていて、おばさん2人と僕の、合わせて3人が生徒という気楽さで通い始めた。3月から岩絵具が値上がりしたので、それを前に始めたのだ。初回にデッサンを持参せよとのことだったので、デッサン力を見るのだろうと、とりあえずテーブルのチューリップを描いていったら、これが初めての日本画の下絵になってしまった。ゆくゆくは屏風か襖に描きたいと思っているのだが、処女作がチューリップというのはちょっと不満。日本画は時間がかかり根気がいる。早く美人画を描きたい。

 長いこと使っていたパイオニアのアンプとボーズのスピーカーのオーディオを買い換えた。たまたま、近所の電器店が閉店セールで、B&WのCM1という小型スピーカーが3割引くらいになっていたので、衝動買い。さらにアンプとプレイヤー一体型のオーラデザインノートが、モデルチェンジを前にネットで4割引だったので、これも衝動買い。それぞれ単体では名機といわれているが、見かけ重視の購入法なので、この組み合わせがいいかどうかは疑問。まだ、値段相応の期待した音にならないからだが、セッティングで随分変わることも分かった。まあ、オーディオは、はまり始めると金食い虫なので、ほどほどにしておこう。

 焼酎やワインの人気に比べ、ウイスキーはすっかり人気がなくなった。自分でもあまり飲まなかったのだが、寝酒に「IWハーパー」をストレート(水で割らない飲み方をニートというそうだ)でやっていたら、これが結構落ち着くし、水割りなんかよりおいしいのだった。そういえば、1年前くらいに買った「ラフロイグ」があったっけと、こちらも封をあけてみれば、独特の薬臭い味に改めて感激し(禁酒法時代に薬屋で売ったらしい)、そうだ、これからはシングルモルトにしてみようと思い立った。なんせ、ワインだと開封したら飲んじまわないといけないし、コストがかかる。シングルモルトなら、ワインほど種類も多様ではないし、何よりゆっくり飲んで楽しめる。シングルモルトに関する本など買ってきて知識を仕入れ、新宿・歌舞伎町の信濃屋に行く。調べて分かったのは、シングルモルトは最近ちょっとしたブームということだった。でも、ワイン、焼酎ブームほどじゃないよね。まあ、シングルモルトは、いわばスコットランドの地酒みたいなもんだから種類も豊富で、それぞれ個性的だ。「ラフロイグ」は最も個性的なアイラモルトの一つだが、信濃屋では、スペイサイドモルトは「バルベニー」、アイランドモルトは「タリスカー」、ハイランドモルトは「グレンゴイン」を購入した。飲み比べてみれば、こんなにも違うのかというほど、なかなか個性的な4本だが、いまのところ「バルベニー」のトロリとした甘い舌ざわりが気に入っている。そんなわけで、まだ飲んだことのないシングルモルトを求めてBAR通いでもしてみようかと思っている今日この頃なのだった。

 そういえば、最近おきにいりのCDは、ビレリ・ラグレーン&シルヴァン・リュックのギターデュオによるアルバム「サマータイム」。チック・コリア「スペイン」、「君の瞳に恋してる」など選曲もよく、高テクニックながらジプシー系の味わいがなかなかよいのだった。
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上野に行ったら宝丹を買って帰ろう

2008年09月17日 | アフター・アワーズ
 フェルメール展を観に上野へ行ったついでに、池之端仲町通りにある守田治兵衛商店の胃腸薬の逸品「宝丹」(10g・1,500円)を買う。守田治兵衛商店は、なんでも延宝8年(1680年)創業で、現在13代目という東京最古の薬舗。宝丹は文久2年(1862年)創薬というから150年近い歴史をもつ。小さなアルミ缶に入った散薬で、夏の暴飲暴食で疲れた胃には、なんともすっきりここちよい。西南の役、さらには日清・日露の戦争では兵隊さんの必携薬として活躍したという。これさえあれば、今日もお酒がおいしく飲めるというもの。

 守田治兵衛商店がある仲町通りは、不忍通りの一本裏の道というのだろうか、日が落ちればネオン街の灯りがともるにぎやかな通りだが、そばの「蓮玉庵」、指物の「京屋」など老舗も多い。漱石の「我輩は猫である」にもこの仲町通りは待合の多い街として紹介され、もちろん宝丹も出てくる。実際、待合や芸者の置屋が多かったのだという。そんな往時を忍びながら歩くのも楽しく、さらに湯島方向へまわり松坂屋の斜め前にある「うさぎや」でどら焼きを買って帰ったのだった。
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アルマゲドンなゲリラ豪雨雲

2008年09月11日 | アフター・アワーズ
 今夏各地に甚大な被害をもたらしたゲリラ豪雨。全く地域限定で、目黒は豪雨だが新宿は快晴なんてことも珍しくない。写真は、7日の日曜日に我が家のほうに向かってくるゲリラ豪雨雲。暮れなずむ街を覆う黒雲が不気味で、さながらアルマゲドンな様相。1時間後には豪雨がやってきて、1時間ほどで過ぎていった。
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中学以来のマリーにご対面、「幸福」それとも「不幸福」

2008年06月24日 | アフター・アワーズ
 月刊誌の『創』が日本映画を特集している。活況を呈している日本映画はほんものなのかというのが大テーマ。結論から言えば、シネコンとTV局なしに、今日の日本映画は成り立たないが、その状況に皆が危機感を抱きながらも、集客や興収のことを考えるとやむなしというジレンマに陥っているのが現状、これといってよい解決策はなし、というところだろうか。見たくもない映画ばかりが映画館を席巻しているのだから、とりあえずDVDで我慢するしかないか。

 そのTV局が制作した「HERO」をWOWWOWでやっていた。巨悪と闘うはみ出し検事もので、キムタク主演のTVドラマの拡大劇場版。登場人物が、石橋蓮司、岸部一徳(どちらも法曹にはみえないけど)ほか数名を除いて全て映画的ではない、の一言につきる。これはスクリーンで観るTVドラマの拡大版だ。一般的にTVドラマは、人気タレントの顔をしっかり見せるバストショットやクローズアップでつながっていることが多いが、ワイドスクリーンで見せる劇場版だけに、クレーン、パン、ドリーとそれなりに映画の教科書的なカメラワークを使ったりもしているので、人の顔だらけのTVドラマより耐えられるが、やはり映画ではない(ビールではない発泡酒みたいなもんだな。またこの話題!?)。観客に考える余地をあたえない速いテンポの展開、カット数の多さも、昨今のハリウッド映画にならったのだろうが、そんなところだけマネするなといいたい。雨の休日でもなければ、見なかったと思うが、日本映画の現状の一端を見ました。

 そんな日に、アニエス・ヴァルダ監督「幸福」をBSで放映していたので見た。この映画は、中学2年のとき、田舎の映画館で「サウンド・オブ・ミュージック」の併映で見たのだが、この2作を2本立てにする映画館のセンスのすごさは、置いておくとして、田舎の中2の少年には美しいピクニックシーン以上に、夫婦愛や不倫愛のシーン(ときどきバストが見えるくらいで抱きあう、ソフトなものだが)は強烈だった。マリー・フランス・ボワイエの乳首がしばらく目に焼きついていたっけ。さらに不倫の告白の果てに妻が自殺し、その後何もなかったように不倫相手と一緒になった男女が先妻の子どもと一緒に幸せそうに秋の森の中に消えていくラストシーンも印象的だった。

 この映画の監督が女性だとか、ルノワールの「ピクニック」へのオマージュ(?)だとか、は大分後に知ることになるが、大人向けのフランス映画を劇場で観たのは、たぶん「シェルブールの雨傘」か、これが初めてだったはず。それ以前に見た「赤い風船」は子供向けとして見たし、「ブーベの恋人」はフランス映画だと思っていたけれどイタリア映画だし。中学以来のご対面のマリー・フランス・ボワイエは、やっぱり素敵だった。
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生ビールと称して発泡酒を飲ませる店

2008年05月30日 | アフター・アワーズ
 我が家のビール消費量が増えたので、一時期、発泡酒や第3のビールに切り替えていた。しかし、久しぶりにビールを飲むと、その味の違いは歴然だ。ああ、やっぱりビールはうまい。結局発泡酒にビールの代役は無理だとなった。違う飲み物として飲むなら納得するが、ビールが飲みたいのに発泡酒で我慢することは止めようということになった。昨今の物価上昇で生活防衛は必至だが、それでもビールだ。そんなわけで、発泡酒からビールへの切り替えのきっかけが、味覚という舌と脳の反応だっただけに、脳の味覚野に刷り込まれたビールと発泡酒の違いは、かなり自信をもって断言できる! ま、誰でも分かるか。そんな偉そうにいうほどのことでもないけどね。

 そんな折も折、最近よくある中クラスの和風居酒屋チェーン、個室があったり、ヘルシーメニューで、値段の安さより雰囲気重視でそれに見合った値段設定といったところ。客層はやはり若者が多い。その某チェーン店では、「生ビール」と表示して明らかに発泡酒を出していた。A店では、厨房が見えたので、見ていると、ジョッキにサーバーからビールと思しき液体を8分目ほど注ぎ、さらに、別のホースから泡を噴射してジョッキに載せていた。案の定飲んでみれば、発泡酒であった。発泡酒は、ビールより泡立ちが悪いし、短時間で泡が消える、それを偽装するための「泡盛り」だったのだろう。

 別のチェーン店では、ジョッキには「一番搾り」のロゴがあるのに、中身は発泡酒だった。一口飲んで、これ発泡酒だと味覚野の反応。ためしに友人が、「生ビール頼んだんだけどー。これ発泡酒だよねー」。無言でアルバイトの女の子は厨房に消えたが、男性のスタッフーー、が出てきて、「間違いなく生ビールでございます」だと。それ以上追求はしなかったが、ガキはだませても、オヤジの舌を甘く見てはいけない。

 個人経営の良心的な赤提灯の居酒屋(油やすすで天井が真っ黒だったりするところ)が少しでも安くとがんばっていて、そういう店ではたいがいビールが一番高いのが普通なのだが、だからオヤジも丁寧に注いでくれて、間違いのないビールを安心して飲むことができる。なのに、コンプライアンスが求められる大手企業の居酒屋チェーンが船場吉兆と同じ悪質なマネをしていてどうするといいたい。店だけの仕業であるまい。そもそも、生ビールを店に卸している酒屋やメーカーは出荷量が違うのだからわかっているはずだ。こうしたチェーン店で、大きさにもよるが中ジョッキが500円以下だったら要注意だ。

 さらにいえば、この手の店で出している「霜降り馬刺し」は、馬の油脂を注入したまがい物である。以前、製造元で偽装が問題になったが、スーパーなどでは、オーストラリア産で油脂注入の表示がしてある冷凍馬肉として売っていて、それを、「本場熊本の霜降り馬刺し」などと表示して出している。もっとも、熊本の馬刺しも最近はオーストラリア産が増えていると聞いたので、「熊本の」は産地表示ではないと居直られそうだが、食べれば、これはまるでラードの塊を食べているようなので、すぐ分かる。こういう店は全国いたるところにあり、気軽に入れるので、ときどき利用してしまうのだが、生ビールを注文して発泡酒が出てきたら、これからははっきりと「これ発泡酒だよね」と抗議しよう。酒飲みのおやじなら必ず分かる。酔っ払いの威信にかけて訴えよう!

 余談だが、エドはるみのグーの乱射、「ググッググーググッググー」のフレーズにファンキーなにおいがしたと思ったら、ホレス・シルヴァー「ソング・フォー・マイ・ファーザー」に出てくるリフのリズムだった。この曲を聴くと、最近はエドの顔が浮かぶのだった。
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正明大明神VS靖国T神社かいな

2008年04月16日 | アフター・アワーズ
『毒血と薔薇』(平岡正明著)で、著者がジャズ評論家・寺島靖国氏の殲滅宣言をしている。まるで正明大神宮と靖国神社の対決みたいだが、発端は、レアなピアノトリオとか白人女性ボーカルのアルバム紹介などで辛口を売り物にしている寺島氏が、地方の新聞で、平岡氏のジャズ批評を、ジャズを借りて別の思想を語るようなものと批判し、肩で風切るような態度はジャズ喫茶で一番困る客と、平岡批判をしたことらしい。

地方紙なら分かるまいと日頃の鬱憤を晴らすが如き態度や平岡の著書を読まずに批判していると思しきことから、ちょいと待ちな、となったようだ。ジャズ初心者を相手に、辛口を売っている調子で、正明大明神に噛みついたのだろうが、これは相手が悪い。論争にもならんが喧嘩の年季が違うだろうよ。果たして寺島氏は、今後ジャズ批評の世界で、どう振舞っていくのだろうか。ジャズ喫茶のオヤジに戻って、自分の好きな音楽を聞かすことで余生を過ごすほうがいいのではあるまいか。俺のかける音楽が嫌いなやつは来るなという頑固も売りになろう。好き嫌いをはっきり語ることができるのは、自分の嗜好と異なった人間がいることを認めたうえでのことで、女の好みが違うからとあいつは趣味が悪いと身内同士ではしゃいでいる分にはいいが、別のシマの親分の商売や人格にケチをつけては仁義に反しよう。同じ土俵で戦うなら、コルトレーン論でも、マイルス論でも、一発かましてからにすべきだろう。
 
そんな折、『M/D マイルス・デューイ・デイヴィスⅢ世研究』(菊地成孔・大谷能生著/エスクアイア・マガジン・ジャパン)なる、B6判ハードカバー約800ページの体裁のマイルス論が出た。圧倒的に面白い、だが、読みにくい。もう少し暇になったらじっくり読もう。
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マスク美人の春

2008年03月15日 | アフター・アワーズ
 すっかり春の陽気。胸いっぱい春の空気を吸いたいところだが、花粉やら大陸から飛来する黄砂やらがいっぱいで、花粉症の皆さんはまったく気の毒だ。街はマスクだらけだが、最近のマスクの多様さといったらかなりすごい。超立体、抗菌超微細不織布とか形状記憶プラスチック入りとかハイテクが集結した感じで、たかがマスクと侮れない。

 僕が好きなのは、超立体型でやや肌が透けて見える不織布タイプを女性が装着している場合だ。烏天狗の嘴のようなかっちりしたフォルムが顔半分を拘束している感じがよいし、本来オープンにされている口唇が隠されながらもやや透けて見えるのが、まるで顔に下着を着けているような佇まい。そう、エロを感じてしまうのだ。もちろん誰でも、というわけではないけれど、顔半分に美人の予感があり、残りの半分を夢想する気にさせれば、これはマスク美人だろう。

 春を彩る極薄不織布マスク美人はエロさも満開なのだった。
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餃子こわい

2008年02月07日 | アフター・アワーズ
 落語に「饅頭こわい」という有名な噺がある。「世の中で一番こわいものは何?」と聞かれた男が「饅頭こわい」といって、ならばと饅頭を大量に持ち込む仲間のいたずらを逆手にとって、たらふく饅頭を食べてしまう。「じゃあ、本当に恐いのは何?」と聞かれると、今度は「渋茶がこわい」。

 そんなわけなので、今なら「餃子こわい」なんて口が裂けても言えない。「餃子大好き、とくに冷凍の中国製なんかおつだねー。だから、じゃんじゃんもってきとくれ!」とでもいっておこうか。

 それにしてもスーパーの冷凍食品は回収できるけれど、安い居酒屋チェーンなどに大量に出回っている中国産冷凍食材はこわい。店の良心に頼るしかないが、これは防ぎようがない。まあ、そういうとこには行かないことだけどね。でも、一時期ちょっと利用した時期があった。400円以上のつまみはないようなところ。店員も彼の国の人と思しき怪しげな日本語。一緒に行ったアレルギー反応に敏感な人が、ときどき赤い斑点ができたのは、体調のせいばかりではなかったのかもしれない。

 ある小体な飲み屋で、禿げた頭を赤くしたオヤジが、頼んだ料理が出てくるたびに、ジョークのつもりで「これは中国製じゃないの」というので、「洗ってあるから大丈夫ですよ」なんて女将に反されていたっけ。トホホ。
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亀とゴキブリとパンダと世間様

2007年10月25日 | アフター・アワーズ
世間様になりかわってとマスコミがこのときとばかりこれでもかと亀叩き、まるでまつろわぬものを排除するムラ社会ニッポンが蘇ったごとくの言論リンチで、協会もジムも再度謝罪を求めているらしいが、亀のおかげで高額ファイトマネーを手にしたゴキブリ君は、早々と舞台から退場し、こんな騒動カンケーネーとばかり、旬の内にバラエティなんかで荒稼ぎ。いまや業界追放の文字が躍り亀一家の去就に焦点が移ってきたのだが、パンダカイチョーは再度謝罪をといっているが一体誰に謝罪するのか、世間様にか、世間様は亀から何か謝ってもらわなければならないのか、あの言動に不快な思いをしたとしても、表現の自由を抑制するはファシストだし、ボクサーに品性を求める方がおかしくはないか(チョッチュネーさんは石垣の誰もがその人柄を絶賛するが)、リングでの反則に対し、父亀、2亀とも処分を受けた、それで一件落着ではないのか、さらに処分に従わなかったのなら、追加処分すればいいことであって、どんなスポーツでも故意、偶然にしろ反則はつきもの、犯せばルールに則り処分は当たり前、なのにリング外で謝罪、謝罪の大合唱は一体なんなのか、マスコミも某TV局に独占されてきた腹いせなのか、誰に謝れといっているのか、この際某TV局は、徹底的に亀擁護しなければ筋が通るまいが、弱腰はみえみえ、まあ、亀もここまでバッシングされるとは思ってはいなかったし、某TV局に庇護されやや派手な鳥かごで暮らしていた一家は世間様を知らなかった。かくいう私もTV中継の後の亀一家の態度やチャンプをコケにする言動には不快感を持ったが、そんなことはどーでもよくて、なんといっても、試合後、世間に顔を隠し続け、故意の反則を認めない発言などヒールとしての潔さに全く欠けているのには、がっかりした。そこが亀一家の決定的にダメなところで、擁護の余地もないと思うが、だからって謝罪などしてはなるまいよ。それにしても、誰もが世間様として言論リンチに簡単に加担してしまうこの国で、一体裁判員制度などが導入されていいのだろうかと暗澹たる気持ちになってくるのだった。
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