ちゅう年マンデーフライデー

ライク・ア・ローリングストーンなブログマガジン「マンフラ」

タミヤの星と東京五輪ポスター

2006年09月06日 | アフター・アワーズ
 日本デザインコミッティのデザイナーたちが、自分がほれたデザインの一品を持ち寄って展示した「心から尊敬するデザイン展」を銀座の松屋で観た。

 60点あまりと点数は少ないが、いずれも名品ぞろいで楽しい展示だ。プロダクトデザイナー深沢直人が選んだのはズッカの腕時計、建築家黒川雅之はハーレーダビットソンのバイク、デザイナー川上元美は柳宋悦の掛け軸、永井一正は亀倉雄策の東京五輪のポスターとか、その他イームズの椅子、ヤコブ・イエンセンのB&Oレコード・プレーヤーなどなど。ヨーロッパ系の機能美が多い中で、ハーレーはやはり金属の官能で圧倒する。

 ところで、僕にとって忘れられないデザインというと、ひとつは東京五輪のポスターで、これは僕も持っているが、タミヤの星のマークやこのポスターはグラフィック・デザインを意識して感動した最初のものの一つだと思う。プロダクトでは、カメラのフジペット、オリンパスハーフの一眼レフ、トヨペットクラウンとプリンスグロリアが揃って四つ目にモデルチェンジしたときのデザイン、ジャガーEタイプ、トランペットの日管インペリアル、明治マーブルチョコレートのパッケージなどなど、デザインが少年の心を揺さぶり、尊敬かどうかは分からないけれど、心からほしい!と思わせインパクトのあるデザインだった。そんなわけで、デザインの力を改めて思い直した展示会でした。
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ソクーロフ&イッセイ「太陽」の光を浴びよ

2006年09月06日 | 映画
 アレクサンドル・ソクーロフ監督「太陽」は銀座から次第にその光を広げている。シネパトス単館上映から拡大し、ぼくは新宿ジョイシネマで朝9時30分から観た。午前だけの上映で館内はかなり空いていたが、早起きの中年ばかりだった。

 モノクロだと勝手に思っていた映画に、冒頭から色がついていたことに驚きつつ、ゆっくりと移動カメラで始まる地下壕で洋風の朝食をとる昭和天皇と侍従とのシーンはすばらしい。この緊張感あふれる冒頭シーンで、映画のテーマ、主人公の立場、舞台設定が簡潔に提示されるからだ。現人神に朝食を供する手が震える老侍従、戦局を伝えるラジオ放送、日本人が私一人になったらと問い、神だからと奉る侍従に対して体はお前たちと変わらないと困らせる昭和天皇。唐突な言葉や身振りで周囲が固まってしまい、一瞬部屋の緊張感が高まったタイミングで「冗談だよ」と下げるイッセイ尾形の絶妙な間の取り方。この下げでこの映画が歴史的な存在としての天皇ではなく、神の衣を脱いだ素の天皇を描こうとしていることが分かるのだ。その最も秀逸なシーンがマッカーサーの面会のあとに送られてきたハーシーのチョコレートを広げてはしまう「はいチョコレートおしまい」の下りだろう。

 ぼくたちは、侍従が通訳がマッカーサーが扉の隙間から盗み見るその共犯者となって、神であった男の無邪気な振る舞いを見る。「まるで子供だ」とつぶやくマッカーサー。「日本の一番長い日」に描かれた終戦の混乱も軍人たちの咆哮もこの映画にはない。歴史的な玉音放送もなければ、マッカーサーとの記念写真のシーンもない。およそ敗戦の歴史的な場面として記憶されている映像はこの映画にはない。戦争を思わせるのは、空襲の火の海の中を魚の姿をした爆撃機が悪魔のごとく舞うシーンだ。それは、海洋生物学者であることが提示された後のある夜天皇が見るヒエロニムス・ボスの絵のような悪夢のシーンだ。

 時間の区切りさえなく、地下壕からある日外に出るとそこには米兵がおり、「あの男は誰だ」という言葉が天皇に向けられる。艶やかな黒に染まった夜や地下壕の場面に対し、この屋外のシーンはまぶしすぎる陽にあふれている。米軍の撮影隊からはチャップリンに似ているといわれ、「チャーリー」のコールに帽子を取って応えてみせる。「あの俳優に似ていますか」とたずねられた日系人通訳は「私は映画を観ません」と応える下げもやはり絶妙だ。

 映画の中の天皇はしばしば悩む。極地研究所の老研究者と極光について語るシーン。昭和天皇は、明治天皇や大正天皇が見たという極光を、自分がまだ見たことがないのはなぜかと問う。極光とはオーロラのことで太陽風ともいわれる。老科学者は科学的に東京でオーロラは見ることができないことを説くのだが、科学者でもある天皇はそれを分かっていながら、極光を見ることが太陽として輝き照らす資格でもあるかのように、あるいはあたかも自分は神ではなかったとことを確認するように極光についてたずねるのだった。

 天皇が一人デューラーの銅版画をみつめるシーンがある。「四人の騎士・ヨハネ黙示録」を描いたもので、四人の騎士は死や戦争や飢餓を象徴しており、この世の終末が描かれている。一番下にいるのが青ざめた馬に乗った老騎士、死を象徴するペイルライダーだ。この絵を見つめる天皇を背後からとらえた画面では、A3サイズほどの版画絵は天皇がこの絵の中に収まってしまうかのように画面いっぱいに広がっている。私もまた黙示録の騎士の一人なのかと自問しているようなシーンだ。神道の司祭である天皇がなぜ北方ルネサンスの絵画を見ながら終末に思いをめぐらすのか。洋食をとる、英語を話す、デューラーの絵を見る、子を思いながらバッハの無伴奏チェロソナタを聴く。この映画では、天皇は西洋的な文化やマナーに造詣深い知的な人物として表される。それも観るものを困惑させるだろう。

 海洋生物研究所の庭に突然舞い降りて周囲をかき乱す鶴の象徴的シーン。それは、現人神の衣を脱いでどのように他者と交わっていいのか戸惑う天皇と周囲の人間たちの混乱振りそのままだ。最後の皇后との場面までそのぎこちなさは続く。あたかも纏っている歴史の衣を脱ぐように天皇はたびたび衣装を着替える。この映画では、天皇が神としての衣、歴史的存在としての衣を脱ぎ振舞うことで起きる周囲との齟齬、混乱、困惑が執拗に描かれる。巻き起こる混乱や困惑は、いつも軽妙な下げで曖昧な方向に軟着陸するのだが、しかし、最後に皇后や皇太子など家族の帰還によって、あたかもすべてが幸福に収束しようとするときに語られる一言、若き録音技士の自決を告げる言葉は、唯一天皇が外部からの情報によって凍りつく場面で、ソクーロフはこれによって「その後」の、あるいは戦後の天皇の苦悩を簡潔に描いてしまったのだった。

 イッセイ尾形の快演、すごい。その演技が映画「太陽」にリズムを与えている。神経質に口を動かしたり、指を動かすしぐさ、やや背中を丸めて首を突き出すペンギンのような歩き方、無邪気で屈託のない笑顔、そしてあの有名な「あっ、そう」という口癖。イッセイ尾形は、虚実も含めてぼくたちが記憶している昭和天皇と思われる人をみごとにスクリーンに蘇らす。アラカンの明治天皇、イッセイの昭和天皇は映画史に燦然と輝く。

 終戦のとき1901年生まれの昭和天皇は44歳だ。第二次世界大戦を闘った主要国のトップでは最も若かったはずだ。今の皇太子とそう年齢は変わらない。44歳にして神の衣を脱いだ男が見た世界は、どのように見えたのだろうか。たぶん「あっ、そう」と一言つぶやいたのかもしれない。

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