ちゅう年マンデーフライデー

ライク・ア・ローリングストーンなブログマガジン「マンフラ」

炎立つまぐわいに震える車谷の「忌中」

2006年10月18日 | 
 久しぶりの車谷。愛と死をめぐる強烈な純愛小説集だ。純愛小説ブームなどといわれ数多登場した恋愛小説に関心はないが、読まずとも分かる、これら凡百の小説は、ここに収められた物語の前にひれ伏すだろうと。

 表題作の「忌中」は、寝たきりの妻の介護に疲れた夫が、妻から懇願されて妻を殺害し、押入れの茶箱に入れたまま死体と一緒に暮らし続ける一方、妻の後を追う覚悟を決めてサラ金から金を借りまくり、死ぬまでの短い期間をその金で貢いだヘルスセンターのマッサージ嬢と遊興し、もはやこれまでというところで、自宅の玄関に自ら書いた「忌中」の紙を張り、首をくくって妻のもとへ行くというお話し。男は毎日家に買ってくると茶箱のふたを開け、次第に肉が崩れていく妻の亡骸を確認しながら一緒にいることの幸福感を味わっているのだった。

 バブル崩壊で経営が破綻した中小企業の夫婦が一家心中する「三笠山」は、最後の旅行で二人の子供の首を絞めて殺し、その後悲しみのどん底で最後のまぐわいをして翌朝、車の中で排ガス心中する。「堕地獄のやぶれかぶれの炎立つまぐわいにいくどとなく震え」と死に至る性の歓喜が表現される。この夫婦は高校時代一緒にハンセン病施設を訪ねた縁でお互い魅かれあっていたが、妻のほうは再婚で初恋の男とようやく一緒になったのだった。悲惨な人生の結末であっても「私幸せだったわ。田彦さんと一緒になれて」という妻の言葉が泣ける。

「神の花嫁」では、「長崎26殉教者記念像」の作者で知られる彫刻家・舟越保武の「病醜のダミアン」のモデルになったダミアン神父の話が出てくる。ハンセン病患者の心を理解するため自らハンセン病になってその救済に全人生を捧げたダミアン神父。舟越保武の作品は、病に犯されたダミアン神父の姿を描いたものだが、残念ながら患者たちの要望で公開されていないが、このくだりには心が震える。

 存在することが罪ならば罪あるものこそ美しいとさえ思えてしまう物語群なのだった。
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いつかハンカチ王子が王子駅で

2006年10月18日 | 
 いくら日差しが強くても頬をかすめる風は、まぎれもなく秋を感じさせる日曜日に、原宿の太田記念美術館に歌麿を観に行った帰り、混雑の原宿駅を避けて代々木まで歩いていると、ビルの日影で感じた秋の風に急に懐かしさがこみあげてきて、それは、もう20年以上も前に晩夏のフランクフルトの街頭で感じた風の感触で、一気に20年の時と空間が一緒になってしまったような不思議な感覚を味わったのだった。

 堀江敏幸の小説は、どこかそんな感覚と似ていて、実際、堀江敏幸の小説ではある言葉や出来事をきっかけに物語は縦横に過去や小説などの異空間にワープする。その緩やかな横移動のカメラのような展開が実に気持ちいい。

 甲子園がハンカチ王子でにぎわった夏が過ぎて、ビル・エヴァンスなんかが似合いそうな季節になってきた本屋で目にしたタイトルが堀江敏幸『いつか王子駅で」だった。

 これはもう「Someday My Prince Will Come」のもじりに違いはあるまいと、そういうセンスを賞賛しつつ早速購入して読み始めると、物語は懐かしい競走馬の世界やら不覚にも名前を知らなかった作家・島村利正の「残菊抄」の世界に、長回しのカメラのようにゆっくり、そして自在に移動しては戻ってくるのだった。やがて主人公が家庭教師をしている大家の娘咲ちゃんの国語の宿題で、ある短編小説を読んでタイトルをつけるというのがあって、主人公は、一読それが安岡章太郎の「サアカスの馬」であると分かるのだが、結局後日咲ちゃんは「サアカスの馬」のタイトルにサーカスも馬も使わない「靖国神社のお祭り」というまったく別のタイトルをつけ、その咲ちゃんの感性をどこかで賞賛しているのは、これが宿題で出たらどう考えたって「いつか王子駅で」というタイトルはつくまい物語に、そうつけてしまうあたり、どこかいい加減に見えながら実はきっちりとした戦略がある作家の告白のようにも読めるのだった。同じ作家の『ゼラニウム』という短編集には「アメリカの晩餐」というのがあって、これもヴェンダースの「アメリカの友人」と「アメリカの叔父さん」というフランスの譬えをもじっている。

 そんなわけで、確かにこの小説は王子が舞台なのだが、そして終盤で「かおり」の女将と王子駅で待ち合わせもするのだが、その小料理屋の名前がタカエノカオリという競走馬にちなんでいたり、陸上部の咲ちゃんが200メートルを走るシーンをテンポイントになぞらえてしまったり、これはもう競馬ファンが涙するような小説で、実際ラストシーンを読みながら不覚にも目頭が熱くなってしまったのだった。
 今度の日曜は菊花賞だが、この小説に出てくる島村利正の「残菊抄」でも読みながら、菊の3連複でも考えてみよう。
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