久しぶりの車谷。愛と死をめぐる強烈な純愛小説集だ。純愛小説ブームなどといわれ数多登場した恋愛小説に関心はないが、読まずとも分かる、これら凡百の小説は、ここに収められた物語の前にひれ伏すだろうと。
表題作の「忌中」は、寝たきりの妻の介護に疲れた夫が、妻から懇願されて妻を殺害し、押入れの茶箱に入れたまま死体と一緒に暮らし続ける一方、妻の後を追う覚悟を決めてサラ金から金を借りまくり、死ぬまでの短い期間をその金で貢いだヘルスセンターのマッサージ嬢と遊興し、もはやこれまでというところで、自宅の玄関に自ら書いた「忌中」の紙を張り、首をくくって妻のもとへ行くというお話し。男は毎日家に買ってくると茶箱のふたを開け、次第に肉が崩れていく妻の亡骸を確認しながら一緒にいることの幸福感を味わっているのだった。
バブル崩壊で経営が破綻した中小企業の夫婦が一家心中する「三笠山」は、最後の旅行で二人の子供の首を絞めて殺し、その後悲しみのどん底で最後のまぐわいをして翌朝、車の中で排ガス心中する。「堕地獄のやぶれかぶれの炎立つまぐわいにいくどとなく震え」と死に至る性の歓喜が表現される。この夫婦は高校時代一緒にハンセン病施設を訪ねた縁でお互い魅かれあっていたが、妻のほうは再婚で初恋の男とようやく一緒になったのだった。悲惨な人生の結末であっても「私幸せだったわ。田彦さんと一緒になれて」という妻の言葉が泣ける。
「神の花嫁」では、「長崎26殉教者記念像」の作者で知られる彫刻家・舟越保武の「病醜のダミアン」のモデルになったダミアン神父の話が出てくる。ハンセン病患者の心を理解するため自らハンセン病になってその救済に全人生を捧げたダミアン神父。舟越保武の作品は、病に犯されたダミアン神父の姿を描いたものだが、残念ながら患者たちの要望で公開されていないが、このくだりには心が震える。
存在することが罪ならば罪あるものこそ美しいとさえ思えてしまう物語群なのだった。
表題作の「忌中」は、寝たきりの妻の介護に疲れた夫が、妻から懇願されて妻を殺害し、押入れの茶箱に入れたまま死体と一緒に暮らし続ける一方、妻の後を追う覚悟を決めてサラ金から金を借りまくり、死ぬまでの短い期間をその金で貢いだヘルスセンターのマッサージ嬢と遊興し、もはやこれまでというところで、自宅の玄関に自ら書いた「忌中」の紙を張り、首をくくって妻のもとへ行くというお話し。男は毎日家に買ってくると茶箱のふたを開け、次第に肉が崩れていく妻の亡骸を確認しながら一緒にいることの幸福感を味わっているのだった。
バブル崩壊で経営が破綻した中小企業の夫婦が一家心中する「三笠山」は、最後の旅行で二人の子供の首を絞めて殺し、その後悲しみのどん底で最後のまぐわいをして翌朝、車の中で排ガス心中する。「堕地獄のやぶれかぶれの炎立つまぐわいにいくどとなく震え」と死に至る性の歓喜が表現される。この夫婦は高校時代一緒にハンセン病施設を訪ねた縁でお互い魅かれあっていたが、妻のほうは再婚で初恋の男とようやく一緒になったのだった。悲惨な人生の結末であっても「私幸せだったわ。田彦さんと一緒になれて」という妻の言葉が泣ける。
「神の花嫁」では、「長崎26殉教者記念像」の作者で知られる彫刻家・舟越保武の「病醜のダミアン」のモデルになったダミアン神父の話が出てくる。ハンセン病患者の心を理解するため自らハンセン病になってその救済に全人生を捧げたダミアン神父。舟越保武の作品は、病に犯されたダミアン神父の姿を描いたものだが、残念ながら患者たちの要望で公開されていないが、このくだりには心が震える。
存在することが罪ならば罪あるものこそ美しいとさえ思えてしまう物語群なのだった。
