三池崇史監督「十三人の刺客」をわが街の、いつも空いている映画館で観る。封切間もなくでいつになく入りはよかったが、楽々鑑賞。若い女性客もそこそこいて、これは吾郎ファンなのかどうか。
工藤栄一監督版のリメイクだが、むしろ、ペキンパーの「ワイルドバンチ」をやりたかったのではないかと思った。工藤版は明石藩士53人対13人の戦闘。三池版では、刺客側は、最初170と踏んでいたが、敵が増員し230人に、これを待ち伏せのしかけで130人までに減らし、ほぼ130対13の戦闘となる。工藤版は、江戸末期の武士が刀を使わなくなった時代の戦闘をリアルに描くという、「七人の侍」のリアリズム風時代劇の発展系だった。その路線を継承しつつ「ワイルドバンチ」的皆殺し(四肢と舌を変態殿様にもぎ取られた女が口にくわえた筆で書き記した文字も「みなごろし」だ)を再現し、より激しいアクションを追求するなら、これはもはや増員しかあるまいとこの数字になったのだろう。しかし、考えてみれば、一人10人倒せば、130人は倒せるのだ。座頭市は数秒で10人を倒す。ならば、この数字、時代劇上は不可能ではない。工藤版と一線を画すなら、目標一人10人といった130人を倒すプランと、13人のそのさばき方を見せた方が面白かった。そもそも、松方弘樹などは、東映時代劇伝統の流麗なる殺陣で、この映画の見所のひとつではあるが、これはもう一人で50人くらいは倒しているのではないか。かつての東映時代劇だと、一度倒れた侍が、再び刀を振り回しているゾンビ的復活はよくあったので、たぶん、敵は300人くらいいたのだろう。それにしても松明を背負って疾駆する猛牛のCGには失笑。
後半のほとんどを割いた長い戦闘シーン。まだ終わらないのと、あらかじめ時間が決められたプロレスを観るような気分であった。太平な時代に剣を使ったことのない侍たちのリアルな戦闘は、血まみれ汗まみれ泥だらけというイメージにこだわりすぎたのか、その長さは、活劇の醍醐味より冗長されたアクションのみが垂れ流されるだけになった。吾郎ちゃん演じる変態お殿様は、「今日が生きていて一番楽しかった」と、さながらアメリカのネオコンのように退屈な平和の時代を嘲笑うのだが、観ている方がいささか退屈になってしまったのだった。
それにしても稲垣吾郎は、というかジャニーズがこんな役をよく引き受けたものだ。工藤版の菅貫太郎が同じような役を続けたように、アンソニー・パーキンスが「サイコ」のゲイツ役から逃れられなかったように、吾郎ちゃんはほかのキャラクターができなくなってしまうのではと。まあ、マンフラが心配するこっちゃないけどね。
三池監督の作品を映画館で観るのは初めてだった。WOWOWなどでは、何本か観たが、この人が鬼才といわれる所以がよく分からなかった。映画における目新しさや奇行を目指している人なのかと思う。前半の抑制の効いた照明とローアングルな室内シーン、戦闘の舞台となる坂道に作られた木曽宿のセットのなどは、悪くない。某監督の藤沢周平もの時代劇よりはるかに良いと感じたのだが、目新しさや過激、暴力的であろうとしないほうがよいのではないか。この監督がおすすめのDVD10枚に、意外にもオルミの「木靴の樹」が入っており、「長くて退屈でもよい映画」とのコメントがついていた。新しさを求めた退屈な映画は最悪だ。
工藤栄一監督版のリメイクだが、むしろ、ペキンパーの「ワイルドバンチ」をやりたかったのではないかと思った。工藤版は明石藩士53人対13人の戦闘。三池版では、刺客側は、最初170と踏んでいたが、敵が増員し230人に、これを待ち伏せのしかけで130人までに減らし、ほぼ130対13の戦闘となる。工藤版は、江戸末期の武士が刀を使わなくなった時代の戦闘をリアルに描くという、「七人の侍」のリアリズム風時代劇の発展系だった。その路線を継承しつつ「ワイルドバンチ」的皆殺し(四肢と舌を変態殿様にもぎ取られた女が口にくわえた筆で書き記した文字も「みなごろし」だ)を再現し、より激しいアクションを追求するなら、これはもはや増員しかあるまいとこの数字になったのだろう。しかし、考えてみれば、一人10人倒せば、130人は倒せるのだ。座頭市は数秒で10人を倒す。ならば、この数字、時代劇上は不可能ではない。工藤版と一線を画すなら、目標一人10人といった130人を倒すプランと、13人のそのさばき方を見せた方が面白かった。そもそも、松方弘樹などは、東映時代劇伝統の流麗なる殺陣で、この映画の見所のひとつではあるが、これはもう一人で50人くらいは倒しているのではないか。かつての東映時代劇だと、一度倒れた侍が、再び刀を振り回しているゾンビ的復活はよくあったので、たぶん、敵は300人くらいいたのだろう。それにしても松明を背負って疾駆する猛牛のCGには失笑。
後半のほとんどを割いた長い戦闘シーン。まだ終わらないのと、あらかじめ時間が決められたプロレスを観るような気分であった。太平な時代に剣を使ったことのない侍たちのリアルな戦闘は、血まみれ汗まみれ泥だらけというイメージにこだわりすぎたのか、その長さは、活劇の醍醐味より冗長されたアクションのみが垂れ流されるだけになった。吾郎ちゃん演じる変態お殿様は、「今日が生きていて一番楽しかった」と、さながらアメリカのネオコンのように退屈な平和の時代を嘲笑うのだが、観ている方がいささか退屈になってしまったのだった。
それにしても稲垣吾郎は、というかジャニーズがこんな役をよく引き受けたものだ。工藤版の菅貫太郎が同じような役を続けたように、アンソニー・パーキンスが「サイコ」のゲイツ役から逃れられなかったように、吾郎ちゃんはほかのキャラクターができなくなってしまうのではと。まあ、マンフラが心配するこっちゃないけどね。
三池監督の作品を映画館で観るのは初めてだった。WOWOWなどでは、何本か観たが、この人が鬼才といわれる所以がよく分からなかった。映画における目新しさや奇行を目指している人なのかと思う。前半の抑制の効いた照明とローアングルな室内シーン、戦闘の舞台となる坂道に作られた木曽宿のセットのなどは、悪くない。某監督の藤沢周平もの時代劇よりはるかに良いと感じたのだが、目新しさや過激、暴力的であろうとしないほうがよいのではないか。この監督がおすすめのDVD10枚に、意外にもオルミの「木靴の樹」が入っており、「長くて退屈でもよい映画」とのコメントがついていた。新しさを求めた退屈な映画は最悪だ。