ちゅう年マンデーフライデー

ライク・ア・ローリングストーンなブログマガジン「マンフラ」

シンタロウのジャンキーな「ファンキー・ジャンプ」

2007年06月01日 | 
 大学時代の友人と会うため神保町へ。急な雨、待ち合わせ時間に間があったので、書泉グランデへ飛び込む。新潮文庫の売り場を見ると、探していた石原慎太郎『完全なる遊戯』があった。石原渾身のジャズ小説「ファンキー・ジャンプ」が収められているからだ。これが、読みたかったのだ。

 これは、マキーと呼ばれるジャンキーのピアニスト松木敏夫が主人公で、ブレイキーやガレスピーも絶賛したという日本人ピアニストという設定。マキーはホレス・シルバーがモデルといわれている。そのクインテットの演奏を、一曲ずつジャズ詩のようなスタイルで言語化を試みるという実験的な作品。マキーはヤクのやりすぎで、ラスト・コンサートで生涯最高の壮絶な演奏のはてに絶命する。しかも、その演奏の前には恋人を殺してきているという虚無感漂う作品なのだ。

 で、ここで演奏されるのは、ホレス・シルバーのアルバム「シルバーズ・ブルー」をモデルにした全7曲。たとえば2曲目のタイトルは「トゥー・スイング・オア・ノット・トゥー・スイング」で、オリジナルの2曲目「トゥー・ビート・オア・ノット・トゥー・ビート」のもじりというわけ(もちろん原曲のタイトルもハムレットのもじりですが)。オリジナルのレコードはエピック盤で、シルバーがジャズ・メッセンジャーズから独立した後1956年に収録されたもので、メンバーは、トランペット:ロナルド・バード(ジョー・ゴードン)、テナー:ハンク・モブレー、ベース:ダグ・ワトキンス、ドラム:アート・テイラーという布陣。

 小説の発表が1959年。ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズ来日は1961年だから、日本にファンキーブームが起こる前に、この「ファンキー・ジャンプ」は発表されていたわけで、作品そのものよりも、この時期に、シルバーの最新盤を聴いていた石原慎太郎のヒップさに驚く。いまの東京都知事像からは想像しがたいが、平岡正明「チャーリー・パーカーの芸術」所収の「ビーバップと日本文学」によれば、なんでも、作品発表の前年に渡欧した石原はパリのサンジェルマンでホレス・シルバーの演奏を聴き、いたく感銘したのだという。この時期に絶頂期のシルバーを聴いていた日本人はそうたくさんはいまい。そんなわけで、シルバーにはまった石原が、なんとかそのファンキーな演奏を言語化しようと試みているわけだが、その実験的な意気込みは評価しても、作品の青臭さと陳腐な表現は、この時間の経過のなかでは、もはや何も心を揺さぶらない。ラストでタツノという評論家(モデルはいソノてるオか)が、「こりゃ本物だ、本物のビ・バップだ」と叫んで終わるあたりはちょっと気恥ずかしい。

「ファンキー・ジャンプ」と同じ年に発表されたシルバーのアルバム「ブローイン・ザ・ブルース・アウェイ」を聴けば、ファンキーな匂いで揺さぶりをかけてくるシルバーの音楽は、時代を超えても色あせていないこと分かるし、同じ年にマイルスが「カインド・オブ・ブルー」を、オーネット・コールマンが「ジャズ来るべきもの」を発表していたことを考えれば、いかに文学が表面の革新を気取っているだけで遅れをとっていたかが分かろうというものだ。

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