「アートで候 会田誠・山口晃展」を上野の森美術館で観る。現代アートの人気者の二人展とあって会場は若者がほとんど。おそらく、その日上野で最も若者が多い美術展だろう。もっぱら、じいさん、ばあさん、おばはん、おじさんばっかりの展覧会が多かったので、「アートで候」は、そればっかりではもちろんないが、とても楽しい催しだった。
二人とも分かりやすいくらい絵がうまい。日本画と洋画の伝統的な技法を踏まえながら、卓越した画力とアイデアで独自の世界を築く二人。伝統から少し位相をずらすことで、放物線の重なるところでは、伝統が顔を出し、それでいて絵画性を解体した現実とは似て非なる独自の世界が現出している。
山口の作品は、描かれたどこか懐かしい風景に騙されそうになるが、時間と歴史を同一空間に暴力的に平面化し、アナーキーな逆ユートピアを描く。会田の作品には、思いつきやおふざけもここまで高度なテクニックで表象化されればアートになることをみせつけながら、時代の空気の中に漂う目に見えないグロテスクを、徹底的に表に晒している。両者とも遠近法など科学的な手法で現実を写し取る西洋画的手法より、むしろ時間や空間が平面化される日本画的な手法を導入することで、現代の混沌そのものが描かれているように思えるのだ。
とりわけミケランジェロ、狩野永徳からフジタ、東山、赤瀬川まで、古今東西の先達の作品を引用しながらグロカワイイ世界を描く会田の作品は大いに楽しめた。その傑作「紐育空爆之図」は、地獄絵図とか「北野天満宮縁起絵巻」だとかを下敷きに、炎燃え盛るマンハッタン上空を銀色の胴体を光らせて八の字に旋回する無数のゼロ戦を描いた屏風絵だ。ゼロ戦は、もしや道真の怨霊ならぬジャップの悪霊か。「東風吹かばにおいおこせよ梅の花」というよりも「神風吹かば思い起こせよ9.11」なのだ。もちろんこの絵は、戦争賛美でも日本人の呪いでも、反戦でもLOVE&PEACEでもないのだが、あの9.11のとき、貿易センタービルに突っ込んだゲリラに、反米愛国を唱える人間でなくても、密かに喝采をおくってしまう気分と似たものがこの絵にはある。その時代のグロテスクを実にうまく描いて感動してしまうのだった。
二人とも分かりやすいくらい絵がうまい。日本画と洋画の伝統的な技法を踏まえながら、卓越した画力とアイデアで独自の世界を築く二人。伝統から少し位相をずらすことで、放物線の重なるところでは、伝統が顔を出し、それでいて絵画性を解体した現実とは似て非なる独自の世界が現出している。
山口の作品は、描かれたどこか懐かしい風景に騙されそうになるが、時間と歴史を同一空間に暴力的に平面化し、アナーキーな逆ユートピアを描く。会田の作品には、思いつきやおふざけもここまで高度なテクニックで表象化されればアートになることをみせつけながら、時代の空気の中に漂う目に見えないグロテスクを、徹底的に表に晒している。両者とも遠近法など科学的な手法で現実を写し取る西洋画的手法より、むしろ時間や空間が平面化される日本画的な手法を導入することで、現代の混沌そのものが描かれているように思えるのだ。
とりわけミケランジェロ、狩野永徳からフジタ、東山、赤瀬川まで、古今東西の先達の作品を引用しながらグロカワイイ世界を描く会田の作品は大いに楽しめた。その傑作「紐育空爆之図」は、地獄絵図とか「北野天満宮縁起絵巻」だとかを下敷きに、炎燃え盛るマンハッタン上空を銀色の胴体を光らせて八の字に旋回する無数のゼロ戦を描いた屏風絵だ。ゼロ戦は、もしや道真の怨霊ならぬジャップの悪霊か。「東風吹かばにおいおこせよ梅の花」というよりも「神風吹かば思い起こせよ9.11」なのだ。もちろんこの絵は、戦争賛美でも日本人の呪いでも、反戦でもLOVE&PEACEでもないのだが、あの9.11のとき、貿易センタービルに突っ込んだゲリラに、反米愛国を唱える人間でなくても、密かに喝采をおくってしまう気分と似たものがこの絵にはある。その時代のグロテスクを実にうまく描いて感動してしまうのだった。
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