今日、図書館に行った帰りのことです。
私は、信号待ちをして車を止めていた時に
ふと近くの光景を見まわしました。
と、これまで気が付かなかったのですが
ショッピングセンターの前に
ガラス張りの電話ボックスがあるのを発見しました。
公衆電話です。
こんなところに電話ボックスがあったかな?
そう思ってしげしげと中も見てみました。
古そうな緑色の電話があるじゃありませんか。
確かにここにずっと以前からこの電話ボックスがあったのだなと分かりました。
そして、驚いたことにその公衆電話を使っている人がいたのです。
年配の男性でしたが、電話機から伸びた緑色の線がつながった受話器を
しっかり耳に当てて話しています。
ほう~~今もやはり公衆電話を使う人もいるんだなと
ちょっと驚きました。
考えてみたらそうですよね。
携帯電話を家に忘れて出かけるときもあるだろうし
災害の時とかにも公衆電話があって助かることだってあるだろうから
全くなくすということはしないのでしょう。
この公衆電話を見て、私ははるか昔の
公衆電話を使っている自分を思い起こしました。
当時はまだ十円玉を入れるところがあって(今もあるのかな?)
遠方に電話する時には、十円玉が落ちていくスピードが速く
たくさん用意しておいて電話をかけに行くのが常でした。
あれは確か、就職して間がなかった頃だったと思います。
私は突然に体に細かい発心が出ました。
これは何かの病気がうつったのに違いないと思った私は
病院で受診してみたところ「風疹」だとの診断を受けました。
困りました。
当時一人暮らしだった私は、アパート暮らし。
近くに知り合いもいない。
だから買い物にも行けないし
誰かに頼むこともできません。
そこで、他の人に迷惑にならないように
夜暗くなって人通りが少なくなったころを見はからい
公衆電話をかけに行ったのです。
実家の母に助けを求めるための電話です。
「あのね、身体に発疹が出たから病院に行ったら風疹だと言われて休んでいるの。
でも買い物にも行けなくて困っている。悪いけど来てもらえない?」
そう頼んだのでした。
でも、遠方だから十円玉はみるみる間になくなってしまって・・・。
「もう十円がなくなったから切れるかもしれない。」
そう言いながらお願いをしたのでした。
すると翌日、母はやってきてくれました。
「なに、このよどんだ空気は!
空気を入れ替えて気持ち良くしなきゃあ。」
母は、そう言って窓を開け放ち、食事の準備もしてくれたので
私は涙が出るほどに嬉しかったし、ホッとした記憶があります。
ちょっと切ない公衆電話の思い出です。
今頃は公衆電話を使う人も少なくなったし
私のような思い出を話しても、分かってもらえる人も少なくなっていると思います。
私は、信号待ちをして車を止めていた時に
ふと近くの光景を見まわしました。
と、これまで気が付かなかったのですが
ショッピングセンターの前に
ガラス張りの電話ボックスがあるのを発見しました。
公衆電話です。
こんなところに電話ボックスがあったかな?
そう思ってしげしげと中も見てみました。
古そうな緑色の電話があるじゃありませんか。
確かにここにずっと以前からこの電話ボックスがあったのだなと分かりました。
そして、驚いたことにその公衆電話を使っている人がいたのです。
年配の男性でしたが、電話機から伸びた緑色の線がつながった受話器を
しっかり耳に当てて話しています。
ほう~~今もやはり公衆電話を使う人もいるんだなと
ちょっと驚きました。
考えてみたらそうですよね。
携帯電話を家に忘れて出かけるときもあるだろうし
災害の時とかにも公衆電話があって助かることだってあるだろうから
全くなくすということはしないのでしょう。
この公衆電話を見て、私ははるか昔の
公衆電話を使っている自分を思い起こしました。
当時はまだ十円玉を入れるところがあって(今もあるのかな?)
遠方に電話する時には、十円玉が落ちていくスピードが速く
たくさん用意しておいて電話をかけに行くのが常でした。
あれは確か、就職して間がなかった頃だったと思います。
私は突然に体に細かい発心が出ました。
これは何かの病気がうつったのに違いないと思った私は
病院で受診してみたところ「風疹」だとの診断を受けました。
困りました。
当時一人暮らしだった私は、アパート暮らし。
近くに知り合いもいない。
だから買い物にも行けないし
誰かに頼むこともできません。
そこで、他の人に迷惑にならないように
夜暗くなって人通りが少なくなったころを見はからい
公衆電話をかけに行ったのです。
実家の母に助けを求めるための電話です。
「あのね、身体に発疹が出たから病院に行ったら風疹だと言われて休んでいるの。
でも買い物にも行けなくて困っている。悪いけど来てもらえない?」
そう頼んだのでした。
でも、遠方だから十円玉はみるみる間になくなってしまって・・・。
「もう十円がなくなったから切れるかもしれない。」
そう言いながらお願いをしたのでした。
すると翌日、母はやってきてくれました。
「なに、このよどんだ空気は!
空気を入れ替えて気持ち良くしなきゃあ。」
母は、そう言って窓を開け放ち、食事の準備もしてくれたので
私は涙が出るほどに嬉しかったし、ホッとした記憶があります。
ちょっと切ない公衆電話の思い出です。
今頃は公衆電話を使う人も少なくなったし
私のような思い出を話しても、分かってもらえる人も少なくなっていると思います。