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現在の悩み、心のうち

〇に近い△を生きる?

2017-02-14 20:38:31 | 日記
今日はバレンタインデーですね。
きっとたくさんの人がバレンタインの話題で投稿しているだろうな。
そう思ったので、あえて私はこの「〇に近い△を生きる」という話題にしました。

え?ちょっと変わっている人だな、そう思いましたか?

私はちょっと変わっていますか?
そうかもしれませんね。

この「〇に近い・・・」は実は本のタイトルなんです。
著者は鎌田實さんで、お医者さんです。
この本を見つけた時に、
「何だこの本は?いったい何が書いてあるのかな?」
と思ったので読んでみることにしました。

いろいろ面白いことが書いてありましたが
その中のいくつかを紹介します。

一番心に残ったのは次の文章です。
「所詮ぼく達はみんな変な人。ちょっと変な人と、うんと変な人がいるだけ。
 ちょっと変な人がうんと変な人にレッテルを貼っているにすぎない。
 そんなレッテルなんか貼られても気にしないことだ。
 変な人が世の中を変える。変な人が新しいものをつくり出す。」

う~~ん、そうですよね。
それぞれ一人一人違う人間なのだから
個性が異なり考え方も違っているのに
さも同じであるかのような顔で生きているのかもしれない。
そして自分たちとずいぶん違うと思う人を排除していく傾向がある。

私もこれまで排除していくほうの人間だったかもしれないです。

だけど、この本を読んでみて
私もちょっと鎌田さんと似たところがあるから
△の生き方が分かる部分があると思いました。

鎌田さんは「正論」や「正解」にだまされるなという考えです。
「正論や正解にこだわっていたらがんじがらめになってしまう。
 別解力のある生き方や、△に生きる生き方は
 一つのイズムに自分をがんじがらめにしない生き方である。
 がんばるだけではもろくて壊れやすい。
 ところどころがんばらない生き方をしていると
 ガラス細工のようではなく鋼のように柔らかくて『新しい人間』になる。」
とも言っています。

別解力をつけるためには、うんと考える力が必要でしょうね。

でも鎌田さんは
「どうせどんなに分析して深く考えたって、自分の時間をどう使うか
絶対的な「正解」なんてないんだ。
まあまあの「正解」近ければいいかなと思っているうちに
むしろこのまあまあの「正解」がいいことに気が付いた。」
というのです。

何が正解で何が不正解なんてだれも実は分からない。

自分の生き方を決めるのは自分だし、自分が決める自由がある。
他の人がどう言おうと、周りに迷惑をかけないなら
まあまあこれでいいかと思うことや
やりたいことをやりたいようにやるのもいいのではないか
そんなことを思った私でした。

あなたは、この〇に近い△を生きるってことについてどう思いますか?
 
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出かけていました

2017-02-13 14:42:48 | 日記
こんにちは!

ふ~、こうやって書くのはなんか久しぶりのような気がします。

ちょっと出かけていたもので
その間は気持ちに余裕もなく・・・。

出かけた先は東京です。

この度は、いろいろ驚くことや気になることがありました。

私だけが気になったことなのか?
ちょっと書いてみますね。

一つ目は天候のこと
新幹線で京都と岐阜羽島間を、雪のために徐行運転するというので
どんな具合なんだろうかと思っていたところ
京都を過ぎて少ししたら、急にあたり一帯が真っ白になってきました。
雪はかなり激しく降っており、新幹線車両の窓に真横に降っているように見えるぐらいです。
空は鼠色、さっきまでの時折青空が見えていたのとは全く違います。

まずこれで驚きました。
ほんのちょっとしか離れていなくても天候がこんなに変わるのか・・・。

岐阜羽島を越えてしばらくすると、だんだん天気は良くなり、
雪の積もり方もだんだんだんだん薄くなるという感じでした。

狭い日本なのに、こんなにも天候が違うなんて驚きです。

二つ目は東京観光でのこと
「明治神宮」に行っておみくじを引いた時のことです。
私は「何が出るかな、大吉だったらいいなあ。」と思って期待していたんです。

ガラガラと木の箱を振って竹の棒の先に16と書いたのが出てきたので
巫女さんに「16番でした。」と告げると
卵色のお札を一枚渡されました。

ん、ん、ん???
なんだこのお札は・・・大吉とか小吉とか書いてないぞ。
どこをどう見ればいいというのだろう?

私がもらった札には次のように書かれていました。

大御心(おおみこころ)
勤労
「みがかずば 玉の光はいでざらむ
 人のこころもかくこそあるらし」

意味は
「人は努力を惜しまずに、毎日自己を磨き鍛えることによって
苦しさ辛さに打ち勝つ立派な人に成長し、正しい道を歩むことが出来ます。」
ということのようです。

これからも努力を惜しまずに人としてしっかり生きなさいという意味だろうな
と、そう自己解釈しました。

三つ目は同じく東京観光でのこと
原宿で『クレープ屋さん』に行ったとき
まあ、その種類の多いことにびっくり。
クレープ屋さんが多いことにもびっくり。
よくもあんなにクレープ屋さんばかりできたものだと感心。

でも・・・ちょっとよく分からなかったのはクレープの食べ方でした。
ソフトクリームみたいに▽な形の紙を巻いて手渡してもらったけど
どうやって食べるのが一番いいのでしょうね?
クレープってあんまり食べたことがないし
ソフトクリームを食べるみたいに
上からかじるようにして食べていたところ
ふと見るとプラスチックのスプーンで食べている人もいるじゃありませんか。

クレープの正しい食べ方ってあるのでしょうか?
お皿に平らに乗せられて出てくるのは
フォークとナイフで食べるでしょう?

どんな食べ方をしても美味しいからいいか!
最後にはそこに行きつくのだけど
正しい食べ方があるのなら知りたい気持ちです。

あなたはどうやって食べていますか?
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雪の思いでありますか?

2017-02-09 19:19:43 | 日記
全国的に大雪になるとか、大雪に警戒するようにとか
テレビで何度も言っているので、とても気になっています。

あなたは雪に関する思い出がありますか?
スキーを楽しんだとか、スノボーに行って楽しかったとか
そんな思い出がある人もたくさんいるでしょうね。

私は、実は中国山地のふもとの方に実家があり
子どもの頃は冬になると雪の日が多くてうんざりしていたものです。

たまに降るならいいけど、しょっちゅうだと嫌になってきますよ。

今でこそしもやけにもならなくなりましたが
子どものころにはしもやけで手が痛くてたまりませんでした。

小学生の頃、しもやけができていても雑巾での水拭き掃除
これがつらかったですね。
私よりももっとひどい子がいて、皮膚がやぶれたようになり
包帯で手をぐるぐる巻きにしていたりもしました。
最近は栄養状態がいいからしもやけにもならないのかしら?

ちょっと脱線してしまいましたが
私の雪に関する思い出をいくつか紹介してみます。

一つ目は「大雪にもめげず」
どんなことがあったかというと
確か小学校の中学年ぐらいでした、
雪がドカンと降った冬休みだったと思います。

図書室で借りた本を返して新しい本を借りようと思って
大雪が積もっている中を出かけたんです。
普通そんな日にわざわざ図書室に行く人なんていないでしょう?
アホな私は雪なんてなんのその、ひたすら本を借りたいがために出かけたんです。

ズボッと雪に足が埋もれても頑張って校舎にたどり着きました。

すると、なんてことでしょう!
幸いに先生がいてくれて、無事に図書の本を返したり借りたりすることができたんです。
その時の先生はびっくりされてましたねえ。

二つ目「みんなでやれば怖くない・・・。」
雪が積もった時の子どもの遊びの代表は「雪合戦」
私も近所の友達と一緒になって雪合戦を楽しんだものです。

相手に勝つためには雪玉をたくさん作って攻撃に備えることが大事。
それでみんなで雪玉をたくさん作りました。
そして、近くの土管を作る工場の土管の中に
雪玉を貯蔵しました。

「よしよし、これで明日の雪合戦は勝ちだな。」
と喜んでその日は終わったのでした。

ところが次の日の朝のことです。
土管の工場が私のうちの隣だったのですが
そこからおじさんの大きな声が聞こえてきたではありませんか。
「コラ~、誰がこんなことをするんか!!とれりゃあせんじゃろうが!!」

私は真っ青になりました。
昨日作って貯めておいた雪玉があまりの寒さに凍り付いて
土管からはがれなくなっていたのです。
私たちがやったことがバレたらどれだけ叱られるか分からないし
親に言うのも怖くて言えないし
ブルブル震えながらおじさんの声がしなくなるのを待ちました。
怖かった~~~。

この二つは忘れようと思っても忘れることができません。
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嬉しかったこと

2017-02-08 18:31:23 | 日記
とても嬉しいことがありました。
他の人にとっては大したことではないかもしれません。
でも、今の私にとっては大変勇気づけられるような嬉しいことなので書いてみたいと思います。

それは何かというと・・・。
私があまり話をしたことがない人なのですが
私のことを気にかけてくれていることが分かったことです。

以前、私のことを心配してくれていることを、知人を通して聞いてはいました。
でもなぜ私のことを心配してくれているのかなんて
私はその理由を探そうとしていました。
その人は特別に理由はなかったのかもしれないし
私のことを心から心配してくれているだけだったかもしれないのに・・・。

でも今回知人から話を聞いた私は
心から「ありがとう。」と言いたい気持ちになりました。
きっと自分の中の何かが少し変わったからなんでしょうね。

他の人の優しさ・気配りなどを
受け止めることができる余裕が出てきたということなのかな。

「あなたのことを気にしているよ。」
そう言ってくれる人があるということは
それだけで嬉しくて生きていく勇気が湧いてくることだと
私は心からそう思いました。

決して独りぼっちじゃないんだ、そっと見てくれている人がいるんだ。
そう思えるって本当に嬉しい。

別のことですが、今日も私はプラプラ走っていました。
前をシルバーカーを押して歩くかなり年配の男性がいることを確認しました。
そばを通る時に気を付けなくてはいけないなと思いながら
その人の右横を通り過ぎようとしたその時、
「おお~元気じゃねえ。」
と声をかけてくれたのです。

私も思わず振り返り
「ありがとう!!」
とその年配の男性に答えていました。

私もその人に少しでも元気をあげられたのかな?

自分ではそんな気持ちは全くなかったけど
私の行動を見て元気になってくれる人がいるとしたら
それはそれでまた嬉しいことです。


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挨拶っていいね!

2017-02-07 18:36:50 | 日記
あなたは自分から挨拶をする人ですか?
それとも照れてあまり自分からは挨拶しない人?
時々いますよね、向こうから挨拶されたら仕方なしに挨拶する人。
中には挨拶を無視して通り過ぎる人だっている。

最近はそんな人のほうが多いのかなあ。

今日、外をプラプラ走っていた時のことです。
幹線道路の歩道を走っていたら
向こうから自転車に乗った男性がやってきました。

「?もしかしたらあの格好は・・・。」
と思っている間にその男性は近付いてきて
私だと確認すると
「おはようさん!」
と挨拶してくれました。

年配の男性ですが、名前も知りません。
知っているのはいつも西からやってくるということと
いつも自転車でかなり長い距離を走っているらしいこと
それに健康のために自転車で走っているんだということぐらいです。

これまで何回かすれ違っていて
そのたびに挨拶してくれていました。

「やあ!」「頑張っているね!」「コンチハ!」など
とても短い言葉なんだけど必ず笑顔で挨拶してくれるのです。

向こうは一人、こちらも一人、似た者同士ということで
親しみを感じてくれているのかもしれません。

私も、その男性から挨拶してもらえてとてもうれしくなり
出会ったら必ず挨拶を返します。
そうしたらとてもいい気分になります。

寒いなあ、ちょっとしんどいなあ、
そんなふうに思っているときでも出会って一瞬だけど挨拶したら
心がほんわりしてきてまた頑張ろうという力が湧いてくるから不思議です。

挨拶っていいですね。

その男性がいつどのタイミングで走るのか知らないから
いつ出会うとも分からないのですが
出会えたら嬉しくなります。

これからも時々出会えたらいいなあ、そう思っている私です。
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