フェリー乗り場鬼池港にやってきた。青空を背にした天草四郎像があった。鹿児島空港に到着して以降4日間の全行程をご案内いただいた熊本県宇城市の中九州観光。ドライバーさんも安全運転の女性でした。
フェリーは10時30分に出港し島原半島の南端口之津港に向かいます。
乗船時間約30分島原半島の最南端南島原市口之津港に到着。
有馬キリシタン遺産記念館。日本のキリスト教の聖なる地「南島原へようこそ」と迎えていただいた。館員さんのご案内を受けます。
まず目に入ったのが青銅レリーフ 「殉教記念碑」 長崎平和公園にある平和記念像の作者北村西望の手になるもの。大分市にあるもののレプリカだとの説明があり、・・・今まさに十字架にかけられようとする老夫婦と孫娘の姿、人生を信仰一筋に生き抜いた者の美しさと悲しさが心を打ちます。・・・と書いている。
展示室はふたつに分かれており、まず「南島原の繁栄とキリシタン文化」が紹介されていた。
ここでも「天正遣欧少年使節」のことが細かく説明されている。その横には彼らが帰国後ヴァチカンに宛てて送った親書がヴァチカン教皇庁図書館に保存されているとして、その本文を紹介しているのでした。親書の日付は西暦1585年7月2日としてありました。
キリシタン大名有馬晴信が甲斐の国で斬首されて以降キリシタン弾圧につながった。などとの綴りもありました。
南島原市所有の絵馬。南島原に繁栄をもたらしたという南蛮貿易。晴信はその貿易で徳川家康とも深い関係を築いたそうです。
二つ目の展示室がここから始まります。いただいた資料をコピーしました。
1912年有馬晴信死去から始まっている年表は事細かくきれいにつづられていました。じっくり読み切る時間はありません。後日拡大して読んでみようと2018年この地が世界文化遺産に指定されるまでの出来事をすべて写真に収めました。ここでは少々おろぬいていますが。
ここが最後のコマ。明治の始まりから1938年(昭和13)原城址 国史跡となるなどと書かれ「2018年世界文化遺産に登録される」が最後の行でした。
「雲仙地獄の拷問の図」この画はあちこちで目にするのです。オランダ人が出版した「日本誌」の中にこの画が挿入され、ヨーロッパに衝撃をもって伝えられたとのこと。長崎にいて信仰を絶たなかったキリシタンを雲仙に連れて行き処刑されたのは事実らしいのですが、この画はヨーロッパ人が想像のうえで描いたもの。というのは当たり前のお話でしょう。この画が本物かどうか知りませんが、長崎歴史文化博物館所蔵とされている。
この後訪ねる原城址についても説明がありました。
城址発掘現場と遺骨のレプリカ。 見つかった人骨には、刀が骨まで達した跡が残っているものもあったそうだ。
2014年に開館したというこの記念館。その展示の素晴らしさに感じ入ってしまった。今回の旅の中ではピカイチのミュージアムだったと振り返っているのです。