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富岡城(2021九州no7)

2022-02-10 | 九州

 

 天草下田温泉の朝。泊った望洋閣がそこにある。天草最古の温泉地だという。700年ほど前一羽の傷ついた白鷺が傷を癒しているところへ行ってみたら温泉が湧き出ていた。なんて天草総合ガイドブックに載っていた。

 トビかタカか。いずれにしてもタカ科の鳥でしょう。東南アジアなど暖かい国へ渡って行く途中かな。トビだったら、彼らは留鳥らしいので港で餌を探しているのかもしれない。

 ホテルのロビーに飾られていた夕陽の美景。天草市のほか熊本市・山鹿市などの絶景があった。

 国道389号「サンセットライン」を走って次の目的地に向かっています。

 珍しい風景を目にした。黄色く残るは稲刈り跡の田んぼ。間に挟まれているみどりはレタス畑。圃場に立っている黒いのは何者だろう。なにがレタスを食べに来るのだろうか。一応レタスの産地といわれている長野県でこんなの見たことありません。

 富岡城址にやってきた。

 ベテランのバスガイドさんに導かれて歩きます。

 1994年 (平成6) から城の発掘・復元が計画され、2005年 (平成17) に復元作業が終了したという城址は石垣の石積みもきれいな石との混在でした。

 丘陵上にある城址からの眺めはまさに周囲を一望でした。

 苓北町歴史資料館で少々お勉強。国会図書館に所蔵されているというこの「富岡城図」これをもとにお城を復元したといいます。ここには「天草・島原の乱」のとき幕府軍の拠点として一揆勢から3回の攻撃を受けたが、唐津藩の必死の守りでお城は守られた。と書いています。

 丸印が本丸で△が二の丸。ずっと手前に米蔵があり、その下が厩だ。

 勝海舟もいた。1856年 (安政3) 観光丸で来航し鎮道寺に宿泊。その寺の柱に「日本海軍指揮官 勝麟太郎」と落書きした。などと紹介している。

 左が「勝海舟」これは誰でも知ってる。右が「頼山陽」こりゃ誰だ。驚いてしまった。あの「鞭声粛粛 夜河を過る」武田信玄と上杉謙信との戦い。あの「川中島」を読んだ詩人としても知られる、歴史家であり思想家だという。思ってもみなかった勉強になった。

  側面に回ってみたら勝海舟側の台座に「日本の恩人」奥の台座には「天草の恩人」と刻んである。さてその天草の恩人はだれだ。と調べてみた。鈴木重成・鈴木重辰と出てきた。天草・島原の乱の後、三河生まれの重成は、天領となった天草の初代代官となり民の平穏を目指して幾多の苦難の道、重辰は養子として迎えた兄の息子。おふたりとも民心と暮らしの安定に努めた天草の恩人だったらしい。

  高い石垣を見上げながら城跡をあとに帰り路。

 天草の島を後にして島原半島にわたるため走っています。この海も有明海なのかな、小舟の周りには養殖場か生けすでもあるのかってな感じでした。

コメント
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