私の意識の中には、もっと赤いはずの砂漠があったのです。比べてみました。かっての旅で持ち帰ったサハリの砂と。ご覧のとおり間違いなく赤い砂でした。
砂丘ではありません砂山なんです。不思議でなりません。なぜ砂山がこんな形で築かれていくのでしょうか。聞いてみました。なんでも海からの風と陸からの風がせめぎ合いこうした山を造るらしい。砂丘は連なっているものと思っていたのに、丘と丘の間になぜこんな平地がこれほど広がっているのか不思議。たぶん何らかの地形がこうした世界を成すのでしょう。
この写真は、10日間の旅の中でひとりで写した唯一の写真。人物を写すのはあまり好まないのです。人さまが撮ってくれるのは構わないんですが、自分が自分の意思で自分をあまり写したいと思わないんです。でも旅の思い出に1枚だけは残したいけどね。
その悪い思想が災いしました。「お先にごめんなさい」といって逝ってしまった妻の写真がない。もちろん、まだ華が満開のころのものはあるんですが、二人であちこち旅をするようになってからのものはほとんどないんです。「しまった」と思っても時間は戻ってきてくれません。東日本大震災で被災された方が言っていました。「位牌と写真を返して」そうなんです。いくらお金を積んでも、刻んできた歴史の証は帰ってきてくれないんです。
こうして砂丘の背を多くのお客さんがひっきりなしに歩いて、背丈が縮んしまうのではと心配してしまいます。夜の間に吹き来る風が再構築してくれるのでしょうか。
約1時間のデューン45その喜びは至福と言っては誇張しすぎかな。
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