訪問日:平成25年9月28日(土)
出 発:タイムズ高槻宮田町第2パーキング
到 着:タイムズ高槻宮田町第2パーキング
以前から訪ねたかった「継体天皇陵」。しかし、場所的・距離的に中途半端であったことから、なかなか訪ねられなかった。しかし、今日、車で出かける野暮用があり、昼をはさんで5時間ほどの時間的な空白ができたので、思い切って訪ねることにした。
今日の出発・到着は、マイカーなのでネットであらかじめ調べておいた「タイムズ高槻宮田町第2パーキング」。ここは、大阪府高槻市。ほぼ平坦な道を歩き、トイレ・給水にも困らない。パーキング前の「ファミリーマート」で給水して午前11時30分出発。しかし、都合の良い場所に、コインパーキングとコンビニがあったもんだ。「感謝」「感謝」。
コンビニを出て北へ。すぐ右側に「春日神社」が。いつものように参拝して、今日一日の「安全祈願」をする。
神社を出てさらに北へ数十メートル歩くと「巡禮橋」という橋が小さな川を渡り、川沿いに「西国街道」が走るので左折し、街道を歩く。
以前、野里町歩紀~摂河泉をゆく~「西国街道を山崎から高槻へ」で西国街道を歩いた時は、結構、古い町並みや道標があったが、この道には街道らしい雰囲気がない。
一筋、脇道に入ってみた。立派なお屋敷が並ぶ一角があった。
その筋を抜けると、再度、西国街道と合流する。
しかし、すぐに何でもない住宅街の道となり、途中、高槻市から茨木市に入ると左に「藍野大学」のキャンパスが現れる。
そして、「東太田4丁目交差」を過ぎると、今日最初の目的地「継体天皇陵」への案内標示が立つ
交差点を渡ると左側に蔵のある立派な家が見えてくる。
その向かい側が「継体天皇三嶋藍野陵」。しかし、何と車寄せの鉄扉が閉まっており、拝所はおろか制札の前までも行けない。向こうに見える小山が前方部だ。
仕方がないので「東太田4丁目交差」まで戻り左折、藍野短大のキャンパス前から金網越しに御陵の濠を眺める。「どうせ巨大古墳は、空でも飛ばない限り全容は望めないのだから。」とあきらめつつ写真に納める。
もう一度、御陵の正面に周り、植え込み沿いに路地を入る。ここから何とか「拝所」を拝むことができた。「継体天皇」。武烈天皇が後嗣を定めずして崩御したことから「越の国(福井県)」より迎えられたという第26代天皇。古事記に「三島の藍陵」に葬られたと記載されていることから、ここ旧三島郡藍野の「太田茶臼山古墳」が陵墓と比定されている。
御陵西側の路地を抜けると公民館の前に説明書が立てられていた。全長226m、幅30mの濠で囲まれた巨大前方後円墳で、発掘調査で円筒埴輪が発見されたというが、継体天皇の没年と古墳の築造年代が異なる旨記載されていた。
元の道に戻り、なだらかな坂を下って行くと右にふたつの石灯籠が並ぶ。「太田神社」。天照大皇神等3神をお祀りする式内社だ。
坂を下りきった「太田東芝町交差」を右折する。300mほどで名神高速道路の高架道をくぐり右折、高速道路の防音壁に沿って歩く。
藍野花園病院を過ぎ、左に土室(はむろ)小学校が見えれば高槻市に入っている。そしてしばらく歩くと左に濠に囲まれた小さな古墳が見える。「番山(ばんやま)古墳」直径56mの帆立貝式前方後円墳で、被葬者は不明。
古墳横の水田には彼岸花が。
この辺りは小さな古墳がたくさん見られる。番山古墳のある角を左に曲がればすぐに、今日2番目の目的地「新池ハニワ工場公園」への標識が見えるが、時間は、午後0時30分、昼食の時間だ。
目の前に「ピーコック」というショッピングセンターが見えたので、ここのマクドナルドで食事をしよう。
今日は、朝ご飯が遅かったので、フィレオフィッシュとアイスコーヒーで軽く済ませる。
そして、先ほどの標識に従って坂を上る。すぐに「新池ハニワ工場公園」の入口に着く。
ここは、高層マンション住宅街の一角に近隣公園と兼ねて作られた高槻市が管理する史跡公園で、5~6世紀に作られたわが国最古・最大のハニワ製造地といわれ、継体天皇陵など付近の古墳で発掘されたハニワを製造していたと言われる。
ハニワを焼く窯が復元されている。登り窯のような構造だ。
その隣には、発掘状況を再現しているのだろうか、ハニワの破片とともに鋤などの道具が無造作に並べられている。
また、「作業場」と呼ばれる立派な建物も復元されている。
太い柱を2本束ねているのが特徴で、雨でもハニワが製造できるように建てられたものだという。
この2棟のほか遺構も発見されており、3棟の作業場があったらしい。
一番奥には、窯を模した「ハニワ工場館」。公園自体は、普通の近隣公園同様、24時間無料開放されているが、この施設のみ午前10時から午後5時までの開館である(入館は無料)。
館内には、発掘された窯を利用して窯の構造などが展示されている。
また、ここの窯で焼かれた「家型ハニワ」なども修復・複製して展示されている。
屋外にも多くのハニワが並べられている。
園内斜面の細長い植え込み。
これらも単なる植え込みではなく、窯跡の場所に植えられたものだ。
このような窯が18本あったと言われる。まさしく「工場」だ。もうもうと煙を上げた「大工場」だったのだろう。
ここは、史跡公園であるが、子ども用の遊具や東屋、トイレなどもあり、管理人さんが常駐しているので、芝はきれいに刈り込まれ、トイレも含め園内の清掃は行き届いている。ピクニック気分で弁当を広げても良い。
「新池ハニワ工場公園」を出る。先ほどの「番山古墳」の前を通り過ぎ、名神高速道路をくぐって土室から氷室の町を進む。
結構、古い家が残っている。
そして、今日最後の目的地「今城塚(いましろづか)古墳」へと向かう。
こんな何でもない盛土も古墳なんだろうな。
黄金色に輝く水田の向こうに「今城塚古墳」を望む。
その前に「今城塚古代歴史館」に立ち寄って事前知識を身に付けるとともにパンフレットをもらうことにする。
ここは、高槻市の施設で、公園として整備された「今城塚古墳」に関する説明や出土物の展示のほか、体験コーナーや学習室などを備える。
見学を終え、いよいよ「今城塚古墳」へ。
全長350m、幅340mの巨大な前方後円墳は、10年間の発掘調査と7年間の整備工事を経て、9ヘクタールの広大な公園となり、基本的に全区域への立ち入りが可能だ。
そして何より、発掘調査の結果、今城塚古墳こそが「真の継体天皇陵」と言われている。
しかし、宮内庁は「三島藍野陵」こそが継体天皇陵と比定していることから、「今城塚古墳」は宮内庁の管轄外となり、立ち入りや学術調査のための発掘が許された。
つまり、天皇陵に足を踏み入れることができるということだ。後円部から前方部へと続く道。
内濠の半分は、埋め立てられ、芝生公園として開放されている。
前方部と後円部のくびれに突き出した「造出」と呼ばれる部分では、祭祀が行われたという。
墳丘内には、排水施設の遺構や伏見地震での崩壊部分なども発見され、案内標示も設置されている。
築造当時の姿を残すといわれる「南西隅部」から内濠を望む。
そして、古墳の北側には埴輪祭祀の模様が再現されている。これらの埴輪が「ハニワ工場」で製造された。
女性的な顔立ちだが、鷹匠なので男性だろう。
発掘の結果、当時の天皇陵で行われた祭祀の姿が明らかになりつつある。
200以上の埴輪が並ぶ姿は壮観だ。
外濠には水を溜めず、間近で内堤を眺めることにより、巨大な御陵の威厳を示したと言われる。
円筒埴輪越しに先ほど立った「南西隅部」を望む。
一般公開されているとはいえ、大切な文化財であり「天皇陵」である。マナーとルール、そして「敬意」を持って見学したい。
古墳南西角を出たころに「妙見橋」という橋がかかる。橋を渡って左に曲がり「女瀬川」沿いに歩く。
300mほどで「氷室川」と交われば「西国街道」である。ここも街道的な雰囲気はない。
右に曲がり3~4分で元の「巡禮橋」に戻る。
最初にお参りした春日神社の前を通ってスタート地点の「タイムズ高槻宮田町第2パーキング」へ。午後2時30分に到着。本日の歩紀「14843歩」(12.76km)。駐車料金は、400円。
出 発:タイムズ高槻宮田町第2パーキング
到 着:タイムズ高槻宮田町第2パーキング
以前から訪ねたかった「継体天皇陵」。しかし、場所的・距離的に中途半端であったことから、なかなか訪ねられなかった。しかし、今日、車で出かける野暮用があり、昼をはさんで5時間ほどの時間的な空白ができたので、思い切って訪ねることにした。
今日の出発・到着は、マイカーなのでネットであらかじめ調べておいた「タイムズ高槻宮田町第2パーキング」。ここは、大阪府高槻市。ほぼ平坦な道を歩き、トイレ・給水にも困らない。パーキング前の「ファミリーマート」で給水して午前11時30分出発。しかし、都合の良い場所に、コインパーキングとコンビニがあったもんだ。「感謝」「感謝」。
コンビニを出て北へ。すぐ右側に「春日神社」が。いつものように参拝して、今日一日の「安全祈願」をする。
神社を出てさらに北へ数十メートル歩くと「巡禮橋」という橋が小さな川を渡り、川沿いに「西国街道」が走るので左折し、街道を歩く。
以前、野里町歩紀~摂河泉をゆく~「西国街道を山崎から高槻へ」で西国街道を歩いた時は、結構、古い町並みや道標があったが、この道には街道らしい雰囲気がない。
一筋、脇道に入ってみた。立派なお屋敷が並ぶ一角があった。
その筋を抜けると、再度、西国街道と合流する。
しかし、すぐに何でもない住宅街の道となり、途中、高槻市から茨木市に入ると左に「藍野大学」のキャンパスが現れる。
そして、「東太田4丁目交差」を過ぎると、今日最初の目的地「継体天皇陵」への案内標示が立つ
交差点を渡ると左側に蔵のある立派な家が見えてくる。
その向かい側が「継体天皇三嶋藍野陵」。しかし、何と車寄せの鉄扉が閉まっており、拝所はおろか制札の前までも行けない。向こうに見える小山が前方部だ。
仕方がないので「東太田4丁目交差」まで戻り左折、藍野短大のキャンパス前から金網越しに御陵の濠を眺める。「どうせ巨大古墳は、空でも飛ばない限り全容は望めないのだから。」とあきらめつつ写真に納める。
もう一度、御陵の正面に周り、植え込み沿いに路地を入る。ここから何とか「拝所」を拝むことができた。「継体天皇」。武烈天皇が後嗣を定めずして崩御したことから「越の国(福井県)」より迎えられたという第26代天皇。古事記に「三島の藍陵」に葬られたと記載されていることから、ここ旧三島郡藍野の「太田茶臼山古墳」が陵墓と比定されている。
御陵西側の路地を抜けると公民館の前に説明書が立てられていた。全長226m、幅30mの濠で囲まれた巨大前方後円墳で、発掘調査で円筒埴輪が発見されたというが、継体天皇の没年と古墳の築造年代が異なる旨記載されていた。
元の道に戻り、なだらかな坂を下って行くと右にふたつの石灯籠が並ぶ。「太田神社」。天照大皇神等3神をお祀りする式内社だ。
坂を下りきった「太田東芝町交差」を右折する。300mほどで名神高速道路の高架道をくぐり右折、高速道路の防音壁に沿って歩く。
藍野花園病院を過ぎ、左に土室(はむろ)小学校が見えれば高槻市に入っている。そしてしばらく歩くと左に濠に囲まれた小さな古墳が見える。「番山(ばんやま)古墳」直径56mの帆立貝式前方後円墳で、被葬者は不明。
古墳横の水田には彼岸花が。
この辺りは小さな古墳がたくさん見られる。番山古墳のある角を左に曲がればすぐに、今日2番目の目的地「新池ハニワ工場公園」への標識が見えるが、時間は、午後0時30分、昼食の時間だ。
目の前に「ピーコック」というショッピングセンターが見えたので、ここのマクドナルドで食事をしよう。
今日は、朝ご飯が遅かったので、フィレオフィッシュとアイスコーヒーで軽く済ませる。
そして、先ほどの標識に従って坂を上る。すぐに「新池ハニワ工場公園」の入口に着く。
ここは、高層マンション住宅街の一角に近隣公園と兼ねて作られた高槻市が管理する史跡公園で、5~6世紀に作られたわが国最古・最大のハニワ製造地といわれ、継体天皇陵など付近の古墳で発掘されたハニワを製造していたと言われる。
ハニワを焼く窯が復元されている。登り窯のような構造だ。
その隣には、発掘状況を再現しているのだろうか、ハニワの破片とともに鋤などの道具が無造作に並べられている。
また、「作業場」と呼ばれる立派な建物も復元されている。
太い柱を2本束ねているのが特徴で、雨でもハニワが製造できるように建てられたものだという。
この2棟のほか遺構も発見されており、3棟の作業場があったらしい。
一番奥には、窯を模した「ハニワ工場館」。公園自体は、普通の近隣公園同様、24時間無料開放されているが、この施設のみ午前10時から午後5時までの開館である(入館は無料)。
館内には、発掘された窯を利用して窯の構造などが展示されている。
また、ここの窯で焼かれた「家型ハニワ」なども修復・複製して展示されている。
屋外にも多くのハニワが並べられている。
園内斜面の細長い植え込み。
これらも単なる植え込みではなく、窯跡の場所に植えられたものだ。
このような窯が18本あったと言われる。まさしく「工場」だ。もうもうと煙を上げた「大工場」だったのだろう。
ここは、史跡公園であるが、子ども用の遊具や東屋、トイレなどもあり、管理人さんが常駐しているので、芝はきれいに刈り込まれ、トイレも含め園内の清掃は行き届いている。ピクニック気分で弁当を広げても良い。
「新池ハニワ工場公園」を出る。先ほどの「番山古墳」の前を通り過ぎ、名神高速道路をくぐって土室から氷室の町を進む。
結構、古い家が残っている。
そして、今日最後の目的地「今城塚(いましろづか)古墳」へと向かう。
こんな何でもない盛土も古墳なんだろうな。
黄金色に輝く水田の向こうに「今城塚古墳」を望む。
その前に「今城塚古代歴史館」に立ち寄って事前知識を身に付けるとともにパンフレットをもらうことにする。
ここは、高槻市の施設で、公園として整備された「今城塚古墳」に関する説明や出土物の展示のほか、体験コーナーや学習室などを備える。
見学を終え、いよいよ「今城塚古墳」へ。
全長350m、幅340mの巨大な前方後円墳は、10年間の発掘調査と7年間の整備工事を経て、9ヘクタールの広大な公園となり、基本的に全区域への立ち入りが可能だ。
そして何より、発掘調査の結果、今城塚古墳こそが「真の継体天皇陵」と言われている。
しかし、宮内庁は「三島藍野陵」こそが継体天皇陵と比定していることから、「今城塚古墳」は宮内庁の管轄外となり、立ち入りや学術調査のための発掘が許された。
つまり、天皇陵に足を踏み入れることができるということだ。後円部から前方部へと続く道。
内濠の半分は、埋め立てられ、芝生公園として開放されている。
前方部と後円部のくびれに突き出した「造出」と呼ばれる部分では、祭祀が行われたという。
墳丘内には、排水施設の遺構や伏見地震での崩壊部分なども発見され、案内標示も設置されている。
築造当時の姿を残すといわれる「南西隅部」から内濠を望む。
そして、古墳の北側には埴輪祭祀の模様が再現されている。これらの埴輪が「ハニワ工場」で製造された。
女性的な顔立ちだが、鷹匠なので男性だろう。
発掘の結果、当時の天皇陵で行われた祭祀の姿が明らかになりつつある。
200以上の埴輪が並ぶ姿は壮観だ。
外濠には水を溜めず、間近で内堤を眺めることにより、巨大な御陵の威厳を示したと言われる。
円筒埴輪越しに先ほど立った「南西隅部」を望む。
一般公開されているとはいえ、大切な文化財であり「天皇陵」である。マナーとルール、そして「敬意」を持って見学したい。
古墳南西角を出たころに「妙見橋」という橋がかかる。橋を渡って左に曲がり「女瀬川」沿いに歩く。
300mほどで「氷室川」と交われば「西国街道」である。ここも街道的な雰囲気はない。
右に曲がり3~4分で元の「巡禮橋」に戻る。
最初にお参りした春日神社の前を通ってスタート地点の「タイムズ高槻宮田町第2パーキング」へ。午後2時30分に到着。本日の歩紀「14843歩」(12.76km)。駐車料金は、400円。