訪問日:平成27年9月27日(日)
出 発:阪急バス「柏原」
到 着:阪急バス「川床口」
兵庫県南東部。大阪府豊能郡能勢町と接して広がる「兵庫県川辺郡猪名川町」。町名の由来であり町を南北に流れる「猪名川」沿いには、日本の原風景である里山が広がる。「猪名川里山街道」「歴史街道」などとして整備された川沿いを上流から下流に向かって歩く。県道に沿って歩くのでトイレ・給水(自販機)には困らないが、店は少ないので弁当を持参する。
能勢電鉄「日生中央駅」前から阪急バス61番線で「柏原」を目指す。1時間1本の田舎のバスだが「オンボロ車」ではない。
阪急バス「柏原」停留所。「日生中央駅」から約40分(670円)。「かしはら」と読む。バスの本数が少ないので午前8時40分、少し早目の出発。
ここは「猪名川」の源流である「大野山(753m)」の南麓にあたる。大野山の頂上は、キャンプ場や天文台が備えられた「大野アルプスランド」という自然公園になっている。「おおやさん」と読む。
山の斜面には「柏原の棚田」が広がる。
いきなり「茅葺き民家」。彼岸花が美しい。
黄金色の棚田。
色付き始めた稲穂。新米だ。
石灯籠と何やらお堂が現れれば右へ。
二棟並んだ茅葺き民家。日本の原風景が残る。
ここにも茅葺き屋根。
彼岸花と棚田を見ながら進んでいく。
大きな栗が落ちていた。「秋の味覚」やね。
村のはずれに「八阪神社」。村の鎮守の神様だ。長禄3(1459)年に再建されたとの記録が残るらしいが創建年は不詳。
手水舎の水盤には応安3(1370)年の銘があり、石風呂として使われていたとか石棺であったとの説があるらしい。
建物の床下をくぐるのは、以前歩いた「北摂里山街道」の「素戔嗚神社」に似ているな(「北摂里山街道をひたすら歩く」参照)。
今日一日の安全を祈願する。
神社の前から猪名川の支流「柏原川」に沿って歩く。
彼岸花。
しばらくすると、先ほどバスに乗って通った県道507号線と合流する。左には「ペンションきのこ園」。
ペンションの前には「長寿の滝」の案内板が。
柏原川を渡って少し上流に戻り、「獣害柵」を開けて中へ(必ず閉めること)。
すぐに「長寿の滝」前に出る。「幻の滝」とも呼ばれるらしい。それは、普段は「涸れ滝」で雨が降った後にだけ見られるからだという。今日は、「幻」ではないようだ。
県道に戻る。道ばたには野菜直販所。100円で大きなキュウリ2本を買う。
彼岸花を見ながらゆっくりと下って行く。
この辻に出れば左に曲がり坂を上ろう。
稲刈りが終わった田んぼ。
ここにも棚田が広がる。
白い花は「蕎麦」の花らしい。
棚田の間を上っていく。結構な急坂だ。
棚田の頂上には小さな鳥居が。
倒木の奥には「山王大権現神社」という小さなお社。
棚田は「美」が強調されるが、狭隘な山間部でも何とか米を作ろうと言う「知」の結晶だと思う。稲刈りに精を出すお百姓さん。
元の県道に戻る。「西畑」という集落に入る。左には「西畑公会堂」。
ここで県道から左の脇道にそれてみよう。
道ばたには「秋の味覚」。
富士山のような単独峰が続くのが北摂山系の特徴らしい。
5分ほどで左に「八坂神社」。
ここも建物の下をくぐる。承平6(936)年まで大野山にあったとの記録が残る古社。
神楽舞台だろうか。毎年10月17日の例祭では「練りこみ」と呼ばれるお祭りがあり、五穀豊穣や家内安全を願って、子供歌舞伎や獅子舞などが演じられるそうだ。
この立派な茅葺き民家を過ぎれば県道12号線に合流する。
県道を横断する。
さらに橋で「猪名川本流」を渡る。
ゆるい坂を上れば「曹洞宗景福寺」。
応安2(1369)年に開山された寺院で、8月には沙羅双樹の花が咲くそうだ。
「本流」を渡って県道に戻り南へ。
「秋の実り」。
消防団詰所の裏にも「秋の実り」。
右に虫籠窓の立派なお屋敷。
このお屋敷を過ぎれば、すぐに「杉生(すぎお)」という四辻に出る。割と大きな交差点で角には「デイリーヤマザキ」がある。午前7時から午後7時30分まで営業。水曜日が休みらしい。
そのほか周辺には、郵便局・消防署・診療所などの公共施設が並ぶ。スタート地点である柏原への分岐点でもある。
一旦「柏原」方向に戻る。茅葺きの倉庫が見えるので、そこを曲がる。
その奥には一際立派な茅葺き民家。
古民家を利用した「里の家」という囲炉裏茶屋になっているようだ。
小さな茅葺き倉庫の横を抜けていく。目の前に真っ黒な「蛇」が横たわっていた。
道を抜ければ「春日神社」。
境内からの眺め。
参拝を終え「島」の集落を抜ける。「島公会堂」の横には「火の見櫓」。
お堀に囲まれた立派なお屋敷を過ぎる。
県道に戻る。角に立つのは地図では「嶋屋旅館」となっていたが、今は「お食事処」になっているようだ。
県道の向こうには「大島であい公園」。
自販機やトイレのほか親水公園もある「休憩ポイント」だ。
時間は、午前11時30分。ちょっと早いが昼食にしよう。途中、コンビニで買った「おにぎり2個」「ウィンナーソーセージ2本」「レトルトカレー」合計396円。
食事を終え、小学校の前を通りさらに進んでいく。
15分ほどで「清水北」というバス停が見えれば、その手前を右に入る。そこには「浄土宗成仏寺」。
「成仏寺」を過ぎれば「清水の弥勒堂」。茅葺きの小さなお堂で寛文12(1672)年に建てられたそうだと言いたいのだが「ない!!」。通りかかった男性が「どこかお探しですか?」と声をかけてくださったので訪ねると、台風で一昨年「倒壊」したそうだ。残念。跡地だけ撮影しておこう。
仕方ない。民家の裏を通り抜け、左に折れれば「天満神社」。
県道に戻る。県道には、ドライバー相手の喫茶レストランがいくつか並ぶ。右の「デイリーヤマザキ」は、閉店している。今回も「杉生交差」に「デイリーヤマザキ」があるのは知っていたが「デイリーヤマザキ」は閉まっていることが多いので、今回も途中のコンビニで昼食を調達した。
この辺りは、稲刈りが終わっているようだな。
12~3分ほどで右に「春日神社」。
鳥居をくぐれば参道の左右に「蕎麦畑」。
ここもくぐり式だ。
この県道は「猪名川渓谷ライン」と呼ばれ、後半は大規模ニュータウンの間を抜け「川西能勢口駅」前で国道176号線と交わる。
産業として林業も成り立っているようだ。
猪名川を渡る。
稲干し。
ここは、サイクリングの人を相手にしたカレー屋さんのようだ。店の前は自転車を架けられるようになっている。
そう言えば多くのサイクリストたちを見かける。
左に「ローソン」を見ながら進む。
「ローソン」を過ぎて「観音橋」という橋で猪名川を渡れば「高原ロッジメープル猪名川」という宿泊施設があるが、そのまま県道を進もう。
ここで「猪名川」は大きく右に曲がる。
県道も右にカーブ。
左に「杤原集荷場」と「消防ポンプ格納庫」が見えれば、その奥に「八幡神社」。
引き戸を開けてお参りするようになっている。
「杤原(とちはら)橋」で「猪名川」は直角に曲がる。
県道も猪名川に沿ってカーブする。
「木間生橋」という橋が見えれば向かいの階段を上る。そこには「薬師堂」。「こもう」と読むようだ。
「木間生橋」で「猪名川」を渡る。
すぐ右に曲がれば鬱蒼とした森の中に「春日神社」。
ここも引き戸を開けてお参りする。
「木間生」の集落を抜ければ左に「ふるさと館」。
町の施設で、町の歴史や産業、昔の暮らしを紹介する民俗資料館である。
ほかにもゲートボール場や芝生公園、木製遊具なども設けられている。
「ふるさと館」を出れば、すぐに「天沢寺」への案内板が立つので右へ。
「歴史街道」として整備されている。
すぐに「八坂神社」。ここもくぐり式だ。
「床下」から本殿を望む。
すぐ隣に「天澤寺」。奈良時代に開かれた寺院だと伝わる。
境内の奥には「八坂神社」。神仏習合の名残だろう。「北摂里山街道」を歩いた時の「普光寺」と「素戔嗚神社」の位置関係と同じだ(「北摂里山街道をひたすら歩く」参照)。
境内の石灯籠には応永10(1403)年の銘が入っている。この辺りは「応永」という年代に栄えたのだろう。案内に従って「石灯籠」へ。案内板がよくわからなかったが、おそらくこれが兵庫県指定重要文化財の「天澤寺石灯籠」だろう。
参拝を終えさらに進む。のどかな風景だ。
「町立楊津小学校」に突き当たるので右へ。舗装されているが寂しい坂道を上っていこう。700m先のトンネルを目指して。
大きなヘアピンカーブ。
カーブしながら標高を稼ぐので、そんなに急な坂ではない。
もう一つ大きなヘアピンカーブ。
坂を登り切るとトンネルが現れる。「津坂隧道」と言うらしい。
入り口はコンクリートで固められているが、奥には何やら古い壁面が見える。
中に入って見る。舗装と照明は施されてるが車の離合は難しいだろう。
100mほどのトンネルを抜けると反対側は打って変わって古い石組みになっている。
この辺りでは「くろまんぶ」と呼ばれているらしい。
明治14年ころに作られた古いトンネルで、同じく付近にあった「杤原隧道」が赤煉瓦で造られていたことから「あかまんぶ」と呼ばれ、それに対して「津坂隧道」が「くろまんぶ」と呼ばれるようになったと言われるが諸説があるようだ。「杤原隧道」は、埋められて今はないそうだ。このまま進むと、先ほど説明した「高原ロッジメープル猪名川」に抜けるので同じ道を元に戻る。
先ほどの「町立楊津小学校」前を通り過ぎる。「ようしん」と読むらしい。まるで中国のようだな。
しばらくすると「猪名川」に突き当るので、川を渡れば右に曲がり「猪名川」に沿って歩く。
「歴史街道」の案内板を見ながら進む。
「猪名川」は、兵庫・大阪の7市1町を流れ、兵庫県尼崎市で「神崎川」に合流し、大阪湾に注ぐ。
支流を合わせると兵庫・大阪・京都の11の市町にまたがるらしい。
途中、休憩所が設けられている。
ここの案内板には、先ほどの「楊津」の説明が。ここには、かつて「楊津連(やないづむらじ)」という氏族が住んでいたことに由来するそうだ。
いい眺め。
川沿いに歩いていくと左に「長宣寺」というお寺が現れる。「歴史街道」は、お寺前の「寺前橋」を渡ってさらに進み、「間歩(まぶ)」と呼ばれる坑道の残る「多田銀銅山」へと続くのだが、以前、歩いたので今日は、左に曲がり県道に戻る(「猪名川町~日生中央駅からぐるり一周、多田銀銅山から一本松山を経て、屏風岩へ~」参照)。
すぐ県道に出るので「歴史街道」で回り道した分、ちょっと県道を北に戻る。10分ほど進むと駐在所の裏に「川辺酒造」。
猪名川の地酒「花衣」を醸す。
大きな茅葺きの屋敷が残る。
県道を元の方向(南)に戻る。途中、左に折れれば「八幡神社」。
弘化3(1846)年、「石清水八幡宮」を勧請、その後、明治元(1868)年に建立されたというから割と新しい神社だ。
県道に戻り、今日のゴール「道の駅いながわ」まで500mの標識が見えればその手前を左に。ゴールも近い。
「万善公会堂」の隣に「熊野神社」。
今日最後の神社だ。
少し歩くと目の前には今日のゴールである「道の駅」が見えるのだが「木喰仏」の案内板に従って左へ。
「天乳寺」。寛永3(1626)年に開かれた浄土宗寺院。以前、訪れた「東光寺」同様、木喰仏が安置されている。猪名川町には26体の木喰仏があるそうだ。
県道に戻り、午後3時15分、ゴールの「道の駅いながわ」に到着。
そば打ち体験もできる「そばの館」。そういえば、途中たくさんの「蕎麦畑」があったなぁ。
その他、地酒や地元の特産物などを扱う直売所がある。
隣接してベーカリーショップとうどん屋。
ここから先は、以前歩いたので道の駅前の「川床口」から阪急バスに乗る。本日の歩紀「36309歩」(31.22km)。団体さんで一杯だ。ここから能勢電鉄「日生中央駅」まで約15分(280円)。里山だけでなく多くの神仏が人々の営みを見守っているのも日本の原風景の特徴である。
出 発:阪急バス「柏原」
到 着:阪急バス「川床口」
兵庫県南東部。大阪府豊能郡能勢町と接して広がる「兵庫県川辺郡猪名川町」。町名の由来であり町を南北に流れる「猪名川」沿いには、日本の原風景である里山が広がる。「猪名川里山街道」「歴史街道」などとして整備された川沿いを上流から下流に向かって歩く。県道に沿って歩くのでトイレ・給水(自販機)には困らないが、店は少ないので弁当を持参する。
能勢電鉄「日生中央駅」前から阪急バス61番線で「柏原」を目指す。1時間1本の田舎のバスだが「オンボロ車」ではない。
阪急バス「柏原」停留所。「日生中央駅」から約40分(670円)。「かしはら」と読む。バスの本数が少ないので午前8時40分、少し早目の出発。
ここは「猪名川」の源流である「大野山(753m)」の南麓にあたる。大野山の頂上は、キャンプ場や天文台が備えられた「大野アルプスランド」という自然公園になっている。「おおやさん」と読む。
山の斜面には「柏原の棚田」が広がる。
いきなり「茅葺き民家」。彼岸花が美しい。
黄金色の棚田。
色付き始めた稲穂。新米だ。
石灯籠と何やらお堂が現れれば右へ。
二棟並んだ茅葺き民家。日本の原風景が残る。
ここにも茅葺き屋根。
彼岸花と棚田を見ながら進んでいく。
大きな栗が落ちていた。「秋の味覚」やね。
村のはずれに「八阪神社」。村の鎮守の神様だ。長禄3(1459)年に再建されたとの記録が残るらしいが創建年は不詳。
手水舎の水盤には応安3(1370)年の銘があり、石風呂として使われていたとか石棺であったとの説があるらしい。
建物の床下をくぐるのは、以前歩いた「北摂里山街道」の「素戔嗚神社」に似ているな(「北摂里山街道をひたすら歩く」参照)。
今日一日の安全を祈願する。
神社の前から猪名川の支流「柏原川」に沿って歩く。
彼岸花。
しばらくすると、先ほどバスに乗って通った県道507号線と合流する。左には「ペンションきのこ園」。
ペンションの前には「長寿の滝」の案内板が。
柏原川を渡って少し上流に戻り、「獣害柵」を開けて中へ(必ず閉めること)。
すぐに「長寿の滝」前に出る。「幻の滝」とも呼ばれるらしい。それは、普段は「涸れ滝」で雨が降った後にだけ見られるからだという。今日は、「幻」ではないようだ。
県道に戻る。道ばたには野菜直販所。100円で大きなキュウリ2本を買う。
彼岸花を見ながらゆっくりと下って行く。
この辻に出れば左に曲がり坂を上ろう。
稲刈りが終わった田んぼ。
ここにも棚田が広がる。
白い花は「蕎麦」の花らしい。
棚田の間を上っていく。結構な急坂だ。
棚田の頂上には小さな鳥居が。
倒木の奥には「山王大権現神社」という小さなお社。
棚田は「美」が強調されるが、狭隘な山間部でも何とか米を作ろうと言う「知」の結晶だと思う。稲刈りに精を出すお百姓さん。
元の県道に戻る。「西畑」という集落に入る。左には「西畑公会堂」。
ここで県道から左の脇道にそれてみよう。
道ばたには「秋の味覚」。
富士山のような単独峰が続くのが北摂山系の特徴らしい。
5分ほどで左に「八坂神社」。
ここも建物の下をくぐる。承平6(936)年まで大野山にあったとの記録が残る古社。
神楽舞台だろうか。毎年10月17日の例祭では「練りこみ」と呼ばれるお祭りがあり、五穀豊穣や家内安全を願って、子供歌舞伎や獅子舞などが演じられるそうだ。
この立派な茅葺き民家を過ぎれば県道12号線に合流する。
県道を横断する。
さらに橋で「猪名川本流」を渡る。
ゆるい坂を上れば「曹洞宗景福寺」。
応安2(1369)年に開山された寺院で、8月には沙羅双樹の花が咲くそうだ。
「本流」を渡って県道に戻り南へ。
「秋の実り」。
消防団詰所の裏にも「秋の実り」。
右に虫籠窓の立派なお屋敷。
このお屋敷を過ぎれば、すぐに「杉生(すぎお)」という四辻に出る。割と大きな交差点で角には「デイリーヤマザキ」がある。午前7時から午後7時30分まで営業。水曜日が休みらしい。
そのほか周辺には、郵便局・消防署・診療所などの公共施設が並ぶ。スタート地点である柏原への分岐点でもある。
一旦「柏原」方向に戻る。茅葺きの倉庫が見えるので、そこを曲がる。
その奥には一際立派な茅葺き民家。
古民家を利用した「里の家」という囲炉裏茶屋になっているようだ。
小さな茅葺き倉庫の横を抜けていく。目の前に真っ黒な「蛇」が横たわっていた。
道を抜ければ「春日神社」。
境内からの眺め。
参拝を終え「島」の集落を抜ける。「島公会堂」の横には「火の見櫓」。
お堀に囲まれた立派なお屋敷を過ぎる。
県道に戻る。角に立つのは地図では「嶋屋旅館」となっていたが、今は「お食事処」になっているようだ。
県道の向こうには「大島であい公園」。
自販機やトイレのほか親水公園もある「休憩ポイント」だ。
時間は、午前11時30分。ちょっと早いが昼食にしよう。途中、コンビニで買った「おにぎり2個」「ウィンナーソーセージ2本」「レトルトカレー」合計396円。
食事を終え、小学校の前を通りさらに進んでいく。
15分ほどで「清水北」というバス停が見えれば、その手前を右に入る。そこには「浄土宗成仏寺」。
「成仏寺」を過ぎれば「清水の弥勒堂」。茅葺きの小さなお堂で寛文12(1672)年に建てられたそうだと言いたいのだが「ない!!」。通りかかった男性が「どこかお探しですか?」と声をかけてくださったので訪ねると、台風で一昨年「倒壊」したそうだ。残念。跡地だけ撮影しておこう。
仕方ない。民家の裏を通り抜け、左に折れれば「天満神社」。
県道に戻る。県道には、ドライバー相手の喫茶レストランがいくつか並ぶ。右の「デイリーヤマザキ」は、閉店している。今回も「杉生交差」に「デイリーヤマザキ」があるのは知っていたが「デイリーヤマザキ」は閉まっていることが多いので、今回も途中のコンビニで昼食を調達した。
この辺りは、稲刈りが終わっているようだな。
12~3分ほどで右に「春日神社」。
鳥居をくぐれば参道の左右に「蕎麦畑」。
ここもくぐり式だ。
この県道は「猪名川渓谷ライン」と呼ばれ、後半は大規模ニュータウンの間を抜け「川西能勢口駅」前で国道176号線と交わる。
産業として林業も成り立っているようだ。
猪名川を渡る。
稲干し。
ここは、サイクリングの人を相手にしたカレー屋さんのようだ。店の前は自転車を架けられるようになっている。
そう言えば多くのサイクリストたちを見かける。
左に「ローソン」を見ながら進む。
「ローソン」を過ぎて「観音橋」という橋で猪名川を渡れば「高原ロッジメープル猪名川」という宿泊施設があるが、そのまま県道を進もう。
ここで「猪名川」は大きく右に曲がる。
県道も右にカーブ。
左に「杤原集荷場」と「消防ポンプ格納庫」が見えれば、その奥に「八幡神社」。
引き戸を開けてお参りするようになっている。
「杤原(とちはら)橋」で「猪名川」は直角に曲がる。
県道も猪名川に沿ってカーブする。
「木間生橋」という橋が見えれば向かいの階段を上る。そこには「薬師堂」。「こもう」と読むようだ。
「木間生橋」で「猪名川」を渡る。
すぐ右に曲がれば鬱蒼とした森の中に「春日神社」。
ここも引き戸を開けてお参りする。
「木間生」の集落を抜ければ左に「ふるさと館」。
町の施設で、町の歴史や産業、昔の暮らしを紹介する民俗資料館である。
ほかにもゲートボール場や芝生公園、木製遊具なども設けられている。
「ふるさと館」を出れば、すぐに「天沢寺」への案内板が立つので右へ。
「歴史街道」として整備されている。
すぐに「八坂神社」。ここもくぐり式だ。
「床下」から本殿を望む。
すぐ隣に「天澤寺」。奈良時代に開かれた寺院だと伝わる。
境内の奥には「八坂神社」。神仏習合の名残だろう。「北摂里山街道」を歩いた時の「普光寺」と「素戔嗚神社」の位置関係と同じだ(「北摂里山街道をひたすら歩く」参照)。
境内の石灯籠には応永10(1403)年の銘が入っている。この辺りは「応永」という年代に栄えたのだろう。案内に従って「石灯籠」へ。案内板がよくわからなかったが、おそらくこれが兵庫県指定重要文化財の「天澤寺石灯籠」だろう。
参拝を終えさらに進む。のどかな風景だ。
「町立楊津小学校」に突き当たるので右へ。舗装されているが寂しい坂道を上っていこう。700m先のトンネルを目指して。
大きなヘアピンカーブ。
カーブしながら標高を稼ぐので、そんなに急な坂ではない。
もう一つ大きなヘアピンカーブ。
坂を登り切るとトンネルが現れる。「津坂隧道」と言うらしい。
入り口はコンクリートで固められているが、奥には何やら古い壁面が見える。
中に入って見る。舗装と照明は施されてるが車の離合は難しいだろう。
100mほどのトンネルを抜けると反対側は打って変わって古い石組みになっている。
この辺りでは「くろまんぶ」と呼ばれているらしい。
明治14年ころに作られた古いトンネルで、同じく付近にあった「杤原隧道」が赤煉瓦で造られていたことから「あかまんぶ」と呼ばれ、それに対して「津坂隧道」が「くろまんぶ」と呼ばれるようになったと言われるが諸説があるようだ。「杤原隧道」は、埋められて今はないそうだ。このまま進むと、先ほど説明した「高原ロッジメープル猪名川」に抜けるので同じ道を元に戻る。
先ほどの「町立楊津小学校」前を通り過ぎる。「ようしん」と読むらしい。まるで中国のようだな。
しばらくすると「猪名川」に突き当るので、川を渡れば右に曲がり「猪名川」に沿って歩く。
「歴史街道」の案内板を見ながら進む。
「猪名川」は、兵庫・大阪の7市1町を流れ、兵庫県尼崎市で「神崎川」に合流し、大阪湾に注ぐ。
支流を合わせると兵庫・大阪・京都の11の市町にまたがるらしい。
途中、休憩所が設けられている。
ここの案内板には、先ほどの「楊津」の説明が。ここには、かつて「楊津連(やないづむらじ)」という氏族が住んでいたことに由来するそうだ。
いい眺め。
川沿いに歩いていくと左に「長宣寺」というお寺が現れる。「歴史街道」は、お寺前の「寺前橋」を渡ってさらに進み、「間歩(まぶ)」と呼ばれる坑道の残る「多田銀銅山」へと続くのだが、以前、歩いたので今日は、左に曲がり県道に戻る(「猪名川町~日生中央駅からぐるり一周、多田銀銅山から一本松山を経て、屏風岩へ~」参照)。
すぐ県道に出るので「歴史街道」で回り道した分、ちょっと県道を北に戻る。10分ほど進むと駐在所の裏に「川辺酒造」。
猪名川の地酒「花衣」を醸す。
大きな茅葺きの屋敷が残る。
県道を元の方向(南)に戻る。途中、左に折れれば「八幡神社」。
弘化3(1846)年、「石清水八幡宮」を勧請、その後、明治元(1868)年に建立されたというから割と新しい神社だ。
県道に戻り、今日のゴール「道の駅いながわ」まで500mの標識が見えればその手前を左に。ゴールも近い。
「万善公会堂」の隣に「熊野神社」。
今日最後の神社だ。
少し歩くと目の前には今日のゴールである「道の駅」が見えるのだが「木喰仏」の案内板に従って左へ。
「天乳寺」。寛永3(1626)年に開かれた浄土宗寺院。以前、訪れた「東光寺」同様、木喰仏が安置されている。猪名川町には26体の木喰仏があるそうだ。
県道に戻り、午後3時15分、ゴールの「道の駅いながわ」に到着。
そば打ち体験もできる「そばの館」。そういえば、途中たくさんの「蕎麦畑」があったなぁ。
その他、地酒や地元の特産物などを扱う直売所がある。
隣接してベーカリーショップとうどん屋。
ここから先は、以前歩いたので道の駅前の「川床口」から阪急バスに乗る。本日の歩紀「36309歩」(31.22km)。団体さんで一杯だ。ここから能勢電鉄「日生中央駅」まで約15分(280円)。里山だけでなく多くの神仏が人々の営みを見守っているのも日本の原風景の特徴である。