令和3年 新年明けましておめでとうございます。「野里町歩紀」を訪問してくださった方、コメントを送ってくださった方。ありがとうございました。本年もよろしくお願い申し上げます。
新型コロナウィルスの第3波が押し寄せ、首都圏では「緊急事態宣言」が発令されるようです。大阪府は令和2年12月4日から15日までの知事名による「外出自粛要請」が令和3年1月11日まで延長されました。ということで12月の「歩紀」は休足。
平成21年12月1日、野里町歩紀~摂河泉をゆく~「紅葉の里山と能勢妙見」で第一歩を踏み出し丸11年が過ぎました。「10年一昔」「10年選手」という言葉があるように、それなりに一つの形を形成したと思います。「休足」を利用して、この10年を振り返り、私の「歩き方」について紹介させて頂きたいと思います。
まず、私の歩く目的は「野里町歩紀~摂河泉をゆく~」の「ご挨拶」でも述べたとおり、「健康」や「観光」「グルメ」などではなく単なる「徒歩」です。そして後から「テーマ」が引っ付いて、いろいろな所を訪れているのです。つまり「テーマ」は歩く「目的」ではなく「手段」。乱暴な言い方をすれば、歩けるのならどこでも良いのです。振り返って見ると、私が個人的に興味がある「歴史」や「日本の原風景」「古い町並み」「レトロな建物」「寺社」「城」などが多かったと思いますが、「大阪24区を歩く」や「鉄道沿線」ものなど、やはり歩くことが目的のコースもたくさんあります。
1 目的地の決定
私は、普段の生活で「ここはいいな」「これって何なのだろう」「これはすごいな」などと思うと「行ってみたいな」という感情に変わります。 そして、単にピンポイントで見学するのではなく、その周辺を「歩き回ってやろう」という気持ちになるのです。これで「目的地」が決まります。 ただ、時間的・距離的な制約から、私が住む大阪府近郊ということになります。
2 コースの選定
「目的地」が決定すれば次に地図を開き、まず「目的地」を中心にスタート・ゴールとなる公共交通機関の「駅・バス停」を探します。そして、その周辺で訪ねてみたい所をピックアップし、その「点」から「点」を概ね午前9時ころから午後4時ころまでで歩けるように結び、これで「コース」ができあがります。長年「歩紀」をしているとだいたい1日で歩ける道筋は分かります。
3 情報収集
コースが決まれば歩くための情報収集です。最近のことですので、主な方法はインターネットです。場所によっては、周辺の観光ガイドブックを購入したり、地元観光協会のパンフレットを取り寄せたりもしますが、とくに「点」だけではなく、コース途上にある道標や石仏、小さな寺社なども徹底的に調べます。
4 テーマ
情報収集が終わると、ほぼコースの「全体像」が見えてきますので、コースを一言二言で言い表すテーマを考えます。ただ、やはり「歩紀」 が目的ですので、あまりテーマにはこだわりません。
5 紀行文の作成
ほとんどの方は、歩いた後、いわゆる「取材内容」や写真を元に紀行文を書いていると思っておられるでしょう。しかし、実は出発する前に既に紀行文はできあがっているのです。
私は、小さいころから地図を見るのが好きでした。地球儀、世界地図クラスのおおざっぱなものから住宅詳細地図まで、暇さえあればずっと地図を眺めている少年でした。先日、タレントの「マツコ・デラックス」さんがある番組で「私は、昔から地図を見るのが好きでした。変な奴でしょ」と言っていましたが、その気持ち私もよく分かります。
ここからはちょっと自慢話になりますが、私は地図を見るとだいたい地形はわかります。そして地図に載っている情報だけで、おおまかな町並みや見所、そのための移動距離や見学時間なども分かります。こんなことがありました。結婚して間もないころ、妻と妻の両親を連れて2、3泊のドライブ旅行に行った際、まだ、カーナビがなかった時代に私が道にも迷わず、それぞれの観光地に時間通りに着くので義父が
「あんた、前にもここに来たことあるの?」
と尋ねました。そして私が
「いいえ、地図がありますんで」
と答えると驚いていました。ひとつの特技だと思います。
そして今では、ドライブならカーナビ、電車・バスなら駅すぱあと、そして「歩紀」ならグーグルマップやストリートビューがありますので、出発前からすでに現地を歩いているのです。そして「だいたい、ここはこんな風景だろうな」「ここで写真を撮るだろうな」ということがわかるので、撮るべきであろう写真を元にその写真の説明文やコメントを考え、先に紀行文を作ってしまうのです。「歩紀」をしていて、この時間が一番楽しい時間でもあります。
そして出発。もちろん地図やガイドブック、資料なども持って行きますが、ほぼ、この紀行文に沿って歩いているのです。写真は後付けです。
6 歩く道具
歩く道具は特にありません。「足」だけです。これまでにも述べていますが、グッズはだいたいモンベルで揃えています。
ただ、靴だけは消耗品と考えていますので、安価な靴を何足も履き潰しています。「弘法、筆を選ばず」「歩人、靴を選ばず」
7 写真撮影
歩くことが目的ですが、写真撮影も同じくらいの楽しみです。ただ、私は芸術的な写真というよりも記録としての写真撮影です。私とカメラの出合いは、一番最初は亡兄からもらったこの「コニカ」でした。
そして、どうしても一眼レフが欲しくなり、高校時代に新聞配達をして手に入れたのが、この「アサヒペンタックスKX」です。当時としては1ランク下の型落ちでしたが、結局、私の青春時代や二人の娘の成長記録は、このカメラにより刻まれました。このカメラは頑丈で今でも普通に作動します。
もちろん「歩紀」ではデジカメを使用しています。何台もカメラを取り替えましたが、今使っているのはこの「キャノン」です。
8 体力
もう60歳を過ぎましたが「歩紀」を続けるにはグッズやカメラよりも体力と健康な体です。私は「歩紀」と平素のウォーキング以外には特にトレーニングやスポーツはしていません。中学生のころから柔道を始め(一応、講道館3段です)、「脚力」よりも「腕力」の方に自信があるのかもしれません。ただ、若いころの一時期「隊」と名の付くところで過ごしましたが、そこでの訓練は非常に厳しく現在の私の「体力」「気力」の源泉は、そこにあると思っています。
9 紀行文の校正とブログの更新
こうして「歩紀」から戻るとブログの編集にかかります。ほとんど事前に作成した紀行文のとおりに進むのですが、とは言えやはり現地でしか分からないことや、思った写真が撮れなかったこと、逆に新しい発見もあります。2~3時間で紀行文を校正し、写真画像をアップロードして紀行文に貼り付けて行きます。だいたい1日の「歩紀」で紀行文はA4で9~10ページ。写真は120~150枚程度です。ただ、私のブログ機能では1日あたり100枚しか写真画像がアップロードできません。そのためいつも午後11時30分ころに100枚をアップロードし、日付が変わってから残りの2~50枚をアップロード。そしてブログを更新・投稿して「野里町歩紀」が世に出るのです。
長々とお付き合いありがとうございました。コロナが収まればまた歩きます。今後ともよろしくお願いいたします。
令和3年 1月
新型コロナウィルスの第3波が押し寄せ、首都圏では「緊急事態宣言」が発令されるようです。大阪府は令和2年12月4日から15日までの知事名による「外出自粛要請」が令和3年1月11日まで延長されました。ということで12月の「歩紀」は休足。
平成21年12月1日、野里町歩紀~摂河泉をゆく~「紅葉の里山と能勢妙見」で第一歩を踏み出し丸11年が過ぎました。「10年一昔」「10年選手」という言葉があるように、それなりに一つの形を形成したと思います。「休足」を利用して、この10年を振り返り、私の「歩き方」について紹介させて頂きたいと思います。
まず、私の歩く目的は「野里町歩紀~摂河泉をゆく~」の「ご挨拶」でも述べたとおり、「健康」や「観光」「グルメ」などではなく単なる「徒歩」です。そして後から「テーマ」が引っ付いて、いろいろな所を訪れているのです。つまり「テーマ」は歩く「目的」ではなく「手段」。乱暴な言い方をすれば、歩けるのならどこでも良いのです。振り返って見ると、私が個人的に興味がある「歴史」や「日本の原風景」「古い町並み」「レトロな建物」「寺社」「城」などが多かったと思いますが、「大阪24区を歩く」や「鉄道沿線」ものなど、やはり歩くことが目的のコースもたくさんあります。
1 目的地の決定
私は、普段の生活で「ここはいいな」「これって何なのだろう」「これはすごいな」などと思うと「行ってみたいな」という感情に変わります。 そして、単にピンポイントで見学するのではなく、その周辺を「歩き回ってやろう」という気持ちになるのです。これで「目的地」が決まります。 ただ、時間的・距離的な制約から、私が住む大阪府近郊ということになります。
2 コースの選定
「目的地」が決定すれば次に地図を開き、まず「目的地」を中心にスタート・ゴールとなる公共交通機関の「駅・バス停」を探します。そして、その周辺で訪ねてみたい所をピックアップし、その「点」から「点」を概ね午前9時ころから午後4時ころまでで歩けるように結び、これで「コース」ができあがります。長年「歩紀」をしているとだいたい1日で歩ける道筋は分かります。
3 情報収集
コースが決まれば歩くための情報収集です。最近のことですので、主な方法はインターネットです。場所によっては、周辺の観光ガイドブックを購入したり、地元観光協会のパンフレットを取り寄せたりもしますが、とくに「点」だけではなく、コース途上にある道標や石仏、小さな寺社なども徹底的に調べます。
4 テーマ
情報収集が終わると、ほぼコースの「全体像」が見えてきますので、コースを一言二言で言い表すテーマを考えます。ただ、やはり「歩紀」 が目的ですので、あまりテーマにはこだわりません。
5 紀行文の作成
ほとんどの方は、歩いた後、いわゆる「取材内容」や写真を元に紀行文を書いていると思っておられるでしょう。しかし、実は出発する前に既に紀行文はできあがっているのです。
私は、小さいころから地図を見るのが好きでした。地球儀、世界地図クラスのおおざっぱなものから住宅詳細地図まで、暇さえあればずっと地図を眺めている少年でした。先日、タレントの「マツコ・デラックス」さんがある番組で「私は、昔から地図を見るのが好きでした。変な奴でしょ」と言っていましたが、その気持ち私もよく分かります。
ここからはちょっと自慢話になりますが、私は地図を見るとだいたい地形はわかります。そして地図に載っている情報だけで、おおまかな町並みや見所、そのための移動距離や見学時間なども分かります。こんなことがありました。結婚して間もないころ、妻と妻の両親を連れて2、3泊のドライブ旅行に行った際、まだ、カーナビがなかった時代に私が道にも迷わず、それぞれの観光地に時間通りに着くので義父が
「あんた、前にもここに来たことあるの?」
と尋ねました。そして私が
「いいえ、地図がありますんで」
と答えると驚いていました。ひとつの特技だと思います。
そして今では、ドライブならカーナビ、電車・バスなら駅すぱあと、そして「歩紀」ならグーグルマップやストリートビューがありますので、出発前からすでに現地を歩いているのです。そして「だいたい、ここはこんな風景だろうな」「ここで写真を撮るだろうな」ということがわかるので、撮るべきであろう写真を元にその写真の説明文やコメントを考え、先に紀行文を作ってしまうのです。「歩紀」をしていて、この時間が一番楽しい時間でもあります。
そして出発。もちろん地図やガイドブック、資料なども持って行きますが、ほぼ、この紀行文に沿って歩いているのです。写真は後付けです。
6 歩く道具
歩く道具は特にありません。「足」だけです。これまでにも述べていますが、グッズはだいたいモンベルで揃えています。
ただ、靴だけは消耗品と考えていますので、安価な靴を何足も履き潰しています。「弘法、筆を選ばず」「歩人、靴を選ばず」
7 写真撮影
歩くことが目的ですが、写真撮影も同じくらいの楽しみです。ただ、私は芸術的な写真というよりも記録としての写真撮影です。私とカメラの出合いは、一番最初は亡兄からもらったこの「コニカ」でした。
そして、どうしても一眼レフが欲しくなり、高校時代に新聞配達をして手に入れたのが、この「アサヒペンタックスKX」です。当時としては1ランク下の型落ちでしたが、結局、私の青春時代や二人の娘の成長記録は、このカメラにより刻まれました。このカメラは頑丈で今でも普通に作動します。
もちろん「歩紀」ではデジカメを使用しています。何台もカメラを取り替えましたが、今使っているのはこの「キャノン」です。
8 体力
もう60歳を過ぎましたが「歩紀」を続けるにはグッズやカメラよりも体力と健康な体です。私は「歩紀」と平素のウォーキング以外には特にトレーニングやスポーツはしていません。中学生のころから柔道を始め(一応、講道館3段です)、「脚力」よりも「腕力」の方に自信があるのかもしれません。ただ、若いころの一時期「隊」と名の付くところで過ごしましたが、そこでの訓練は非常に厳しく現在の私の「体力」「気力」の源泉は、そこにあると思っています。
9 紀行文の校正とブログの更新
こうして「歩紀」から戻るとブログの編集にかかります。ほとんど事前に作成した紀行文のとおりに進むのですが、とは言えやはり現地でしか分からないことや、思った写真が撮れなかったこと、逆に新しい発見もあります。2~3時間で紀行文を校正し、写真画像をアップロードして紀行文に貼り付けて行きます。だいたい1日の「歩紀」で紀行文はA4で9~10ページ。写真は120~150枚程度です。ただ、私のブログ機能では1日あたり100枚しか写真画像がアップロードできません。そのためいつも午後11時30分ころに100枚をアップロードし、日付が変わってから残りの2~50枚をアップロード。そしてブログを更新・投稿して「野里町歩紀」が世に出るのです。
長々とお付き合いありがとうございました。コロナが収まればまた歩きます。今後ともよろしくお願いいたします。
令和3年 1月