「摂津國八十八所霊場」とは、「お大師様(弘法大師:空海)」の御跡である四国八十八所霊場を擬して、江戸時代中期に「月海上人」により開かれたとされる旧摂津國(大阪府北中部・兵庫県南西部)にある八十八の霊場。明治以後、廃仏毀釈の影響や戦災により多くの寺院が荒廃したため一時期廃れていたが、現在の第14番札所「六大院」の前住職・小原孝澄大僧正の尽力により、昭和55年、霊場再興が成し遂げられた。
「写し霊場」であるため作法どおり参拝・納札・読経をすれば「四国八十八所巡り」と同じご利益があるといわれる。
「台風の当たり年」と言われた平成30(2018)年。大阪府を襲った台風21号(関空連絡橋にタンカーが衝突したあの台風です)で実家の壁が崩れ、結局取り壊すことになった。その過程で亡父の遺品整理をしていたところ「西国三十三所」の御朱印が押された掛け軸や神社の御朱印帳などが出てきた。退職後、亡父はこんなことをしていたんだな。そしてその中のひとつに「摂津國八十八ヶ所御納経帳」。中を見ると「昭和」の年号が付された古いものであり、昭和59年5月23日に大阪府茨木市の「総持寺」にお参りしたときの御朱印が1つあるだけで後は白紙だった。この時、私が定年退職すれば亡父の遺を継いで残りの八十七所を巡ろうと決めた。
順不同であるが他の「歩紀」の合間を縫って歩き、そのたびにブログを更新していく。
最寄りまでは公共交通機関を利用するため駅前もあるが結構歩くところもある。また、他の「歩紀」で立ち寄ったお寺もあればかつての「歩紀」で立ち寄ったことがあるものの「御朱印」がないため再訪したお寺もたくさんある。
さあ何年かかるかわからないが「結願」目指して歩くぞ。「同行二人」「南無大師遍照金剛」
第四十七番札所「補陀洛山 総持寺」
訪問日:昭和59年5月23日(水)
住 所:大阪府茨木市総持寺1-6-1
宗 派:高野山真言宗
御本尊:千手観世音菩薩
御真言:おん ばざら たらま きりく そわか
由緒等:元慶3(879)年、藤原山蔭開基。藤原山蔭は包丁道の祖と言われ、毎年4月18日「山蔭流包丁式」が行われる。
第五十七番札所「鉢多羅山 若王寺釈迦院」
訪問日:令和3年11月20日(土)
住 所:大阪府池田市鉢塚3-4-6
宗 派:高野山真言宗
御本尊:釈迦如来
御真言:のうまく さんまんだ ぼだなん ばく
由緒等:第58番札所「一乗院」とともに若王寺の塔頭として開山。尊鉢厄神とも呼ばれ毎年1月18、19日、修験行者により護摩焚が行われ多くの人が訪れる。
第五十八番札所「多羅山 若王寺一乗院」
訪問日:令和3年11月20日(土)
住 所:大阪府池田市鉢塚2-7-26
宗 派:高野山真言宗
御本尊:聖観世音菩薩
御真言:おん あろりきゃ そわか
由緒等:神亀元(724)年、若王寺の塔頭として行基が開山したと伝わる。天正元(1573)年、織田信長の兵火により焼失。寛永15(1638)年再興される。
第七十三番札所「武庫山 平林寺」
訪問日:令和3年9月23日(木・祝)
住 所:兵庫県宝塚市社町4-7
宗 派:真言宗
御本尊:釈迦如来
御真言:のうまく さんまんだ ぼだなん ばく
由緒等:飛鳥時代、聖徳太子創建と伝わるが天正6(1578)年戦乱で焼失。江戸時代に再興された。御朱印は門前の塔頭(たっちゅう)四院のいずれかで授かる。
第七十四番札所「大雲山 金龍寺」
訪問日:令和3年9月23日(木・祝)
住 所:兵庫県宝塚市鹿塩1-4-44
宗 派:真言三宝宗
御本尊:聖観世音菩薩
御真言:おん あろりきゃ そわか
由緒等:聖徳太子により建立されたと伝わるが天正10(1582)年、荒木村重の乱により焼失。元禄年間(1688~1704)、泉州堺より移築寄進された。
第七十五番札所「甲山 神呪寺」
訪問日:令和5年5月21日(日)
住 所:兵庫県西宮市甲山町25-1
宗 派:真言宗御室派
御本尊:如意輪融通観世音菩薩
御真言:おん あらたんのう まにばさら たらく
由緒等:天長8(835)年、弘法大師を導師に迎えて本堂が落慶したと伝わる。戦国時代の兵火に遭い本堂は江戸時代に再建。融通さん、甲山大師とも呼ばれ、商売繁盛・厄除けなどで信仰を集める。
第七十六番札所「松泰山 東光寺」
訪問日:令和3年9月23日(木・祝)
住 所:兵庫県西宮市門戸西町2-26
宗 派:高野山真言宗
御本尊:薬師瑠璃光如来
御真言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
由緒等:天長6(829)年、弘法大師・空海により開基。「門戸厄神」「やくじんさん」として多くの信仰を集める。
第七十七番札所「慈眼山 法心寺」
訪問日:令和3年9月23日(木・祝)
住 所:兵庫県西宮市高木西町3-16
宗 派:高野山真言宗
御本尊:十一面観世音菩薩
御真言:おん まか きゃろにきゃ そわか
由緒等:寛文元(1661)年建立。平成7年1月の阪神大震災で全壊したが平成15年再建される。
第七十八番札所「體性山 大日寺」
訪問日:令和3年9月23日(木・祝)
住 所:兵庫県西宮市高木東町1-21
宗 派:高野山真言宗
御本尊:大日如来
御真言:おん あびらうけん ばざら だどばん
由緒等:慶安元(1648)年中興。その後火災で焼失、再興するも阪神大震災で全壊。年月をかけ復興する。
第八十番札所「摩耶山 ?利天上寺」
訪問日:令和5年1月8日(日)
住 所:神戸市灘区摩耶山町2-12
宗 派:摩耶山真言宗
御本尊:十一面観世音菩薩
御真言:おん まか きゃろにか そわか
由緒等:大化2(646)年、インドの高僧法道仙人により開基されたと伝わる。元々摩耶山の南中腹にあったが昭和51年、火災により焼失。この地に再建された。六甲全山縦走路沿いにある。
第八十一番札所「遍照山 聖徳院」
訪問日:令和4年6月12日(日)
住 所:神戸市中央区宮本通6-7-15
宗 派:高野山真言宗
御本尊:弘法大師
御宝号:南無大師遍照金剛
由緒等:かつて大和の国あった廃寺のお大師様が巡り巡って当地に祀られるようになったそうだが由緒の詳細は不明。中興、戦災、震災を経て現在に至る。
第八十二番札所「再度山 大龍寺」
訪問日:令和4年10月21日(金)
住 所:神戸市中央区神戸港地方字再度山1-3
宗 派:東寺真言宗
御本尊:聖如意輪観世音菩薩
御真言:おん はんどま しんだまに じんばら うん
由緒等:神護景雲2(768)年、再度山南麓に和気清麻呂によって開かれたと伝わる。六甲全山縦走路沿いにある。
第八十六番札所「毘沙門山 妙法寺」
訪問日:令和4年9月25日(日)
住 所:神戸市須磨区妙法寺町毘沙門山1286
宗 派:高野山真言宗
御本尊:毘沙門天
御真言:おん べいしらまんだや そわか
由緒等:天平10(738)年行基の開基と伝わる古刹。六甲全山縦走路沿いにある。
第八十七番札所「桂尾山 勝福寺」
訪問日:令和4年4月27日(水)
住 所:神戸市須磨区大手町9-1-1
宗 派:高野山真言宗
御本尊:聖観世音菩薩
御真言:おん あろりきゃ そわか
由緒等:永延2(988)年開基。度々の山津波、兵火等を経て、さらに昭和13年の阪神大水害で本堂等が倒壊。平成の時代に入って再建された。
第八十八番札所「上野山 須磨寺」
訪問日:令和4年4月27日(水)
住 所:神戸市須磨区須磨寺町4-6-8
宗 派:真言宗須磨寺派
御本尊:聖観世音菩薩
御真言:おん あろりきゃ そわか
由緒等:仁和2(886)年開創。正式名は福祥寺。源頼政や豊臣秀頼による中興も行われたが、幕末には本堂、大師堂、仁王門を残して荒廃。明治中期に復興、往時の姿をほぼ取り戻した。
あと73札所
「写し霊場」であるため作法どおり参拝・納札・読経をすれば「四国八十八所巡り」と同じご利益があるといわれる。
「台風の当たり年」と言われた平成30(2018)年。大阪府を襲った台風21号(関空連絡橋にタンカーが衝突したあの台風です)で実家の壁が崩れ、結局取り壊すことになった。その過程で亡父の遺品整理をしていたところ「西国三十三所」の御朱印が押された掛け軸や神社の御朱印帳などが出てきた。退職後、亡父はこんなことをしていたんだな。そしてその中のひとつに「摂津國八十八ヶ所御納経帳」。中を見ると「昭和」の年号が付された古いものであり、昭和59年5月23日に大阪府茨木市の「総持寺」にお参りしたときの御朱印が1つあるだけで後は白紙だった。この時、私が定年退職すれば亡父の遺を継いで残りの八十七所を巡ろうと決めた。
順不同であるが他の「歩紀」の合間を縫って歩き、そのたびにブログを更新していく。
最寄りまでは公共交通機関を利用するため駅前もあるが結構歩くところもある。また、他の「歩紀」で立ち寄ったお寺もあればかつての「歩紀」で立ち寄ったことがあるものの「御朱印」がないため再訪したお寺もたくさんある。
さあ何年かかるかわからないが「結願」目指して歩くぞ。「同行二人」「南無大師遍照金剛」
第四十七番札所「補陀洛山 総持寺」
訪問日:昭和59年5月23日(水)
住 所:大阪府茨木市総持寺1-6-1
宗 派:高野山真言宗
御本尊:千手観世音菩薩
御真言:おん ばざら たらま きりく そわか
由緒等:元慶3(879)年、藤原山蔭開基。藤原山蔭は包丁道の祖と言われ、毎年4月18日「山蔭流包丁式」が行われる。
第五十七番札所「鉢多羅山 若王寺釈迦院」
訪問日:令和3年11月20日(土)
住 所:大阪府池田市鉢塚3-4-6
宗 派:高野山真言宗
御本尊:釈迦如来
御真言:のうまく さんまんだ ぼだなん ばく
由緒等:第58番札所「一乗院」とともに若王寺の塔頭として開山。尊鉢厄神とも呼ばれ毎年1月18、19日、修験行者により護摩焚が行われ多くの人が訪れる。
第五十八番札所「多羅山 若王寺一乗院」
訪問日:令和3年11月20日(土)
住 所:大阪府池田市鉢塚2-7-26
宗 派:高野山真言宗
御本尊:聖観世音菩薩
御真言:おん あろりきゃ そわか
由緒等:神亀元(724)年、若王寺の塔頭として行基が開山したと伝わる。天正元(1573)年、織田信長の兵火により焼失。寛永15(1638)年再興される。
第七十三番札所「武庫山 平林寺」
訪問日:令和3年9月23日(木・祝)
住 所:兵庫県宝塚市社町4-7
宗 派:真言宗
御本尊:釈迦如来
御真言:のうまく さんまんだ ぼだなん ばく
由緒等:飛鳥時代、聖徳太子創建と伝わるが天正6(1578)年戦乱で焼失。江戸時代に再興された。御朱印は門前の塔頭(たっちゅう)四院のいずれかで授かる。
第七十四番札所「大雲山 金龍寺」
訪問日:令和3年9月23日(木・祝)
住 所:兵庫県宝塚市鹿塩1-4-44
宗 派:真言三宝宗
御本尊:聖観世音菩薩
御真言:おん あろりきゃ そわか
由緒等:聖徳太子により建立されたと伝わるが天正10(1582)年、荒木村重の乱により焼失。元禄年間(1688~1704)、泉州堺より移築寄進された。
第七十五番札所「甲山 神呪寺」
訪問日:令和5年5月21日(日)
住 所:兵庫県西宮市甲山町25-1
宗 派:真言宗御室派
御本尊:如意輪融通観世音菩薩
御真言:おん あらたんのう まにばさら たらく
由緒等:天長8(835)年、弘法大師を導師に迎えて本堂が落慶したと伝わる。戦国時代の兵火に遭い本堂は江戸時代に再建。融通さん、甲山大師とも呼ばれ、商売繁盛・厄除けなどで信仰を集める。
第七十六番札所「松泰山 東光寺」
訪問日:令和3年9月23日(木・祝)
住 所:兵庫県西宮市門戸西町2-26
宗 派:高野山真言宗
御本尊:薬師瑠璃光如来
御真言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
由緒等:天長6(829)年、弘法大師・空海により開基。「門戸厄神」「やくじんさん」として多くの信仰を集める。
第七十七番札所「慈眼山 法心寺」
訪問日:令和3年9月23日(木・祝)
住 所:兵庫県西宮市高木西町3-16
宗 派:高野山真言宗
御本尊:十一面観世音菩薩
御真言:おん まか きゃろにきゃ そわか
由緒等:寛文元(1661)年建立。平成7年1月の阪神大震災で全壊したが平成15年再建される。
第七十八番札所「體性山 大日寺」
訪問日:令和3年9月23日(木・祝)
住 所:兵庫県西宮市高木東町1-21
宗 派:高野山真言宗
御本尊:大日如来
御真言:おん あびらうけん ばざら だどばん
由緒等:慶安元(1648)年中興。その後火災で焼失、再興するも阪神大震災で全壊。年月をかけ復興する。
第八十番札所「摩耶山 ?利天上寺」
訪問日:令和5年1月8日(日)
住 所:神戸市灘区摩耶山町2-12
宗 派:摩耶山真言宗
御本尊:十一面観世音菩薩
御真言:おん まか きゃろにか そわか
由緒等:大化2(646)年、インドの高僧法道仙人により開基されたと伝わる。元々摩耶山の南中腹にあったが昭和51年、火災により焼失。この地に再建された。六甲全山縦走路沿いにある。
第八十一番札所「遍照山 聖徳院」
訪問日:令和4年6月12日(日)
住 所:神戸市中央区宮本通6-7-15
宗 派:高野山真言宗
御本尊:弘法大師
御宝号:南無大師遍照金剛
由緒等:かつて大和の国あった廃寺のお大師様が巡り巡って当地に祀られるようになったそうだが由緒の詳細は不明。中興、戦災、震災を経て現在に至る。
第八十二番札所「再度山 大龍寺」
訪問日:令和4年10月21日(金)
住 所:神戸市中央区神戸港地方字再度山1-3
宗 派:東寺真言宗
御本尊:聖如意輪観世音菩薩
御真言:おん はんどま しんだまに じんばら うん
由緒等:神護景雲2(768)年、再度山南麓に和気清麻呂によって開かれたと伝わる。六甲全山縦走路沿いにある。
第八十六番札所「毘沙門山 妙法寺」
訪問日:令和4年9月25日(日)
住 所:神戸市須磨区妙法寺町毘沙門山1286
宗 派:高野山真言宗
御本尊:毘沙門天
御真言:おん べいしらまんだや そわか
由緒等:天平10(738)年行基の開基と伝わる古刹。六甲全山縦走路沿いにある。
第八十七番札所「桂尾山 勝福寺」
訪問日:令和4年4月27日(水)
住 所:神戸市須磨区大手町9-1-1
宗 派:高野山真言宗
御本尊:聖観世音菩薩
御真言:おん あろりきゃ そわか
由緒等:永延2(988)年開基。度々の山津波、兵火等を経て、さらに昭和13年の阪神大水害で本堂等が倒壊。平成の時代に入って再建された。
第八十八番札所「上野山 須磨寺」
訪問日:令和4年4月27日(水)
住 所:神戸市須磨区須磨寺町4-6-8
宗 派:真言宗須磨寺派
御本尊:聖観世音菩薩
御真言:おん あろりきゃ そわか
由緒等:仁和2(886)年開創。正式名は福祥寺。源頼政や豊臣秀頼による中興も行われたが、幕末には本堂、大師堂、仁王門を残して荒廃。明治中期に復興、往時の姿をほぼ取り戻した。
あと73札所