星くず日記

お気に入りの音楽のことや日々チョットしたことをまったーりと綴っていきます

いのちのうた~馬場俊英

2011-09-01 17:14:38 | 馬場俊英

8月14日に放送されたNHKの「いのちのうた2011」

 

「いのちのうた2011」は、NHK広島放送局による、命に寄り添い、平和へのメッセージを発信していく広島発のコンサート。

 

昨年は「いつの時代にも、歌が傷ついた人の心を癒してきた」と「癒し」がテーマでした。

今年は、3月に大きな震災が起こったということがあり、「復興を遂げ、平和を願い続けた命の絆」「生きる力となる歌」がテーマ

 

コンサートに出演されていた方々は、家族や故郷を思う気持ち、人と人とのつながりを通してなど、強く「命」と「生きる」をメッセージしてくださいました。

 

さて、私の大好き馬場俊英さんは、広島カープの前田投手の命の歌、原動力、スタートラインを歌っている馬場俊英さん」と紹介されていました。

 

前田選手は2年前に登板7連敗して自信を失っていたときに、「チャンスは何度でも」というこの歌に力をもらい、いまは登板前に必ず聞いているそうです。

「大切なことはいつも、誰も教えてくれない」というフレーズが好きで、自分を信じてやるしかないって思うそうです。

 

馬場さん:なかなか音楽活動がうまくできなかった時に「もう駄目だ これ以上前に進めない」という言葉が出てきて、そこから書いてきた歌です。

 ほとんどの人はそれぞれに悩みがあって、毎日頑張って暮らしていると思う。

 そんな時に、暗闇に包まれて希望が見えない時、それでもそこから1歩2歩と進みだしてみる。

 もしかしたら。そこから小さな光・小さな希望が見えてくるかもしれないよねって歌にしました。

 

震災の後、沢山の人が被災地の人へむけて、この歌でエールを送りたいとリクエストをしていました

でも、私は何か、喉に小さな骨が引っかかったみたいな感じで、この歌でエールをおくることはできませんでした

 

だってね、「その気になりゃ 何度でもやり直せる 何度でも」 「チャンスは何度でも 君のそばに」

被災地の人に、何度でもやり直せばいいんだよなんてね、とってもじゃないけど声かけられませんよ。

こんな悲惨なことは1度きりで充分、絶望のどん底の人に向かって「チャンスは何度でも」なんて白々しくって。。。

 

でも、その後、何度かこの歌を聞く機会があって、そういうフレーズの細かい一言一言じゃないんだって気がついたんですけどね

 

何度もこの歌については、馬場さんがお話をしてくれてるのに、ボンヤリの私は全然その気持ちを受け止めていなくってゴメンチャイです

 

今回は、馬場さんのお話の中の暗闇に包まれて希望が見えない時、それでもそこから1歩2歩と進みだしてみる。  もしかしたら。そこから小さな光・小さな希望が見えてくるかもしれないよね って言葉に強く胸を打たれました

 

暗闇に包まれた時、絶望の時、私なら一筋の希望の光を探して、その光を頼って前に進もうとします。

でも、この歌は、小さな光を探してその光に向かって進むののではなく、真っ暗闇の中で、どこへ進んでいいのかわからない状態の中で、取りあえず1歩足を出してみる。2歩進んでみる。

そうすることで、小さな光が見える、みつかるかもしれない、そんな歌だったんだって改めて気づきました。

 

光が見えてから動くタイプの私にとって、見えないけど取りあえず我武者羅に動いてみるというのは、発想の転換です

言葉でいうのは簡単ですが、いざとなるとなかなか。でも何かに煮詰まって身動きが取れなくなったら、この日の馬場さんの言葉を思い出そうと思って、覚書のつもりで、こうしてブログに書いておこうと思いました。

チャンスというと好機とか好運、勝機ってイメージがありますが、誰かとつながる機会とか時期とか、そう希望って言葉に変えてもいいかな。

言葉の持つチカラは大きくて、ときにそのチカラにとらわれ過ぎてしまうことがあります。

私は、ちょっと囚われすぎちゃったな~って反省しながら、歌を聞いていました。

 

2曲目に歌われたのが、右と左の補助輪

 

馬場さん:ここにいる誰もがかつて命を授かって、この世に登場してきて、そこから現在に至るまで誰もが赤ちゃんだった。私は赤ちゃんをやらなかったという人はいない。

 そう考えると、ここに至るまでの過ぎた日々の中では、沢山の手間暇や愛情を貰って過ごしてきたわけで、ときには補助輪のように支えてくれた誰かがいてくれたはずだ。

 そんな風景を歌にしました。

 

この歌は春にリリースされたアルバム「HEARTBEAT RUSH」に収録されています。

ちょっと、親心をズッキュンドッキュンくすぐられる歌です

 

 たぶん一人じゃ見れなかった景色を 君が見せてくれた~とか、

 何もなかった頃、何度も君の笑顔に励まされたよ~みたいな、

 逢えなくても、想う気持ちに終わりはないよ~ってね。

 

私は自転車に乗れない人だったの。

だから、どうしても息子たちには、どうしても自転車に乗れるようになってほしくってね、補助輪を外すときは猛特訓をしたの。

補助輪が取れたのは、とっても嬉しかったのと同時に、親としての役目を一つ果たしたみたいなホッとした気持ちもあったな~

 

札幌にいた時は、自転車に乗れなくても全然不便を感じなかったのに、大阪へ引っ越した時に、自転車に乗れないって云ったら、PTAの人から超怒られてね

それでね、二男のまだ補助輪付の自転車から練習を始めたの。旦那も練習に付き合ってくれたけど、息子たちも、後ろをつかんで走ってくれたりと、補助輪を外す時はとっても手伝ってくれてね

それこそ何度も転んで、怪我して痛くて泣いてね、もう嫌だ、やめるって言っては、子供に励まされてね。

そんな風に、子どもと親の立場が大逆転したこともありました。

 

いまもね、シッカリ者の息子さんたちと、危うい母ちゃんで、アベコベ状態ですけどね、それでも息子たちに何かが起こったら、母ちゃんいつでも君たちのもとに参上して、君の光になりたーい

 

えっ、邪魔だって、そんなこと云わずに、君の光になりたーい

 

ちなみにsUnさんは、光になってます。燦然と輝く光です。それも永久自家発電、完全なるエコです。え~、頭がねピカーッ

 

スタートライン~新しい風.mpg

 

 

 

 


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2 コメント

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見損ねた~ (スーコ)
2011-09-01 18:27:39
そうですか。
「いのちのうた2011」ってNHK広島発でしたか。
畑はちがうけど、主人の居る所です。

親心をズッキュンドッキュンくすぐられる歌
補助輪はずしにことさら思い出があるsnowさんだから余計感じたんでしょうね。
でも、
「たぶん一人じゃ見れなかった景色を 君が見せてくれた」
なんてところは、私も常日頃感じています。授かれて良かったって。
「逢えなくても、想う気持ちに終わりはないよ」
なんてところは、就職や結婚で家を出て行ったら感じるところでしょう。あと何年先かな?

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スーコさんへ (snow)
2011-09-04 11:32:44
「たぶん一人じゃ見れなかった景色を 君が見せてくれた」って歌詞は、つくづくそう思います。
子育て真っ最中の時は、できるだけ広い世界を子どもたちに見せてあげたいと思っていたのですが、広い世界を見せてくれていたのは子供たちのほうでした。

うちは男の子だったから、スポーツや恐竜、アウトドアに乗り物、本当、私の知らない世界へ沢山入門しましたよ。

「いのちのうた2011」のコンサートは、他の方々の歌も素晴らしかったです。
クミコさんの歌う、♪つながる~つながる~って歌が特に感動的でしたよ
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