超カッケーー帰り道 の演奏が終わって。。。
パーカッションで加わった高杉さんの紹介がありました
高杉さんとは、出会って28年だそうです。
長い間に、ロマンスグレーになる人もいるし・・・色々な人がいる。とその後、無言になる坪さん。
会場からはクスクスと笑い声が。
その空気を感じ取った河合さんが、帽子を取って
いつもお洒落な帽子をかぶって、とってもダンディーな河合さんです。
ところが、いつの間にか帽子の下の御髪は姿を消して、ピッカピカーのマルコメちゃんスタイルへ変化していました
もちろん、会場は大爆笑
坪さんは、よく女性の年月による変化を笑いますが、男性だってね
坪さんだって、$%&#*@ ここでは言いませんけどね
元々イケメン揃いだった「ふきのとう」のサポートメンバーさんたち
オジサンになっても、超カッケーーです
高杉さんと河合さんは、その中でもカッケーー2トップだと思いますが、いかがですか?
ここで、少し思い出話コーナーへ
ちなみに、みんなの並び方は、横並びに1列というか、まるで学園祭のような感じです。
「ふきのとう」時代に、札幌でレコーディングした時の話(アルバム『011』や『北極星』の頃のことかしら?)
坪さん:当時、俺は札幌に住んでいて、みんなは札幌の(ススキノ)ホテルに1か月くらい泊まってね。冷蔵庫とか整理ダンスを札幌で買って、部屋に持ち込んでね。
ツルさん:その時の整理ダンスは、持って帰って、しばらく使っていたよ
坪さん:懐かしいね。夏と冬にやったんだよ。そうそう、ツルは昔、記憶力が凄かったんだ
と、ツルさん伝説へ
松本へ行っていた坪さん。「そうだ、あのお店はどこだったっけかな~?ツルに聞いてみよう~~っと」
「あ、もしもし、ツル!あのさー、いま、松本にいるんだけどさー、〇〇ってどの辺だったけ?」
「松本のどの辺ですか?」「駅前」「それだったら、前の道をずーっと行って、右へ曲がってその次を左・・・」
本当かどうかはわからないけど、一つだまされたと思って言われたとおりに行ってみたら本当にあったんだからそれもね、ツルは1回しか行ったことがない所なのに
それなのに、それなのに。。。
最近のツルさんときたら、リハーサルで相談をして、じゃあこうしようって決めたことなのに、決めた事どころか相談したことからスッパリと忘れているらしいんです
ツルさん、大丈夫かしら
忘れるといえば、河合さんが凄いらしいですよ
なんと飲み会に久保田さんを呼び出しておきながら、「久保田、昨日いたっけ?」って言われるとか。。。
呼び出して、1時間半も喋っていたのに。。。と久保田さん。
けっして、久保田さんの影が薄いとかじゃなくって、お酒が入るとけっこう明るくなる久保田さんらしいです
そうそう、「もう1軒」も久保田さんの一声が多かったような気もしますね
最近は、「もう1軒」も少し控え目になった久保田さんらしいですよ
ちなみに、河合さんはおしゃべりの最中に眠ってしまうのが得意らしくって
眠り込むんじゃなくって、瞬間寝るって感じで、相槌の間に起きて、また途中寝てるらしいですよ
坪さんは、朝起きたら、よく両肘の皮が剥けてるそうです
なんかね、話が盛り上がってくると、身を乗り出しているみたいで。。。
両肘の皮が剥けるってどんだけーーーって思いますが、一度でいいから皮が剥けるほど迫られてみたい
一度でいいです。二度は・・・勘弁 だって、寝かせてくれないかんじですもの
次の曲は、3曲を三つ編みにした思い出風来法師
3曲メドレーではなく、一気に歌います
久保田(マンドリン)+高杉(コンガ)チーム・・・風来坊
ツル(アコーディオン)+河合(ベース)チーム・・・思い出通り雨
細坪(ギター)・・・影法師
坪さん:高杉は、歌ったの初めて?
高杉さん:いや違う 日比谷(野音)でも歌ってるし。。。
坪さん、やっちまいましたね
すっかりお馴染みになった三つ編み曲ですが、私は毎回ゴチャゴチャになってしまいます
完璧に一緒にお歌いになってらっしゃる方々も多くて、驚きます
北海道でのレコーディング時は、札幌のから通われていた坪さん
当時、札幌に住んでいた私は、秘かに坪さんのご近所さんになりたいと、回覧板を持って行きたいと思っていました
ところが噂で聞いた坪さんのは、札幌の閑静な高級住宅街にあって、とってもじゃない貧乏人の私が紛れ込めそうもない所でガッカリしたことを覚えています
坪さん:北海道には、マネージャーさんとか大家さんとか両親もいたんだけど、みんな天国へ行っちゃいました。若い頃は、永遠に続いているように思えたけど、永遠じゃなくって、閉じるんだよね。ゆっくりと、みんな天国へ行きます
俺は、長生きをして、みんなを見送ってから逝くから
財産がある人は、遺言書に「細坪へ」って書いてくれたら、俺150位まで生きられるかも
本当に100才は楽勝で超えそうな坪さんです。150才も満更、夢じゃないってゆうか、世界最高齢者になれるかもよ
STVの竹田さんさんっていてね、ふきのとうのデビューの時にバックアップしてくれた人なんだけど、竹田さんも、もう天国へ行っちゃったんだけど
その竹田さんとプロダクションの人とが、実家に挨拶に来てくれたんだ。(いいって言うのに行く行くって。。。)
挨拶を受けた坪さんのお父さんが、「基佳、おまえ東京へ行くのか いっつも部屋で色々な歌を歌っていたけど、オマエは1曲を最後まで歌ったことがないじゃないか・・・」
親父は心配してくれたんだと思うけど、「おやじ、俺40年やってるよ」
そんなお父様とお母様の若かりし日を想像してのセピア色のOld Time Song
ギター&ベース&パーカッション&キーボード そしてピアノが加わりました
葉っぱの形のレリーフがオレンジ色の照明に染まって、とっても綺麗でした
久保田さんのギターが郷愁というか、とっても切なく、そして河合さんのべーすが、優しく包容力に満ち溢れた音で、思わずホロリ
実は、河合さんのベースなんですが、パッと見た目は、フォークギターか大き目のアコースティックギターに似ているんです
でも、音はしっかりとベースで
アコースティックな場面でのベースは、Wベース(大きくて立って演奏するやつ)のことがありますが、この時のは、普通にギターの様に座って演奏していました
Wベースよりも繊細で優しい音色で、坪さんの歌声にピッタリ合っていて、私はとっても心地よかったです
お友達に調べて貰いましたら、「エレクトリック アコースティック ベース ギター」略してエレアコ
どこが、エレクトリックなんやねんって突っ込みたくなるくらい、とってもアコースティックな音色でしたよ
この歌の歌詞の中に、「日傘をさした若い母」とあるのですが、北海道では日傘を差している人をほとんどみかけなかったので、ちょっと不思議な感じがありました
私も父と母の若かりし頃の写真を見て、ドキッとしたことがあります
ウチの息子たちはどうかな~ ドキッよりゲェ 遠い昔の二人の思い出は、キショイ勘弁してくれよ~って言われるのがオチのような気がします
続いての曲は、人生のかほり
ピアノ、バイオリン、ギター、ベース、パーカッションで始まって、途中からサックスが加わりました
もう何度も聞いたこの曲ですが、+サックスのアレンジは、初めて聞きました
なんちゅうか、思い出が鮮烈になるというか、一人でシミジミ思い出している歌から、沢山の思い出が走馬灯のように駆け巡る・・・みたいな感じがしました
コーラスがいつもより厚くて、サックスとの絡み合いが、とっても素敵に聞こえました
ピアノは、宮原慶太さん サックスは藤田明夫さん お二人は、坪さんがソロになってからのお仲間だそうです
藤田さんは札幌の出身で、アマチュア時代のふきのとうと同じ時代に、札幌のライブハウスでブイブイ演奏していたらしいですよ
坪さん:ねえねえ、あの頃さ、まだディスコとかクラブとかなくってさ、踊り場って言ってなかった?
藤田さん:言わない
踊り場と言っていたかどうかは忘れちゃいましたが、クラブといえば、ナイトクラブを差していた時代ですよね。まだ、ススキノには大きなキャバレーがあったりもしました
坪さん:宮原さんは、たかはし真梨子さんのメンバーさんで、31日は紅白にも出られたそうです
宮原:僕が出たわけじゃないですけどね。
坪さん:紅白が始まった時間は、まだにいたとか
宮原:そうそう、出番が後半の人は、前日にリハがあって、当日は9時半頃NHKに来てくださいって言われた
宮原さんが真梨子さん繋がりってことで、坪さん:俺、あの歌好きなんだ・・・アレ、あれ五番街の~ってやつ、弾ける?
突然の無茶ブリにも笑顔で応えてくれた宮原さん
会場からの拍手に押されて、坪さんもちょっと歌おうとしましたが、ごばんがいのー$%&#%&@@
歌詞が出てきませーん
キーが・・・っというより、歌詞がね ほんのチョットだけよ~のマリーの歌でしたが、素敵でしたよ
坪さん:ところで、紅白に出たことがあるのは?
久保田さん、高杉さん、河合さんが挙手をして、坪ちゃん
聞かなきゃ良かったという顔をして歌いだしたのは。。。続きます