たまには僕だって両親のことは思い出す
いろいろなこと 止め処もなく
でもそのなかでも彼らの出会いの場所かな
僕が生まれ 郷愁に包まれる風の町横須賀
思わず昔
あの咸臨丸が寄港したサンフランシスコの大会堂でちっぽけなスピーチをしたことが蘇ってきた
なぜ 僕がここに来たのか っていう
その時からおよそ百年前に
僕の生まれた町から45日かけてやって来た
名もある日本の高官たち
大袈裟だけど 命を翔て
ホントにそうだったでしょうけど
東洋の小さな国の将来の命運をかけて
僕もそうありたいと思ってやって来ました
是非 どうぞ笑ってください
つたない英語でしゃべるこの僕を
でも日本は少しは大きくなりました
なぜかって
皆さん 覚えていてください
まだ日本と呼ばれていない千二百年以上も前
小野の妹子という高官も
時のトップが跏趺坐して学ぼうとの願いを身に負って
中国への大航海に挑みました
確かに僕は名もなき少年ではありますが
学ばせてください
皆様の幸せの秘密を
そしてまた時は過ぎても 未だに
僕にとっての Bay city はいまでも大海原の向こうにあるって いうこと
https://youtu.be/zYCc_UyIP1A
yatcha john s. 「 Bay street fix」
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