New Yorkのジャズピアニスト、クニ三上(Kuni Mikami)のブログ

ツアーの様子を中心にお伝えしています。

ブラジル公演記12日目「べレン」

2009-10-19 21:59:00 | 2009年10月ブラジル
 小さな椰子の実を液状にしたアサイは紫色をしている。これを飲む(主食的存在というから「食べる」かな?)と草の香りがする、自然食のような感じだ。アメリカのビーツ同様に翌朝はトイレで動揺するらしい。朝のパパイアは今までに増して甘い。スイカも甘い。が、地域の果物ジュースは全然甘くない。

 朝9時出発。マンゴの並木通りを5分で、今日のワークショップ会場「カルロス・ゴメス音楽学校」に到着である。

 クラシック中心というものの日本の大学にある「ジャズ研」でジャズをやっている学生がいる。彼らは実際の演奏家から学ぶ機会が少ないので、色々と質問してくれる。

 CDで聞いて学んでいるというが、演奏もなかなか上手である。終わっても質問攻めで「個人レッスンを!」などと言うのだが、残念ながら次の予定地へ行く時間となってしまった。

 時間は迫っているが空腹なので、はかり売りのレストランへ。こういう店が自分の好きなものだけ食べられるし、安価だから小食の私にはちょうど良い。

 写真の料理は下から、黄色アフリカ料理「エビ入りバタパやしの実のオイルのシチュー風」、左回りに「カレー風なパエリア」「豆と豚肉煮込み」、右上が御当地名物「マニソバ」これはマニヴァという葉と肉やソーセージを葉の毒が抜けるまで1週間煮込んだ料理。誰が工夫したものか?右横は「チキン」。真ん中は煮込んだ小さな瓜。すべての味付けが口に合う。マニトバは始めての味なのだが拒否感は無かった。



 このレストランの前をアマゾン川が流れている。「なんだ、数百m向こうに対岸が見えますね」と言うと、「あれは島で、あの向こうに九州くらいの島があって、その向こうにまた水があって」というわけで中州の島の大きさが九州サイズ、対岸までは300kmあるという。車で5時間の川幅!

 午後3時からは、無料で音楽を教えているアマゾニア音楽財団。元結婚式場を利用している民間施設なので練習室の大きさがまちまちだが、ここに毎年300名のティーンエージャーが学んでいる。先生は13人。練習風景を視察させていただいたが年齢以上の上手なアンサンブルであった。



アマゾン川


ブラジル公演記11日目「べレン」へ

2009-10-18 21:26:00 | 2009年10月ブラジル
 今日から夏時間なので1時間時計を進める。間違えずに朝8時半出発。日曜日なので20分で空港へ着いてしまう。

 「ゲート番号が搭乗直前に替わったりしますから」とのアドバイス。なるほど発着モニターをよく見ると、これからむかう「Belem(ベレン)」行きが同じ航空会社なのに10時発と10時10分発の2便ある。間違えずに乗れた。

 窓からの景色がサバンナの原(抜け毛の気になる50代の髪)からみっしりした原生林(20代のフサフサ髪)に変わると大河アマゾンの下流、ベレンであった。2時間弱で到着。

 着いたらここは夏時間は採用していない地域との事。時計を1時間遅くする。モワッと暑いが、日本の真夏ほどではない。道路の両脇のマンゴの大樹が日陰を作ってくれる、が実のなる11月には車の上に落ちてくるから危険だそうだ。

 宿泊はヒルトン・ホテル。中は広いが随分と古い建物で扉が木製である。ランチのブッフェが$25、インターネットは24時間$16と値段がニューヨーク並みである。隣の広場では50くらいの露店が並んでいるが、チェックインしてから外に出たら大半が店じまいしていた。

 この街の文化遺産である「大きなスピーカーを乗せた車やオートバイ」が大音量で音楽を流している。カメラを構えるとヤバそうなので、この雑踏の写真が無いのが残念。

 領事館の方からいただいたパンフには「安全対策:誘拐には車が使われるので不審な車が近寄って来たら道筋を変える」とか「簡単なポルトガル語」の欄には「警察を!」「強盗だ!」「泥棒!」「警察を呼んで下さい」と並んでいる。「幾らですか?」とか「ありがとう」などは書くスペースがなかったようだ。

 NYに住む私ですら油断できない感じの街だから、日本から来た人は余りの違いに戸惑うだろう。といってもホテルからは高層ビルの見え、20世紀初頭にはゴム栽培で非常に栄えた(小樽のニシン御殿を思い出す)人口150万の地方都市なのだ。

 素朴な住民が多いというけれど「向かいのバーに入ったら出される飲み物に眠り薬が入っています」ですって。

 ベッドに入ったら、雷と共にものすごい集中豪雨、今は乾季だが日に1回は降るらしい。雨がやんだら名物の大音量で音楽を流す車が通過。13階のこの部屋まで振動が伝わる。どこから電源をとるのかな。


ブラジル公演記10日目「ブラジリア」

2009-10-17 22:09:00 | 2009年10月ブラジル
 ブラジル公演も半分が終わり、各地で好評だったので、ちょっとホッとしている。いまだに洗濯出来ず。

 今日はオフなのでブラジリア観光。四方の壁が青いステンドグラスのボスコ教会は、外見は普通の建物なのに中に入ると別世界だ。青い光に圧倒される。三権広場には司法・行政・立法府のユニークな設計の各施設が集まっている。週末だから革や木製品、衣類などの露店がびっしりのテレビ塔、皆、商魂たくましい。

 先日気に入った量り売りのレストラン「ショパン」を再訪。今日は土曜日なのでフェージョアーダ料理が出ている。「主人の食べない牛の臓物を煮込んで雇われ者が食べた」という米国のソール・フードと似た起源を持つブラジル特有の料理だ。

 8つ位ナベがあってそれぞれ違う臓物が煮込まれているのだが、結局は一緒に料理された豆のソースで、皆同じ風味がついているから、焼肉やホルモン焼きのように臓物それぞれの味は楽しめない。それはそうだ、各部位を味わうのは貴族の性向、食べられない部分をなんとか食べれるように工夫したのがこの料理なのだから。ごはんに豆をかけたのが一番旨い。

 小鳥のさえずりが満ちている街、と思っていたらこの音はセミが鳴いているのだそうだ。物まね上手のセミだ。

 帰りの車の中で「ここはアマゾンのような風土病も無くて・・」と私。「そ・・うですね、去年、ここがデング熱の発生圏に指定されましたけど」との返事。オ~ッ、と風が心地良いのでホテルの窓を全開にして寝てましたよ、私は。テントウムシや蛾が灯につられて入ってきてバタバタやっていたけど気にしなかった・・・。何か突然、足が痒い・・・微熱もあるような(これは冗談)。まいったね。

 部屋に戻りあわてて蚊撃退用のスプレーを身体に塗る。「雨期ではないし、街の真ん中だから大丈夫・・ですよ・・きっと・・・私も1年ここにいるけど、予防注射まだですし・・・」。今夜から長袖、着て寝るとするか。





青いステンドグラスが美しいボスコ教会


美術館


劇場


フェージョアーダ料理の鍋

ブラジル公演記9日目「ブラジリア」

2009-10-16 20:05:00 | 2009年10月ブラジル
 朝、コンピューターは目が覚めても昨晩の状態のままである。起きる気がしない、「ア~ア」。

 午後に迎えが来て昨日の学校へ向かう。講師のベースとドラムが共演するのでリハーサルをする。そのままコンサートに突入、前半はソロピアノで日本のメロディを、後半はトリオでジャズを演奏する。

 大きなヤマハのフルコン、2年前に購入との事で新品の良い音がする。この国では輸入税が高いのでこのピアノは2千万円近いという。この素晴らしい趣旨を持つ学校に誰か(ピアノ会社かな)ピアノを寄付していただきたい。

 ホテルに戻り、国際交流基金に提出する報告書を旅の始めから書き始める。思い出せない人名もあって・・・とっても大変。


演奏風景

ブラジル公演記8日目「ブラジリア」へ

2009-10-15 00:52:00 | 2009年10月ブラジル
 朝5時半にチェックアウト、空港に向かう。首都ブラジリアまで2時間半。近未来を思わせる数々のユニークな建造物は、この赤土の原に50年前に造られたという。

 病院は病院、官庁は官庁と1ヶ所に同じ職種の建物が集まっている。通りは名称ではなく番号が割りふられていて、味気ないが迷う心配はない。上空から見ると「翼を広げた鳥」の形に計画的に建物が配置された人口都市であるから、迷うような路地も存在しない。

 空港から今日の会場である連邦公立の音楽学校へと直行する。生徒を対象にワークショップ、ジャズの歴史を演奏を交えながら講義する。最後に生徒3人が演奏、ボサやジャズを巧みに弾くので、この学校のレベルの高さを認識する。オーディションに通過すればここでの学費は無料との事、生徒数1500人、講師は250人、35年前に開校した。

 昼の食事は「取った分量の重さを計ってそれに応じた金額を払う」式のビュッフェ。これは良い、私の好きなものだけを選べるし、量も加減できる。ライスと豆、プリンも美味しかった。

 夜は高級レストランで公使や学校関係者と会食。たこライスを注文したら、リゾットの上に12cm位のたこの足がドテッとのっかったものが出てきた。これが見た目は大雑把だが柔らかくて美味しかった。

 ホテルに戻り、コンピューターの動きを迅速にしようと思って何かを押したら「初期化」されてしまった。英語の環境だったので、そんなことになるとは思いもしなかった。で、これまで書いたブラジル公演記録は写真も含めてぜ~んぶ消滅、ブログに載せておいて良かった!ブログから文章と写真を逆保存する。参ったね・・・。

 それ以外の過去2年間のドキュメントも消えてしまった・・・どこかに隠れてんじゃないの、NYに戻ってから専門家に見てもらったら、という意見に希望を託して寝る。