東京の田舎から

日々の雑感や思いを書いています。

「スマホ」と「一億総白痴化」

2018-02-06 22:08:45 | 日記
電車の乗り換えで、接続電車が来るので急いでいた。しかし、スマートフォン(以下、スマホ)をいじっている数人が並んでスマホに熱中していて歩くのが遅い。急いでいるのであるが追い越すことができない。急いでいるのでイライラしたが突き飛ばして行くこともできず、どうにもならない。結局、あと数メートルの差で接続電車のドアが閉まってしまった。スマホに夢中であり、人の迷惑は考えないのであろう。困ったものである。
 最近は、電車内で紙の本や新聞を読んでいる人が少ない。皆、スマホである。座席に座っている人の8割から9割はスマホに触っている。何をしているのかと見ると、ゲームをしている。あるいは、何やら細かい字の画面を眺めて、指で画面をスクロールしている。
 これでは眼が悪くなり、頭は断片知識ばかりになってしまうのではないか? 画面で見たことは、頭に入らない。これは確かである。例えば、ワープロで文章を書く。画面上で誤字と脱字を調べる。「間違いなし」と紙に印刷して見直すと、新たに誤字と脱字が発見される。紙に印刷しないと人間の思考は正常に働かない。
 画面で見た文章は、画面に“浮いている”だけである。頭には入らない。「その程度」の内容のものであれば画面で良いであろう。しかし、正しく理解する必要のある文章は紙でなくてはダメである。
 インターネットの情報は細切れである。しかし、多くの場合は無料である。そのためであろう、本は買われなくなった。そもそも家に書棚が必要なくなるので便利である。しかし、書籍は“ある筋書き”に基づいて書かれている。
書籍の執筆をするとき、自分の得意分野だけでは一冊の書籍は完成できない。したがって、得意分野ではない部分は調べて、それを理解してから書く必要がある。そして筋書きを完成させて一冊の本が書き上げられる。読者は、筆者が苦労して調べて書いた部分も含めて“ある筋書き”に沿った知識、系統だった知識を得ることができる。インターネットでは、系統だった知識を得るのは至難である。このことを理解しなければならない。今のスマホ全盛時代に「何を言うか」と言われるかも知れないが、今のままでは、テレビの黎明期に社会評論家の大宅壮一氏が「一億総白痴化」と言い、流行語になったことが具現化してしまうのではないかと危惧する。(注、この時代日本の総人口は1億人であった)